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銀の球と沈黙の乗客 r+4,417

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高校時代のことを思い出すと、必ず胸の奥がざわつく。

あの出来事を語るとき、どうしても一人称で語らずにはいられない。なぜなら、他人事のように突き放してしまえば、自分の中にいまだ残る恐怖が嘘になってしまう気がするからだ。

毎朝、僕は神奈川の郊外からバスに揺られて高校へ通っていた。車内は決まった顔ぶれが多く、学生や会社員、近所の主婦といった人々で満ちていたが、その中に一人だけ、どうにも説明しづらい存在感を放つ老婆がいた。

背筋は曲がっていない。清楚で品の良い喪服のような装い。落ち着いた顔立ちに深い皺。見た目はむしろ気品にあふれ、昔のドラマに出てくる良家の未亡人のようだった。それでも彼女が乗ってくると、車内の空気が微かに凍りつき、僕の背中をじっと冷たいものが撫でていく。なぜ怖いのか、自分でも説明できない。けれど、彼女がドアから乗り込んでくるたび、胸の奥がざわついて仕方なかった。

ある冬の日、その感覚は頂点に達した。

その朝もバスに揺られていた僕は、車窓に結露したガラスを指で拭いながら、冬空を眺めていた。停留所でドアが開き、例の老婆が乗り込んできた瞬間、予想していた嫌な気配が身体を突き抜けた。吐く息が急に冷え、喉がきゅっと縮まる。

ところがその日は違った。いつもなら誰とも言葉を交わさないはずの老婆に、車内のシルバーシートに座っていた老紳士が声をかけたのだ。灰色のハットをかぶり、背筋を伸ばしたその姿は、まるで舞台俳優のように堂々としていた。その横には、大きな鞄を抱えた中年の男たちが二人、無言で立っていた。

二人の視線が交わった瞬間、空気は一層濃くなり、耳の奥で何かがひりつくような音がした。老紳士が何かを低く語りかけ、老婆も応じる。言葉の内容は聞き取れなかったが、やがて老紳士が、腹の底から絞り出すような声で叫んだ。

「それだけはさせません!」

バスの中にその声が響いた瞬間、周囲の乗客たちも一斉に振り向いた。僕の鼓動は耳の奥で爆発するように響き、膝が震えていた。中年の男の一人が鞄を開け、球状の物体を取り出すのが見えた。直径二十センチほどの鈍い銀色の球。光を反射し、車内の蛍光灯が歪んで映り込んでいた。

「爆弾……?」

頭の中にそんな言葉がよぎり、胃の奥が冷たく縮み上がった。ニュースで見た海外のテロ映像が脳裏をよぎり、このまま吹き飛ばされるのではないかと本気で思った。

しかし何も起きなかった。老婆と老紳士はただ睨み合い、銀の球は男の手の中で不気味な沈黙を守っていた。車内には張り裂けそうなほどの緊張だけが漂い、時間が止まったかのようだった。

そのとき、急ブレーキ。乗客たちが前につんのめり、僕も座席の手すりにしがみついた。運転手の声がスピーカーから響いた。
「大変失礼しました。この先、緊急工事のため迂回いたします」

いつもとは違う道へとハンドルが切られた。車窓の外は見慣れない風景に変わり、やがて視界が暗闇に包まれた。

「トンネル……?」

そう思った瞬間、僕の記憶はぷつりと途切れた。

気がついたとき、白い天井が目に入った。身体はベッドに縛りつけられたように重く、点滴の管が腕に刺さっていた。周囲には見知らぬ看護師と、泣きはらした母親の姿。

「どうして……?」

問いかけても答えは返ってこない。どうやら僕は道端で倒れていたらしく、通行人に発見され病院に運び込まれたという。けれど、バスのことはどうなったのか、ほかの乗客は無事だったのか、誰も知らなかった。

退院後、新聞を探し、ネットを漁った。しかし、あの日のバス事故などどこにも載っていなかった。まるであの出来事そのものが、現実から抹消されてしまったかのようだった。

ただ一つ確かなのは、あの日を境に僕の頭は壊れ始めたことだ。思考は言葉に結びつかず、口からは意味をなさない音が漏れた。友人にこの話を断片的に伝えるのがやっとで、彼がそれをつなぎ合わせて文章にしたと聞いた。

僕自身はもう、細部を思い出すことすらできない。病は進み、日ごとに身体は弱り、そして今、こうして最後の力で文字を記している。

老婆の顔。老紳士の声。銀色の球。あれらが幻覚だったのか現実だったのか、答えは永遠にわからない。だが確信していることが一つある。

――僕はあのバスの中で、本来ならば死んでいた。

誰かが僕を引きずり出したのか、それとも見えない何かが僕を選び、他を切り捨てたのか。どちらにせよ、あの日バスに乗り合わせた人々が、その後どうなったのかを語る者は、僕以外には一人もいない。

そして、語り継ぐべきこの記憶も、まもなく僕自身とともに消えてしまうだろう。

[出典:538 :可愛い奥様:2012/08/09(木) 03:09:04.79 ID:w5Uy35ag0]

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