中編 未解決事件

【未解決事件】霧積温泉女性殺人事件【ゆっくり朗読】8900

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1972年、一人で温泉宿に泊まった女性が、事件に巻き込まれました。

しかし、彼女の所持していたカメラに奇妙な写真が残されていたことから様々な疑惑が呼ばれ、大きな話題となりました。

当時、24歳の女性Kさんは群馬県伊勢崎市昭和町の生まれで、高校を卒業した後、市内のガソリンスタンドに勤めていました。そして、彼女の家族は休日になるとよく温泉宿に行っていたらしく、1972年8月当時も夏休みを利用して、母親と1歳年下の弟、Kさんの3人で霧積温泉に行く予定だったそうです。

しかし、旅行前日になって弟の都合が悪くなってしまい、その代わりに母親の友人で近所に住む奥さんを連れて行くことにしました。そうしてメンバーこそ変わったものの、Kさんは予定通り旅行の準備を進めたそうです。

しかし、出発当日の朝、母親にまで急な仕事が入ってしまい、旅行に行けるのはKさんと近所の奥さんだけになってしまいました。そうなると、さすがに二人で温泉旅行に行くのは気まずいということになり、結局はKさん一人で向かうことを決めます。

8月12日の午前10時19分。彼女は一人で伊勢崎駅を出発し、途中地点の横川駅で降りたのが、正午前のことでした。

Kさんの目的地である宿『金湯館』はそこからさらに13キロメートルほど離れた場所に位置しています。金湯館は、客のためにマイクロバスを出しており、Kさんはそれを待っていました。しかし、しばらく待ってもマイクロバスがこないので、我慢できなくなったKさんは、通りかかった国鉄職員の車に乗せてもらい、駅から約3キロ地点にある霧積温泉連絡所へとたどり着きました。時刻はお昼の12時40分頃です。

当時旅館には電話がなくて、1970年代でしたから、この連絡所で予約とか、このマイクロバスの送迎とか、していたそうなんで、そこについてKさんはそこにいたおばちゃんと話し込んでいたとされています。

「ここから金湯館までどれくらいかかりますか」
「3、4時間はかかります。そしてハイヒールでは無理です。」

こんなやり取りがあったそうです。

しかしそう言われたKさんは、連絡所の近くにあった雑貨店で白の運動靴を購入しました。。あくまで、この歩いていくという姿勢だったそうです。
しかし、結局は連絡所のおばさんから説得され、マイクロバスを待つことになりました。マイクロバスが来るまでの時間、Kさんとおばさんは1時間以上世間話をしていたそうです。

雑談をしながらしばらく待っていると、バスが到着し、彼女を乗せて目的の宿へと道を急ぎました。そうして宿に到着したのは15時過ぎだったといいます。宿の職員によると、到着してからKさんは夕食の時以外は姿を表さなかったそうです。

そして、8月13日後に事件が起こることとなるこの日、Kさんは朝8時過ぎに朝食を済ませてから持参していたカメラをアルバイトの男子学生に渡して記念写真を3枚撮影してもらっています。
午前10時頃にチェックアウトした彼女のもとに旅館の若女将がバスで駅まで送っていくと声をかけてくれました。しかし、Kさんは「大丈夫です。歩いて帰ります」と断り、前日に購入した運動靴を履いて宿を後にしています。

しかし、この時の判断が後になって悲劇を生むこととなってしまいました。当時はお盆休みだったということもあって、霧積温泉を訪れていた客は300人ほどいたそうです。それほどの人がいたのにも関わらず、チェックアウト後のKさんを見たという目撃情報はほとんどありませんでした。

当時の服装などから、Kさん本人を目撃していたであろうとされた証言は2つありました。一つ目は、チェックアウトから3時間後の13時頃、金湯館から伸びる坂の途中でKさんらしき女性を目撃したというものでした。この姿は7人が目撃しており、そのことからも確実な情報だろうとされています。

そして、続いての証言が最後の目撃情報となっており、最初の目撃から約1時間後の14時頃、Kさんと思われる女性が1人で下山している姿を見たというものでした。また、この証言をした人物はKさんに直接話しかけており、それによると目撃者が来るまで下山している最中に1人で歩くKさんを見かけ、「山奥を女性一人で歩くのは危ないから一緒に乗っていくか」と呼びかけたそうです。しかし、Kさんはこの申し出も断ってしまいました。目撃情報はこの2つが主なものだったのです。

しかし、これらの情報をもとに当時の足取りを確認すると、不審な点が浮かび上がります。不思議なことに、Kさんは1キロもない距離を約3時間もかけて歩いていたことになるのです。この距離は一般的な成人女性が歩くのに15分ほどしかかからないとされている長さでした。しかし、彼女はその余分な2時間45分をどのようにして過ごしていたのでしょうか。

そんな中、家でKさんの帰りを待つ家族はそのあまりの遅さに心配を募らせていきました。4日になっても彼女が帰らないことを受け、当時28歳だった姉が翌15日に霧積温泉へと向かい、その行方を追っています。
そして、16日の朝にはKさんの父親が伊勢佐木署に捜索願を提出し、さらに家族と近所の人たちとで独自の捜索隊を組み、総勢10名で霧積温泉付近のハイキングコースや林道など、彼女が通っていたであろう道を捜索しています。

しばらくすると、園庭の横に小屋があるのを発見し、近づいてみると大量のハエが確認できました。これを見た父親たち捜索隊は恐る恐る小屋の扉を開けます。すると、そこには変わり果てた姿のKさんが倒れていたのです。
それを受けた捜索隊はすぐさま警察に通報し、事件が発覚しました。

そして、翌日の1972年8月17日、警察は松井田所に捜査本部を設置し、連日200人以上の捜査員を動員して情報の収集にあたっています。また、その中で事件当日に霧積温泉を訪れていた客や登山客の間、従業員や霧積ダム建設工事現場で働いていた作業員などに対するアリバイ確認も行いました。しかし、宿泊客の中には偽名を使って止まっている人物もいたため、なかなかそうした人物の特定ができず、捜査は難航します。

それでも警察職員は必死の捜査を続け、県内の変質者や前科がある人物の洗い出しを徹底しました。そして、そこからさらに重大なアリバイのある十数人をピックアップし、事件から1カ月半後には犯行時間帯のアリバイがない人物や過去に起こした事件の手口に類似性がある人物の5人を容疑者として絞り込んでいます。

しかし、その後、この5人は犯人の可能性が低いとされたため、いずれも捜査対象から外されました。そこで次に捜査が目を付けたのは事件現場の立地でした。小屋はかなり山奥に位置しており、そのことから犯人は車で現場に来たであろうことが推測されました。捜査本部は現場周辺の聞き込み調査を行ったところ、犯行のあったとみられる13日には付近約6キロの間に30代前後の車が駐車していたということが判明しました。

それらの情報を受けて、捜査本部は車両検問を実施するなどしてドライバーに対する徹底的な捜査を行いました。しかし、ここでも有力な情報は得られませんでした。ここまで一向に新たな情報を得られないでいる警察でした。

そんな中、現場に残されたいくつかの痕跡から犯人像を割り出しにかかります。
小屋には軍手の痕跡があったことや、床には地下足袋の足跡があったことなどから、釣り人の可能性が高いとされました。

しかし、後になって床に残されていた地下足袋の足跡は事件当日よりも前につけられたものだということが判明し、この痕跡は意味をなさないことになってしまいました。

その後も捜査員は現場に残されたKさんの所持品の一つであるカメラのフィルムを確認しました。すると、その中には全部で5枚の写真が残されていたのです。
しかもそれは事件当日の8月13日に撮影されていたことが判明します。
そのうち最初の2枚は金湯館をチェックアウトする前の午前九時ごろに男子学生に頼んで撮ってもらった記念写真だったのですが、問題は続く3枚目から5枚目の写真なのです。
そこにはKさん本人が映っておりそこに写っていた背景などから旅館を出た後の道中で誰かに撮影してもらったものだということがわかります。
目撃証言すら少ない中彼女の写真を撮っていた人物は一体何者だったのでしょうか?

この記事を新聞が乗せるとその日の夜にこの写真は私が撮ったという電話がかかってきたのです。
電話の相手は石田と名乗る男性でこの情報が捜査本部にも伝えられると捜査関係者の間では事件解決に大きく近づくのではないかとの期待が高まりました。

しかし石田と名乗ったその男が捜査本部に現れることはなく、警察が確認を行ったところ彼が話していた名前や住所、勤務先などは全てデタラメだったということが発覚したのです。
そのためこの電話は事件と関係のない第三者によるいたずら電話だろうとの結論が付けられています。
最終的に3枚目から5枚目までの写真を撮った人物の特定には至らず、この写真が捜査に進展をもたらすことはありませんでした。

そうしてその後も有力な情報を得られないまま時は流れ、事件発生から1年間で延べ8000人の捜査員を動員捜査対象者は6000人にも上ったこの事件は1987年8月に公訴時効が成立しました。

K子さんの不可解な言動について

金湯館を訪れるのが3度目にも関わらず、「初めて来た」と伝えたK子さんの言動について、以下3つの可能性が推理されます。

1. 記憶の誤りまたは混乱:被害者が何らかの理由で自身が「金湯館」を訪れた回数を誤って覚えていた、または混乱していた可能性があります。これは、ストレス、疲労、または一時的な精神的な混乱など、さまざまな要因によって引き起こされる可能性があります。

2. 意図的な虚偽: 被害者が何らかの理由で意図的に「初めて来た」と伝えた可能性もあります。これは、自身のプライバシーを保護するため、または何らかの個人的な理由(例えば、特定の人物から身を隠すためなど)からである可能性があります。

3. アスペルガー症候群の影響: 記事によれば、被害者はアスペルガー症候群の可能性が指摘されています。この症状は、社会的な相互作用やコミュニケーションに困難をもたらす可能性があり、その結果、彼女が「初めて来た」と誤って伝えた可能性もあります。

犯人を推理する

記事によると、犯人として最も有力視されているのは、被害者の死の直前に彼女を撮影した釣り人です。以下にその推理を詳述します。

この釣り人は、被害者から写真を撮ってほしいと頼まれ、その後何事もなく別れたと証言しています。しかし、警察がこの男性を調査したところ、彼が証言した住所にはその名前の人物は存在しないことが判明しました。

さらに、この男性は新聞で事件を知ったと証言していますが、事件が報じられたのは地元の新聞である上毛新聞だけでした。つまり、彼が指定した住所である世田谷区に住んでいる人間が事件のことを目にする機会はほとんどなかったはずです。

これらの事実から、この釣り人が犯人である可能性が非常に高いと推測されます。彼が虚偽の情報を提供した理由、そして被害者の死の直前に彼女を撮影した理由は、彼が事件に関与していた可能性を強く示唆しています。

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