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中編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間 ほんとにあった怖い話

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以前、販売業に従事していた友人が社員研修用の資料を見せてくれた。

クレーム内容とその対応について。
そこには、クレーム対応を

【A】『正当な事由がある場合』と
【B】『正当な事由がない場合』に大別できる。

さらに、それぞれの事象に対して、
【a】『金品、賠償、謝罪等の適切な対応によって解決が可能な場合』と、
【b】『解決が困難な場合』に細分化される。

つまり、

  • 【A-a】: 正当な理由があり、善処で収まるケース
  • 【A-b】: 正当な理由があり、善処では収まらないケース
  • 【B-a】: 正当な理由がなく、善処で収まるケース
  • 【B-b】: 正当な理由がなく、善処では収まらないケース

友人は笑いながら、学校なんかはB-bが湧きやすいと言った。
湧く、という動詞が妙に生々しく、紙の匂いが急に湿った気がした。

俺が大学で教授助手をしていた頃の話だ。助手は四人いた。在職期間が最も長い斎藤さん、一番年上の大野さん、新人の中野さん、そして俺。研究室は古い棟の三階で、廊下の蛍光灯は一本おきに死んでいた。直通電話が一台あり、番号は外部に公開されていないはずだった。授業や会議の連絡は学内の内線で回るし、学生は基本的に掲示板かメールだ。直通電話は、外からの重要な連絡が入るかもしれないから、という建前で置かれていたが、実際はほとんど鳴らなかった。

俺たちが担当する学科に、男四人と女二人からなる一年生の仲良しグループがいた。全員が遠方から来て一人暮らしで、ほぼ毎日のように互いの部屋を行き来していた。俺たち助手陣は、くだらない興味で、あの中からカップルが生まれるのかと勝手に見守っていた。誰が誰を好きそうだとか、誰がいちばん世話焼きだとか、そういう話を、研究室でお菓子をつまみながらする程度には平和だった。

祝日の午前中、大野さんを除く三人で休日出勤していた。午前中で仕事は片付き、俺と斎藤さんと中野さんは研究室に残っていた。静かなキャンパスは、窓の外で風が木の枝を擦る音だけがして、遠くの建物の換気扇が低く唸っていた。そこで突然、直通電話が鳴った。祝日に鳴るのがまず変だった。しかも、コール音がいつもより乾いて聞こえた。受話器を取った瞬間、耳が痛くなるような音が流れ込んできた。女性の金切り声、泣き叫ぶ声、男性の怒鳴り声、何かが倒れる鈍い音。言葉として成立していない。混線のようでもあり、現場のようでもあった。息を吸う暇もなく、ぷつりと切れた。

研究室の空気が固まった。斎藤さんが笑おうとして失敗した顔をしていた。中野さんは受話器を置いた俺の手だけを見ていた。誰も何も言わないまま、また電話が鳴った。今度は誰も受話器に手を伸ばさなかった。コール音が鳴り続けるあいだ、研究室の時計の秒針がやけに大きかった。鳴り止む。間を置かず、また鳴る。俺たちは目だけで会話をして、結局、出ないことにした。直通番号は外部に公開していない。かけられるのは職員か在籍学生くらいだ。じゃあ、なおさら出た方がいいのでは、と一瞬思った。けれど、あの音をもう一度耳に入れたくなかった。

その日は早々に帰宅した。夜、シャワーを浴びていると、あの金切り声だけが水の音の隙間から聞こえる気がした。思い込みだと自分に言い聞かせても、耳は勝手に音を探しにいく。翌朝、大学へ行くと、直通電話の周りだけ空気が違った。受話器のコードがいつもより黒く見えた。

朝、学生がまだ少ない時間帯に研究室で準備をしていると、直通電話が鳴った。反射的に取ってしまった。今度は、泣きながら助けを求める声がした。助手さん、と呼ばれた。名乗ったのは井田だと言った。例の仲良しグループの一人だった。声が震えていて、言葉が途切れる。親が大学に向かっている、と言った。逃げてほしい、と言った。何から、と訊こうとしても、井田は逃げてと繰り返すだけだった。背景に、誰かの息づかいが混じった。井田の息づかいではない。電話が切れたあと、俺の手のひらが冷たくなっていた。

午前中、斎藤さんが研究室に飛び込んできて、総務課で学生の保護者らしき人が怒鳴っている、と言った。俺と斎藤さんは総務課へ向かった。廊下を曲がる前から、昨日の電話と同じ怒鳴り声が聞こえた。カウンターを叩く音が混じり、職員の声は押し潰されていた。

総務課の窓口前で、中年女性がカウンターを激しく叩いていた。横には男がいて、窓口内へ入り込もうとして職員に止められていた。文房具が散乱し、植木鉢が倒れて土が床に広がっていた。女性は、俺たちを見た瞬間、顔色が変わった。まるで待っていたみたいだった。彼女は一直線にこちらへ来て、俺の髪を掴んだ。爪が頭皮に食い込んだ。息が詰まる。耳元で、何かを叫んでいた。お前らのせいだ、という言葉は聞こえた。だが、何のせいかがわからなかった。わからないのに、責められているという事実だけが、骨に残った。

引き離され、俺は保健室に避難させられた。斎藤さんも来たが、斎藤さんは逆に落ち着いているようで、落ち着こうとしているようにも見えた。中野さんはどこにいるのかもわからなかった。俺たちは詳細を知らされないまま、その日は研究室に戻らなかった。

翌日、主任教授に呼び出され、井田と対面した。井田は泣き腫らした顔で謝った。井田の口から出た話は、筋としては単純だった。休日に両親が部屋を訪ね、何かを見つけて激怒した。そこから怒りが大学に向かった。井田はその何かを言葉にしようとして、途中で黙った。写真、と一度だけ言って、すぐに首を振った。あれは写真じゃない、と言い直した。けれど、じゃあ何だと訊く前に、井田はまた逃げてと呟いた。謝罪の言葉が、逃げてに吸い込まれていった。

主任教授は、君たちに責任はないし、今後は井田の両親とは関わらないように、と言った。大学として対処する、と言った。俺たちはその言葉に救われた気がした。関わらない。逃げ場が与えられたと思った。

だが、その日から、関わらないための紙が増えた。出席簿、名簿、連絡網、内線表。今まで机の引き出しに入っていなかった種類の紙が、なぜか紛れ込む。誰かが置いたのだろう、と最初は思った。けれど、斎藤さんの机にも、中野さんのロッカーにも、同じ紙が入っていた。紙の端に、手書きのような番号が書き足されていることがあった。直通電話の番号だった。見なかったことにして捨てても、次の日また同じ番号が別の紙の端にいる。

直通電話は、その後も鳴った。授業中に鳴ることもあった。夜、研究室の鍵を返しに来たときに鳴ることもあった。受話器を取ると、誰も喋らず、紙をめくる音だけがする。何枚も何枚も。めくる音が止まると、遠くで泣き声が混じる。切る。しばらくすると、また鳴る。斎藤さんは一度だけ取ってしまい、受話器を置いたまま動けなくなった。斎藤さんは、相手が俺たちの名前を順番に呼んだと言った。呼び方が、呼び捨てでも、先生でもなく、名簿の読み上げみたいだったと言った。最後に、井田、と呼ばれて、そこで切れたと言った。

井田は退学した。仲良しグループの他のメンバーも、いつのまにか学校から姿を消した。転学した、休学した、地元に戻った。理由はそれぞれらしいが、どれも伝聞で、決定的な説明はなかった。説明がないのに、あの六人がキャンパスから消えたという事実だけが残った。

その後、俺は助手の仕事を退いた。斎藤さんとは時折飲みに行った。酒の肴に、理不尽な保護者の話をすることもある。娘が財布を失くしたのに友人が盗んだと決めつけて名簿を要求した親の話。編入試験に落ちたのは大学のせいだと言い張った親の話。笑い話にできるものもある。だが、あの祝日の電話の話だけは、俺たちは触れないようにしていた。触れると、どこかがまた鳴る気がした。

去年の冬、斎藤さんが珍しく早い時間に店へ来て、鞄から紙束を出した。新任職員向けの研修資料だと言った。俺は嫌な予感がして、見ない方がいいと言いかけた。斎藤さんは見せるだけだと言った。表紙には、あの四つが印刷されていた。【A-a】【A-b】【B-a】【B-b】。俺は喉が乾いた。紙の匂いが、祝日の研究室と同じだった。

分類の説明は、俺が以前見たものとほとんど同じだった。だが、ページをめくると、事例が載っていた。ある大学で発生したB-b案件。正当な事由がなく、解決が困難。関係者の安全確保を優先し、直接対応を避ける。関与の遮断を徹底する。遮断、という言葉が太字だった。事例の最後に、担当者欄があった。そこに、俺の名前と斎藤さんの名前が並んでいた。役職の横に、補助番号という欄があった。直通電話の番号が印刷されていた。

斎藤さんは、これ、俺が書いた覚えがないと言った。俺もない。店の空調が一瞬止まったみたいに、空気が重くなった。伝票を持ってきた店員が、失礼しますと言って紙を置いた。その紙の端に、手書きみたいな数字があった。直通電話の番号だった。俺は笑えなかった。斎藤さんも笑えなかった。

そのとき、俺のスマホが鳴った。知らない番号だった。俺は出なかった。すぐに切れて、また鳴った。斎藤さんが、出るなと言った。店の電話が、同時に鳴った。店員が取って、すぐに顔色を変えた。店員は受話器を押さえて、こちらを見て、誰かの名前を確認するみたいな目をした。俺は首を振ったのに、店員は受話器をこちらへ差し出した。斎藤さんが受け取ろうとした手を引っ込めた。俺は受け取らなかった。受話器の向こうから、声が漏れていた。女性の金切り声でも、男の怒鳴り声でもない。泣きながら助けを求める声だった。助手さん、と呼んでいた。俺の名前を呼んでいた。井田です、と名乗っていた。逃げて、と言っていた。

斎藤さんが、紙束の最後のページをめくった。そこには、研修用の注意書きがあった。B-b案件では、担当者自身がケースに取り込まれることがある。取り込まれる、という言葉だけが、なぜか手書きで上書きされていた。斎藤さんは、その手書きが俺の字に似ていると言った。俺は見ないふりをした。見た瞬間に、自分の字になる気がした。

受話器の向こうの声は、逃げてと言い続けていた。店の客がこっちを見始めた。店員が困っている。俺は受け取らないまま、受話器の口元だけを見た。そこに薄く油が光っていて、まるで何度も触られたみたいだった。受話器を置いても、声は止まらなかった。置いたはずの受話器の隙間から、まだ聞こえていた。紙をめくる音が混じった。何枚も何枚も。めくる音の合間に、名前が読まれた。俺の名前。斎藤さんの名前。中野さんの名前。大野さんの名前。最後に、井田、と呼ばれて、そこで一拍置いてから、もう一つ名前が読まれた。知らない名前だった。けれど、妙に馴染む響きだった。今日この店に来る前に、どこかで呼ばれた気がした。

俺は、財布を探した。そこに名刺入れが入っていた。いつから持っていたのか、思い出せない名刺入れだった。開くと、俺の名刺は入っていなかった。代わりに、大学の直通電話の番号が書かれた紙片が一枚、きれいに折られて入っていた。折り目が新しかった。俺は、紙片の裏に、四つのケースが薄く透けているのを見た。透けているのではなく、最初から印刷されていたのかもしれない。どちらでもよかった。手を離した時点で、もう関わっている。

斎藤さんが、紙束を閉じて、鞄にしまった。しまったはずなのに、鞄の口から紙の角が覗いていた。その角に、手書きの数字が増えていた。直通電話の番号の下に、もう一つ番号が書かれていた。俺のスマホに表示されている知らない番号と同じだった。俺は、出ないまま画面を伏せた。伏せても、鳴動は止まらなかった。机が震えているように見えた。震えているのは机ではなく、俺の視界だった。

俺たちは会計を済ませて、店を出た。外は寒く、街灯が白かった。斎藤さんはじゃあなと言って別れた。俺は歩きながら、自分がどのケースに入れられたのかを考えた。考えること自体が、分類表の穴に指を突っ込む行為だとわかっているのに、考えた。B-b。正当な事由がなく、解決が困難。正当でないのは誰か。困難なのは何か。俺の足音が、誰かの足音に重なって聞こえた。

帰宅して、机に向かい、この話を文章にした。書けば終わると思った。書いて切り離せると思った。だが、書いている途中、宛先欄に勝手に数字が入った。直通電話の番号だった。消しても戻る。別の文字に置き換えても戻る。数字は、紙をめくる音のリズムで揃っていった。四つのケースの横に、担当者欄ができた。俺の名前が入った。まだ空いている欄が一つある。そこには、さっき受話器が読んだ知らない名前が入る。誰の名前かは、今はまだ確定していない。ただ、確定させるために、電話は鳴る。鳴るべき番号へ、辿り着いた人間を呼ぶために。

(了)

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