高校時代、菜子という友人がいた。
名前を仮にそうしておくが、今でも彼女の存在は、埃をかぶった古いアルバムのように記憶の奥にしまわれている。そして、ふとした拍子にその表紙がめくられ、中の写真が眩しく脈打つ。
クラスは文系で、女子が多かった。
自分たちはいわゆる「オタク系」グループで、クラスの中心にはいなかったが、周囲に気を遣わない分、内輪の絆は強かった。仲間はみんな個性的だったけれど、その中でも菜子は異質だった。
彼女は腰まである長い黒髪をずっと梳いていないような雰囲気で、髪のボリュームが季節に比例して増殖していた。水泳の授業でも脇の毛を処理していなかったので、正直言えば目立っていた。でも、誰よりも優しく、よく笑い、人の話を真剣に聞く子だった。
とりわけ、私のことを不自然なほど特別扱いしてくれた。何をしても、どんな愚痴をこぼしても「順ちゃんは素敵だよ」と言ってくれた。私はそんな彼女が少し不思議で、少し嬉しかった。
ある日、私は「卒業したら初めて付き合った人と結婚したいなー」と言った。十代特有の漠然とした未来の夢だ。すると菜子は、目をキラキラさせて、やたら真剣な声で返してきた。
「そうだよね! 結婚するまでは、男の人に身体を許しちゃだめだよね!」
「私たちは純潔を守ろうね! 昔の女の子のほうが、正しいことを知ってたよね!」
あまりの熱意に私はちょっと引いたが、笑ってごまかした。
思えば、あの時から菜子の言葉には「自分の信念」というより「どこかから借りてきた信条」が混じっていた気がする。
卒業間際、菜子は突然転校した。家庭の事情だと告げられた。引っ越す直前、彼女は「順ちゃんにぜひ読んでほしい」と言って、本を2冊くれた。ぶ厚いハードカバーに手作りのブックカバー付き。
中身を開いてみると、どうも新興宗教の教祖が書いた本だった。奥付から判断すると、その筋では名の知れた団体のようだった。「教祖様がいかに偉大か」「世界の要人と面会している」などが書かれていた(というか、ほぼそれだけだった)。
「順ちゃんなら、きっと分かると思って」
と、彼女は笑った。
それから、私の実家にはハガキが届くようになった。封書ではない。毎回ハガキ。理由は「切手代がもったいないから」だった。文字はびっしりと小さく、虫眼鏡でもなければ読めないレベルで、書かれているのは信仰の話や、私を思う気持ち、世界の真理などについて。
今なら分かる。あれは「ラブレター」と「布教」が融合した手紙だった。
そしてある時、韓国の語学院に語学留学したと連絡が来た。異様なのは、電話番号まで書いてあり、「電話をしてほしい」と何度も強調していたことだった。私は半信半疑で国際電話をかけた。
「すごく寂しかった。順ちゃんの声を聞けて本当に嬉しい」
そう言って、彼女は泣きそうな声だった。
共鳴した。自分も故郷を離れたばかりで、慣れない大学生活に疲れていた。しばらくのあいだ、私は彼女に何度も電話をかけた。今思えば、おかしい話だった。切手代を節約する家庭が、どうして留学などできたのか。なぜ、語学院の詳細は一切書かれていなかったのか。
数週間後、電話代が月5万円を超えていることを知った。
ようやく「これは普通じゃない」と思った。
だが、その頃には私も学業と生活に疲れ果て、実家に届くハガキへの返信も滞るようになった。そして、ある日届いたのが、びっしりと小さな字で綴られたハガキ。
「私、順ちゃんに何か悪いことしちゃったかな? きっと知らないうちに、順ちゃんの純粋で繊細な心を、傷つけてしまったんだね……。ごめんなさい、ごめんなさい……」
その謝罪は、もはや懺悔のようだった。そして、その瞬間、初めて確信した。
――菜子はもう、「自分」という存在を、何か別のものに明け渡している、と。
教祖。教団。信仰。
そうしたものが彼女のアイデンティティを上書きしてしまったのだ。
思い返せば、彼女は歴史の授業中、韓国併合の話に触れた際に突然手を上げて、「“朝鮮”という言葉は差別的だから使わないでください」と言ったことがあった。授業が中断されたのは、それが初めてだった。あの時点で、すでに彼女は「別の世界」の住人だったのかもしれない。
やがて、ハガキも来なくなった。何年か経ち、気になって留学前の住所に手紙を出してみたが、「宛先人不明」で戻ってきた。
姿を消した菜子のことを、私は心の片隅でずっと気にしていた。
彼女はどこにいるのだろう。まだ信じているのだろうか。何かを救いだと思って。
宗教は人を変える。
ときに救い、ときに呪縛になる。
悪いのは教義ではない。だが、教義に染まっていく過程で「個」が失われる瞬間を、私は菜子の姿に見た。
そして、もっと怖いのは、あれほど仲が良かった私たちのグループの誰一人として、その後、菜子の名前を口にしなくなったことだった。
みんな同じようなハガキを受け取っていたのかもしれない。気づいていたのかもしれない。そして、黙っていたのかもしれない。
近々、高校の仲間と会う予定がある。
その時、誰かに訊いてみようと思っている。
「菜子のこと、覚えてる?」と。
追伸
菜子が信じていたものが、彼女自身を救っていたのか、搾取していたのか、それは今でもわからない。
ただひとつ確かなのは、彼女は私に対して一度も攻撃的ではなかったし、決して無理やり何かを押しつけようとはしなかったということだ。むしろ彼女は、何か大きなものに自分を捧げることで、世の中の不安や曖昧さから逃れようとしていたように見える。
人は皆、何かを信じて生きている。
愛とか、神とか、国家とか、貨幣価値とか。
私たちは思っている以上に、日々の行動を「見えないもの」に委ねている。
だから本当は、宗教を笑う資格なんて誰にもないのかもしれない。
けれど、菜子がその「見えないもの」の中で、自分をどんどん細くしていったこと――そのことだけが、今も引っかかっている。
あのとき私がもう少し彼女の話を聞いていたら。
もう少しだけ返信を書いていたら。
何かが違っていたのだろうか。
多分、それは傲慢な考えだ。
それでも今でもときどき、あのびっしりと細かい文字のハガキを、夜中に思い出すことがある。忘れたくても忘れられない、という種類の記憶が、人にはあるのだと思う。
次に昔の友人たちに会ったときには、誰かに尋ねてみるつもりだ。
声のトーンを低めにして、さりげなく。
「菜子のこと、覚えてる?」と。
[出典:2008/08/09(土) 02:02:29 ID:Rp4Q0sFt0]