新Q地区の話を最初に聞いたとき、俺は祟りだの呪いだのより先に、不動産屋のアキバが弱っていることのほうが気になった。
酒の席で、あいつは珍しく自分からグラスを置いた。
「また一軒、葬式が出た」
新Q地区は、駅前開発の名残みたいな場所だった。バブルの頃に新駅を作って、その周辺をまとめて住宅地に変える計画だったらしい。高層マンションも商業施設もできるはずだったが、景気が崩れて話は途中で止まった。結局、家だけがところどころに建ち、そのあいだに畑の名残や空き地が取り残された。新しいのに、妙に古い土地の沈黙が残っている。そんな街だ。
「病気が二人、事故が二人、それから一家四人。半年でこれだぞ。三十軒しかない区画で」
アキバはそう言って、指で卓上を叩いた。
「しかもな、みんな死ぬ前に似たようなこと言ってる」
そこを先に言えと思った。
聞くと、どの家でも寝室のことで揉めていたらしい。子どもが夜中に泣いて親の布団へ来るとか、そういう話ではない。家族全員が、いつの間にか同じ側へ寄って寝るようになる。広いベッドでも、布団を二枚敷いていても、朝になると全員が壁際へ詰めている。反対側は不自然なくらい空く。小さい子は、誰もいない空いた側に向かって「こっちにもいるから」と言う。夫婦だけの家でも同じで、夜中に目を覚ますと、自分でも理由が分からないまま端へ寄っている。
「ただの寝相じゃないのか」と言ったら、アキバは首を振った。
「最初はみんなそう思う。でも、そのうち布団の位置そのものが動く。畳に敷いてた布団が、朝になると庭側へ半尺くらい寄ってる。ベッドの家は、枕だけがずれてる。寝てるあいだに自分でやったって言われりゃそれまでだけど、全員が同じ向きなんだよ」
新Q地区の奥には、小さな公園と、その先に草の伸びた荒地があった。計画だけあって放置されたような細長い土地で、周囲に新しい家があるぶん、そこだけ妙に古びて見えた。
後日、昼間にアキバと歩いた。死者が出た家は、どれもその荒地に寝室の窓を向けていた。偶然にしては揃いすぎていた。
「地鎮祭はやった。前の地主も何も言わなかった。なのに住民がこんな調子じゃ、売ったこっちが責められる」
アキバは疲れた顔で言った。
そのとき、ちょうどゴミ出しから戻ってきた女の人に呼び止められた。まだ三十代くらいの、顔色の悪い人だった。その家では去年、主人が通勤途中にトラックにはねられて死んでいる。
「夜、押してくるんです」
挨拶もそこそこに、その人は言った。
「誰もいないほうから。背中を。最初は主人だけが言ってたんです。寝ぼけてるんだと思って笑ってた。でも次は私で、次は子どもで……四人で川の字に寝てても、みんな同じほうへ押されるんです。落ちる場所なんかないのに、落ちないように端へ寄る感じで」
子どもは今、実家に預けているという。
「下の子がね、空いてるところ指さして、『ここ、重い』って言うんです」
それ以上は聞けなかった。
アキバは結局、知り合いづてに、そういう話に詳しい女を連れてきた。ウエノさんという人だった。霊能者らしい格好は何ひとつしていない。現地をひと回りして、すぐ荒地の前で立ち止まった。
「死んでる家じゃなくて、こっちだね」
「何があるんです」とアキバが聞くと、彼女は少し考えてから言った。
「古い使い方をされた土地だと思う。でも、今は形が違う」
それだけだった。
詳しい話は、近くにまだ昔を知っている人がいれば聞けるかもしれないと言うので、地主だった家を訪ねた。息子は何も知らないの一点張りだったが、奥から母親が出てきて、俺たちの顔を見るなり嫌そうに眉をひそめた。
「あそこ、まだ人が住んでるのかい」
八十は過ぎているはずなのに、声だけはやけにはっきりしていた。
「あれは、ごうちだよ」
聞き返しても、漢字は分からないと言う。昔からそう呼んでいただけらしい。
「捨てる土地だよ。不幸なこととか、家に置いとけないものとか、みんなあっちへ持ってった。物だけじゃない。口に出したくないこともだよ。だから子どもを近づけるなって言われてた」
「捨てるって、供養みたいなものですか」
そう聞いたのはアキバだったが、婆さんは首を振った。
「供養なんかじゃないよ。寄せるんだよ。集めるんだ」
その言い方がいやに引っかかった。
帰り際、婆さんはもうひとつだけ言った。
「昔は水が通ってた。細いのが。だから持っていけたんだろうねえ。でも今は、寝かせっぱなしだろ」
何を、とは聞かなかった。聞きたくなかった。
アキバは古い地図や航空写真を引っ張り出してきた。開発前の地形と今の区画図を見比べているうちに、あいつの顔色が変わった。
「これ、見えるか」
古い地図の荒地は、細長いくびれとふくらみのある、妙な輪郭をしていた。そう言われてしまえば人が横を向いて寝ているようにも見える、くらいの話だ。だが今の新Q地区の分譲配置を重ねると、そのすぐそばに、小さな塊がぴたりと寄り添う形になっていた。
親が子どもに添い寝しているみたいだと、アキバは言った。
俺は、その言い方をしてほしくなかった。
そのあと、住民から聞き取りをした。死んだ家だけではなく、まだ生きている家も回った。すると、新Q地区ではみんな似たようなことを口にした。
寝るとき、荒地のある側に背を向けたくなる。
寝室の窓は閉めているのに、明け方だけ水の音がする。
子どもが夜中に、空いた布団のぶんまで掛け布団を引っ張る。
夫婦喧嘩をした夜ほど、なぜかよく眠れる。
眠れた翌朝ほど、誰かがひどく消耗している。
ひとつひとつなら、どうとでも説明できる。だが同じ区画の中だけで重なると、説明はだんだん気休めになる。
アキバは住民の不安を抑えるため、荒地の草刈りをし、公園側に柵をつけ、水が溜まりやすい窪地を掘り直した。昔そこに水路があったらしいと聞いて、細い流れも作った。表向きは環境整備だ。ウエノさんも来て、荒地の端で小さく手を合わせていた。
それで一応、騒ぎは落ち着いた。
死者も途切れた。
アキバは少し持ち直し、住民も露骨には何も言わなくなった。売れ残っていた一軒にも、若い夫婦と赤ん坊が入った。俺も、あの話はあの土地なりに収まったのかもしれないと思いかけた。
半年後、その夫婦からアキバに連絡があった。
赤ん坊が寝返りもできないのに、毎朝同じ側へ寄っているという。ベビーベッドの中央に寝かせても、朝になると必ず柵の端に頬を押しつけている。しかも、空いているほうに向かって、夜中ずっと笑っているらしい。
さすがに気味が悪いので寝室を変えたが、今度は夫婦の布団が寄るようになった。
その家に行った日、寝室の窓の外では、整備されたはずの細い水路にほとんど水は流れていなかった。雨も降っていないのに、底だけが黒く濡れていた。
帰り際、奥さんが言った。
「ここに越してから、変なことがあるんです。夫が寝言で、毎晩おなじことを言うんです」
何て言うんですかと聞くと、奥さんは少しためらってから答えた。
「狭いから、もう少し詰めて、って」
その夜、俺は古い航空写真と今の区画図を並べたまま、机でしばらく動けなかった。
見ようとして見たわけではない。縮尺を合わせて、画面を少し傾けたとき、ぴたりと重なっただけだ。
荒地の輪郭は、誰かが横向きで膝を抱えている形に見えた。
新Q地区の家並みは、その腹に顔を埋めるように寄っていた。
添い寝というより、あれは、潜り込んでいた。
それから先、俺は地図で新Q地区を開かないようにしている。夜に見ると、家の灯りが点くたび、あの形の内側だけが少しずつ埋まっていく気がするからだ。
この話を人にすると、たいてい「もう整備したんだろ」と言われる。
そうだ。表向きは終わっている。
ただ、アキバからは今でもたまに連絡が来る。新Q地区の住民で、寝室を別の部屋に移した家ほど、今度は家族の誰かが廊下や居間で寝るようになるらしい。理由を聞くと、みんな似た顔をして言う。
寝室は広すぎて、落ち着かない、と。
[出典:855:添い寝 2007/03/29(木) 15:30:36 ID:RJO9BJ3Y0]