第11話:地獄絵
私の彼は一年前、ある下町のボロアパートの二階に引っ越して、そこで一人暮らしをしていました。
彼はまだ新米サラリーマンだったので、高級なアパートでは、まかなえなかったからです。
そのアパートにはいろんな人が住んでいたそうです。
水商売系の魅惑ガール、浪人生、そして大学生など、顔ぶれは様々だったそうです。
それに人間関係も色々とややこしかったそうです。
特に、お隣の魅惑ガールにはよく悩まされたそうです。
別に用もないのに、彼の部屋をノックして入ってきたりするらしいんです。
それに、わざと下着を彼の物干し竿で乾かしてみたり……
とにかくに大変だったそうです。
その夜も、彼は窓を開けて洗濯物を取り込もうとしていました。
案の定、お隣さんの下着は彼の物干しの先にかかっていたそうです。
「もー。しょうがないなぁ。俺はこうゆうの苦手なんだよぉー」
そう、ぶつくさいいながら、洗濯物を取りこんでいました。
『ゴツッ……シャッ……コツッ…』
となにか下から地面を擦るような音がするのに、彼は気が付きました。
彼は不思議に思って窓の下をのぞきこむと、狭い路地裏で小さい女の子が、なにやら地面に必死で描いています。
「あれ…おかしいなあ」
彼がそう思ったのも無理ありません。
時計を見ると、深夜の2時をまわっていたのです。
彼は、その女の子が迷子にでもなっているんだろうと思いました。
そして、保護してやろうと、急いで下に降りてみました。
「あれ?……さっき女の子がいたの、この路地だよなぁ……」
彼が路地にきてみると、その女の子の影すら見えません。
確かに、自分の右上には洗濯物が干してある自分の部屋が見えます。
彼がそこに降りてくるまで、30秒もかからなかったそうなのです。
首をかしげながら、さっきの女の子がいた辺りに歩いていってみる事にしたそうです。
すると、そこにはやはり、チョークで書かれた絵が残されていたそうです。
「こ、これが子供の描いた絵か……?」
と我が目を疑ったそうです。
彼が部屋から確認した子供は四五歳の小さな女の子。
しかし、その路地の地面には、見事に描かれた地獄絵が残されていたのです。
チョークで描いたとはいえ、とても鮮明だったそうです。
”餓鬼”、”首を切る鬼”、”泣き叫ぶ人間”……
それらはまるで実在しているようだったと言います。
そして一つ、彼が目に止めたのは、女の鬼の絵でした。
その鬼は、子供を針の付いた棒で殴っているのです。
そして片手には、子供の腕らしきものをつかんでいます。
「な……なんなんだこの絵は……そしてあの子は……」
なんだか気味が悪くなって、そのまま彼は部屋に帰って寝たそうです。
しかしそこには、またいつもの、彼の眠りを妨げる声が聞こえてきたのです。
お隣の魅惑ガールの悩ましい声です。
いつも夜中の3時くらいになると、薄い壁の向こうから聞こえてくるそうなんです。
彼は毎晩、耳栓をして眠ったぐらいだと言います。
まだ私とつきあう前、彼女のいない男の子にとってはシゲキが強すぎたと思います、ホント。
そしてそれから二日後、大雨が降ったそうなんです。
「あの不気味な絵も消えちゃったんだろうな……」
彼はそんな事をぼんやりと考えて、部屋に横になっていたそうです。
その時、まさかとは思いましたが、またあのチョークの音が下から聞こえてきたそうなんです。
彼は恐る恐る窓を開け、雨上がりの路地をのぞきこみました。
やはり、その女の子はそこにしゃがみこんで、一所懸命に絵を書いている様子です……
彼は、今度は逃がさないぞと思って、その子に声をかけたそうです。
「おうい、お嬢ぉー。そこのかわいいお嬢ちゃーん!」
そう言うと、その子はピタリと描くのを止めたそうです。
しかし、こっちを向きません。
彼は恥ずかしがっているんだろうと思って、もう一度声をかけたそうです。
「おーい。お嬢ちゃーん。そんな所いたら、怪獣に食われちゃうぞぉー。がおおおぉー!」
するとその子はチョークを道端に置きました。
そしてゆっくりと彼の方を見上げたのです。
彼はいまでもその顔を思い出すと寒気がするそうです。
その小さい子の顔面半分が白骨化していたというのです!!!
「うわあああーー!!」
彼は見てはいけないものを見たように、窓をピシャリとしめて震えていました。
そしてそれからも、
『コツッ……シャッ…コツッ……』
と道路に絵を描く音は、一晩中彼のアパートにこだましていたそうなんです……
それからというもの、雨が降って絵が消えたなと思うと、そのチョークの音がしていたそうです。
そんなある日、突然隣の魅惑ガールが部屋に入ってきて、彼に迫ってきたそうです。
「ねぇーイイじゃん。ねー??私のコト嫌い?」
彼女は始めからその気だったそうです。
でも彼は、
「や、やめてくださいよ。オレ、好きな人いるんすよ。お願いしますよ!」
と必死に抵抗したそうです。そんな風にもめていたら、
『トン、トン、トン』
と、その女の人の部屋から彼の部屋に、誰かが壁をノックしてきたそうなのです。
ふと魅惑ガールの顔を見ると彼女は真っ青だったそうです。
そして耳を塞ぎながら、急いで彼の部屋から出て行ったそうです。
不思議には思ったらしいんですが、何も知ろうとは思わなかったそうです。
……それから、一ヶ月。
不思議と魅惑ガールを見かけたり、”あの声”を聞いたりすることはなくなったそうです。
しかし、子供番組らしきTVの音がよく聞こえるようになったそうです。
そして時々、子供の笑い声が聞こえるようになったそうです。
「フーン、なんだ魅惑ガール、子供いんのかー。それだったら、迫んなよなオレにー」
と、そんな具合にしか思わなかったそうです。
それからしばらくした、ある日のことです。
彼がアパートに戻ってくると、なにやら物々しい雰囲気が漂っていたそうです。
彼がいつも通る階段近辺には、沢山の人だかりが出来ていたのです。
アパートの周りは黄色い網が張られていました。
そして赤色灯をクルクル回したパトカーが数台停まっています。
「あのー…なんかあったんスか?」
彼は近所の顔見知りのおばさんに尋ねました。するとおばさんは血相を変えて、
「あらら、アンタ!ちょっと、大変なんだよー!あのさ……」
彼女が何かを彼に切り出そうとすると、二階から管理人さんが、真っ青な顔をして降りてきたそうです。
警察官と一緒だったそうです。なんだか、ただ事ではないようでした。
彼は少し気がひけましたが、おばさんにまた尋ね返したそうです。
「あの……それで、どうしたんすか?」
おばさんも少し小声になって彼に話したそうです。
「あのさぁ、アンタの隣に派手なのいたじゃん。アンタ知らないと思うけどさ、彼女、今時の整形美人でさ。男ばっかりダマしちゃ、金取ってたんだよぉ」
おばさんは、しかめっ面になって彼に話し続けました。
「それでさ、ここの管理人ともできててさぁ。子供がとうとうできちゃったわけよ。
で、産むには産んだんだけど、あの女にしてみりゃ他の男とのカンケーもあるからさ、その子はいつも邪魔もの扱いだったわけよ。
あんたも見なかったぁ?そこの路地でよく寂しそーにして遊んでた子供」
彼は、もしやと思っておばさんに聞いてみたら、その子はやはり女の子だったそうです。
「それで、こっからがコワイのよー。あの女、なんかあったらすぐにあのお嬢ちゃんにあたってさ。ひどいときなんか、棒でなぐって救急車呼んだ事もあんのよ!」
彼の頭の中にはあの地獄絵が浮かんでいました。
その時、あの”女の鬼”のイメージが彼の脳裏に蘇っていた事は間違いありません。
おばさんは、なおも話を続けました。
「それでさ、最近あの女の姿、見えなくなってたじゃない?管理人も不思議に思ったんだろうね。合鍵で女の部屋に入ったわけよ。
そしたら、押し入れの辺りからへんな匂いがするんで開けてみたらさ、中から黒いビニールのゴミ袋が出てきたんだって。
それがモゾモゾ動いたんだってよ。
そんで、びっくりして開けたらさ、身体が半分白骨化した小さい女の子の死骸が出てきたんだってよ!!」
彼はその時、とても気分が悪くなったそうです。
そして、ドブ川に一目散に走っていって吐いたそうです。
警察の話では、少女は半年くらい前に殺害されていたそうです。
そして、あの魅惑ガールは行方知れず。
またどこかで整形をして、姿をくらましているかもしれない……
彼はこの事件を思いだすと、今でも寒気がすると言います。
そして、路地裏で見た少女の顔と絵を思い出してしまうらしいのです。
そんな彼は私にこう言います。
「殺されたのは半年くらい前って言ってたろう。
俺、絶対あの子の姿、事件の1ヶ月前に見てるし……
確かに隣から子供の声、聞いたんだよな……俺……」
[出典:大幽霊屋敷~浜村淳の実話怪談~]