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娘に会えた夜 rw+5,326-0205

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三年前のことだ。

当時、俺はキャバクラでボーイをしていた。派手な照明、笑顔の女の子、札束の匂い。だが、客の視線が俺たちに向くことはない。灰皿を替え、氷を運び、酒を注ぐ。邪魔にならない位置に立ち、声を出さず、記憶にも残らない存在。それがボーイだった。

店には色々な人間が流れ着く。元ホスト、元サラリーマン、元ヤクザ。理由は違っても、居場所を失った点だけは同じだ。だが長くは続かない。気づけば辞め、消え、誰も名前を覚えていない。俺は運良く、四か月目に入っていた。

その夜、ひとりの新規客が来た。五十前後の男で、古びた背広を着ていた。場違いなほど静かで、妙に落ち着いた雰囲気だった。豪快さも下心もなく、ただ席に座って酒を飲んでいる。

奇妙だったのは、誰も隣につかないことだ。フリーで入れば女の子が回される。それが店の流れなのに、その男は一時間近く、一人でグラスを傾けていた。

カウンターに聞くと、最初から「女性はいらない」と言ったらしい。ただ、ここで飲みたいと。

黒服が肩をすくめて言った。「様子見てこいよ」

しばらくして、男は俺を指名した。ボーイの場内指名は珍しいが、前例がないわけではない。そうなれば俺は仕事を外れ、客の隣に座る。

グラスを挟んで、取り留めのない話をした。天気、酒、昔の仕事。男はよく笑ったが、目だけが笑っていなかった。笑顔が遅れてついてくるような、妙な間があった。

話題が切れかけ、俺は軽い気持ちで聞いてしまった。

「どうして、女の子をつけなかったんですか」

男はグラスを置き、しばらく黙った。店の音が遠くなった気がした。

「娘がね、ここで働いていたんだ」

胸の奥がひやりとした。家族に黙って夜の仕事をする女の話は珍しくない。源氏名なら足取りは追えない。そういう話だと思った。

男は続けた。

「死んだんだよ」

その一言で、空気が変わった。酒の味が消え、喉が張りついた。

「薬に溺れてな。骨と皮みたいになって」

男は淡々と話した。誰かを責める口調ではない。ただ、事実を並べているようだった。

「娘の周りを調べた。最後に通っていた場所として、この店の名前が出てきた」

俺は何も言えなかった。男の視線が、じっと俺に向けられていた。

「だから、ここに来た」

復讐という言葉が浮かんだが、口には出せなかった。男は頷いた。

「そのつもりだった」

バッグに手を伸ばし、銀色の刃物を取り出した。包丁だった。刃が店の光を反射した。

心臓の音が耳の中で鳴り続ける。だが男は、それをただ見せただけで、すぐにしまった。

「もういい」

そう言って、男は小さく息を吐いた。

「さっき、娘に会えたから」

意味が分からなかった。俺は何もしていない。隣に座って、話を聞いただけだ。

男は微笑んだ。その笑みを見た瞬間、背中を冷たいものが撫でた。

「笑っていた。昔と同じだった」

会計を済ませ、男は席を立った。出口へ向かう背中を、俺は見送ることしかできなかった。

別れ際、男は振り返って言った。

「本気だったんだな。……なら、それでいい」

その言葉が、耳の奥に残った。

娘。
なぜ、その言葉を俺に向けたのか。

その夜の後、店で鏡を見るのが嫌になった。理由は分からない。ただ、視線を合わせるのが怖かった。

ほどなくして、俺は店を辞めた。誰にも理由は言わなかった。言葉にできなかった。

あの男がどうなったのかは知らない。ただ、二度と店には来なかった。

今も時々思う。
あの夜、男の目に映っていたのは、誰だったのか。
俺だったのか。
それとも、俺の隣に、誰かが座っていたのか。

考えようとすると、記憶はそこで途切れる。
あの微笑みだけが、はっきりと残っている。

[出典:88: 1:2011/07/18(月) 19:12:38.62 ID:cNhDKNc60]

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