結婚して五十日が過ぎた頃、ようやく妻の料理の異常さに気づいた。
それまでも何か違和感はあった。食卓に並ぶ料理はいつも見た目が悪く、味も奇妙だった。しかし、決定的だったのはインスタント焼きそばを作らせた時のことだった。
袋入りのインスタント焼きそばを作るはずが、フライパンにたっぷりの水を入れて煮込み、結果として焦げ臭いぶよぶよの塊を生み出した。その上には焦げたパセリ、生の白菜とセロリ、さらに生のままの鶏肉の切れ端が混ぜ込まれていた。
その時、ようやく『これは駄目だ』と確信した。これまでも違和感はあったが、ここまでとは思わなかった。目の前の料理は、まるで食べ物の形を成しておらず、口に入れる気すら起きない。これを作った本人は自信満々のようだったが、自分の味覚がおかしいのかと錯覚しそうになるほどの異様さだった。
食欲がないと言って残したが、翌日、その焼きそばが弁当箱に詰められていた。同僚に見つかり、ついに泣きつくように相談した。
その夜、同僚の家に招かれた。同僚の妻は「凝った料理は作れない」と言うが、基本を押さえた家庭料理を提供してくれた。
その食卓には、チキン南蛮、自家製青じそドレッシングのかかった京菜と新玉ねぎのサラダ、新じゃがのきんぴら、豆腐と油揚げの味噌汁、そして炊きたての白米が並んでいた。
感動のあまり涙が止まらず、三十路前の男が声を上げて号泣した。
同僚夫婦は驚いていたが、私は涙を流しながら二合のご飯を平らげた。
「妻の料理がまずく、どう言っても改善しない」と語ると、同僚の妻は「私で良ければ、料理を教えましょうか?」と申し出てくれた。
帰宅後、その話を妻にすると、怒り狂った。
「結婚式の時、あの女を送っていったでしょう? あんな人に料理を習うなんてありえない!」
元々少し気の強い性格ではあったが、それも可愛いと思っていた。しかし、私は甘かった。
翌朝、揚げ餃子とセロリの入った味噌汁が出てきた。
「なあ、本当に教わってくれよ。一緒に頑張ろう」と説得したが、無視。
「なんでこの料理じゃ駄目なの!? 普通の味噌汁と同じじゃない!」
「どこが普通なんだ!!」
「普通よ! 油揚げも入ってるし、長ネギも……」
「これはセ・ロ・リだ!!」
「何言ってるのよ!!」
「お前が何言ってるんだ!!」
会社でその話を同僚にすると、
「もしかして、根本的に食材の名前が分かっていないのでは?」
思い返すと、確かに妻の料理は何かが根本的におかしかった。
試しにスーパーへ連れて行くと、妻は肉の区別がつかず、牛肉も豚肉も鶏肉もすべて「肉」として認識していた。
魚は丸ごとの状態では見分けがつかず、切り身になってやっと「赤身」と「白身」の違いが分かる程度だった。
野菜に至っては壊滅的で、長ネギとセロリの違いが分からず、ラディッシュとさつまいもを混同していた。
「どれでも一緒でしょ? 細かく気にするなんて貧乏臭い!」 「店が嘘をついてるかもしれないでしょ!?」
二週間、食材の違いを教えながら、シンプルな料理を作らせた。例えば、親子丼を作る際には、鶏肉と卵を正しく使うように教え、味噌汁には出汁を取ることを覚えさせた。しかし、炒め物を作るときに長ネギとセロリを混同したり、ハンバーグに砂糖を大量に入れたりするなど、思わぬ失敗が続いた。それでも根気強く説明しながら、少しずつ食材の基本を理解させようと努めた。
その後、妻は急に料理を放棄し、スーパーの総菜とインスタント食品に頼るようになった。
「木嶋の奥さんが嫌なら、お義母さんに習う?」
「嫌!! お母さんには絶対に習いたくない!!」
「……木嶋さんの奥さんに、習ってもいい……」
それから十六日後、木嶋夫妻が料理指導に来る予定の日、妻が消えた。
代わりに見つけたのは、台所にびっしりと張り付いた蛆虫と飛び交う無数の小バエ。
鍋やフライパンには腐敗しきったゲル状の食品の残骸。
妻が料理をしていたはずの場所は、完全に荒れ果てた地獄だった。
私は叫び、泣き、吐いた。
木嶋の妻が掃除を申し出てくれた。
バルサンを焚き、蛆を掃き集め、腐敗した残骸を処理し、ハエ取り紙を吊るしてくれた。
しかし、妻は戻らず、友人宅を転々としていた。
義父母に連絡し、「もう無理だ、離婚したい」と泣きながら伝えると、義父母は一瞬沈黙した後、深いため息をついた。「やはり……」と呟いた義父の声は、どこか諦めを帯びていた。義母は目を伏せながら、「本当は、前から気づいていたの……」と震える声で言った。まるで、事実を直視することを避けていたかのようだった。
証拠として写真を見せると、ようやく納得してくれた。
その日のうちに弁護士事務所へ向かった。
これほどまでに料理ができないというレベルを超えた事態があるとは思わなかった。
そして今、離婚協議中である。