登山好きだった親戚のおじさん(昨年亡くなられた)の若い頃の話。
30年くらい前の話だってことだから、おじさんはたぶん当時20代後半くらいだと思う。
俺は山に詳しくないのでよくわからないんだが、日本アルプスの3000メートル近い山を目指す山行き。
冬ならそれこそ命の危険もあるが、夏山なのでわりと気軽な単独での登山だったそうだ。
で、油断してたわけでもないんだろうけど、気がついたら滑落してたと。
それもかなりヤバイとこで、数十メートル斜面を滑り落ちて、最後には宙に投げ出されながら、垂直気味の壁面にちょっとだけ出っぱってた岩棚みたいなとこに、体を打ちつけてかろうじて止まったらしい。
息が詰まって呼吸が苦しい、全身がしびれたように感覚がない、といった状態で、なんとか目を開いてまわりの状況を確かめようとしたら、そこに人がいた。
切り立った崖の途中のわずかなスペースに、Tシャツ短パンにビーサン履き、片手に缶ビールを持って。
そのメチャメチャ軽装な若い男の人は、最初ものすごくびっくりした様子で、
「うわ、うわ、だいじょうぶ? あ、あ、あ、足足足」
みたいな感じで、明らかに取り乱していたそうで。
実際、おじさんの足は両方ともヘンな方向にねじ曲がってたんだと思うけど、それでもおじさんを岩壁沿いに引き上げて、楽な体勢にしてくれた上で、「すぐに助けを呼んできます」と言ってくれた。
言ってくれたんだが、「どうやったら救助の人呼べますか」とか、「この場所はなんと説明したらいいですか」とか、山に関してまるっきり素人っぽくて、おじさんも死にそうだっつーのに説明するのに困ったそう。
それでも、その人が山小屋に連絡してくれて、おじさんは数時間後に救助された。
5か所以上の骨折と、腎臓はじめ内臓にもかなりのダメージだったけど、とにかく最終的にも助かった。
ただ、おじさんの命の恩人は、山小屋に駆け込んで救助を依頼した後、いつの間にか姿を消していたらしい。
下山する姿を誰も見ていない、入山記録もないとかなんとかで、おじさんの救助の後で、その人の捜索騒ぎになったらしいんだけど、結局見つからず。
ザイルなしじゃ降りられない絶壁に、そんな軽装だけでいること自体おかしいし……
助けを呼びにいく際、「じゃ、待っててください」と言ったあとで、どうやって登っていったのかもまるでわからなかったとのこと。
「山の神様と思いたいところだけれど、どっから見ても生身の人間だったし、岩棚の上には煙草の吸殻と缶ビールのプルタブも捨ててあってなあ。神様はそんなことしねえよなあ」
と、生前のおじさんは言ってたそうだ。
|フリークライミングってビーサンでできるもんなの?
|登ってる最中は両手が塞がるだろうに、ウェストバッグもなしに缶ビールとタバコが持ち込めたのも謎。
|山やってる人に聞くけど、登山中に飲酒する?
|山小屋なら飲むだろうが、個人的に山行中に飲むイメージがないので。
フリークライミングだとしたら、服装とか、そのあたりは叔父さんの記憶違いなんじゃないかな?
身体・精神共に極限状況の中だし、もうすべてが有り得ない様相を呈してんだもん。
なんつーの、自分を正常な状態に置こう、戻そうとする精神的なそういう働きで、軽めのシューズをビーサン(自分の知ってる一番近いもの)とか認識したんかもしらん。
煙草と飲酒は……どっちも特にやんないからわかんないけど、そういう開放的?な非日常の場や、なんか一仕事やったー!って時に呑みたくなるってのあるんじゃないかな。
吸い殻やら置いてっちゃったのはイカンけど、救助しなきゃでテンパッちゃったのかも。
何にしろ、いい人だけど、ちょっとフリーダムなとこのある人だったのかもね。
|でもクライマーが岩場で酒なんか飲まないだろ。
|あれは沢より死ぬ確率のバカ高い危険なスポーツだ。
|そんな気楽に出来るもんじゃないし、やったことのある奴なら
|絶対に岩場で酒なんか飲めない。
|判断が狂うからな。
このあいだ、そのおじさんのお盆さんで集まった時に俺は初めて聞いたんで、在命中におじさんに直接聞けなかったのが残念。
長文になるから色々端折っちゃてるんだけど、フリークライミングの人ではなさそう。
山小屋に現れたときもビーサン履きでビールの缶を持ってて、「なんで初心者があんな無謀な格好でここまでたどり着けたんだろう?」って、小屋の人も後から訝しんでたらしいから。
(了)