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🚨無料キャンペン4/3pm5~4/7🚨《心理サスペンス×叙述トリック》消えた訪問者の夜~わたしは、どちらを殺したのか/志那羽岩子著

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密室から消えた男がいる。
同じ夜、三キロ離れた路地で死体が見つかった。
そして、事件を調べている語り手のノートに、あの夜の記録がない。


志那羽岩子の新刊『消えた訪問者の夜――わたしは、どちらを殺したのか』が出た。

前作『私の記憶が正しいなら』で「記憶の信頼性」を扱った著者が、今度は「記録の信頼性」に踏み込んだ作品だ。
主人公は、記憶を信じないために記録を続けてきた人間。
その記録に、まるごと一夜分の空白がある。

語り手はフリーライターの花村澄子。元教え子から「先生が消えた」と依頼を受け、ある失踪事件を追い始める。

失踪した男の名は九條健吾。
彼は渋谷区のマンション六〇二号室に入り、密室状態の部屋から消えた。
エレベーターのカメラには入る映像がある。出る映像はない。
窓の外には雪が積もっており、下に足跡はなかった。

同じ夜、三キロ先の路地で身元不明の男性の死体が発見された。

この「二つの不可能」を主人公が追っていく——というのが、表層のあらすじだ。

ただし、この小説はそこで終わらない。


読み進めるうちに、奇妙なことに気づく。

語り手・花村澄子は有能で観察眼が鋭い。事実をノートに書き留め、整理し、論理的に謎を追う。読者は彼女の視点を完全に信頼して、一緒に事件を追う。

しかし彼女のノートに、あの夜の記録だけがない。

彼女は「記憶は嘘をつく、だから記録する」を信条にしている人間だ。
その人間が、ある一日だけ何も書いていない。

これが単純な「信頼できない語り手」ものであれば、語り手が嘘をついているという話になる。
ところがこの作品の怖さは、語り手が「嘘をついていない」かもしれない点にある。
彼女はただ、「見たいものだけを見てきた」だけかもしれない。
「書けないことで、何かを守ってきた」だけかもしれない。

記録することと、真実を書くことは、別のことだ——という問いが、終盤にかけて静かに刃のように研がれていく。


本作には、古典ミステリへのリスペクトがある。

「二つの不可能な謎が、実は一つの事件の前半と後半だった」という構造は、ミステリファンであれば思い当たる節があるかもしれない。1935年に発表された、ある密室ミステリの傑作と同じ骨格を使っている。

ただし本作はそれを模倣しているのではなく、その骨格を使って全く別のことをやっている。

第一の解決で「二つの謎が一つに収束する」カタルシスを読者に味わわせた直後に、第二の解決で語り手そのものを崩す。

怪談の読者には、これが「最後の一行で語り手が化け物だったとわかる話」の構造に近いと言えば伝わるかもしれない。違いは、この小説の語り手は最後まで「自分が化け物かどうかわからない」という点だ。


最終一文は問いで終わる。

「わたしは、どちらを殺したのか、まだわからない」

読み終えてから最初のページへ戻ると、プロローグが別の意味を持って読める。
そういう作りになっている。


怪談が好きな人に向けて言うと、本作は幽霊の出る話ではない。
しかし「記録者の信頼性」という意味では、怪談の構造に近い。

怪談において、もっとも信頼できない存在は何か。語り手だ。
語り手が「本当のことを言っている」としても、語り手が「見えていないもの」がある。
語り手が「覚えていない」ことが、話の核心になっている怪談を、あなたもいくつか知っているはずだ。

この小説は、その構造を長編ミステリに移植した試みだと思う。


前作『私の記憶が正しいなら』を読んでいると、著者がこのテーマを一作ではなく、複数の角度から掘り下げようとしていることがわかる。

記憶と記録、信頼と盲点、見ることと見ないこと。

同じ問いを、今回はより複雑な構造で、より静かに、より深く扱っている。


Kindle版で読める。約39,000字の長編。

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著者:志那羽岩子
監修:小谷地市朗
発行:セイスケクリエイティブラボ


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