祖母は生前、自分の家には神さまがいると言っていた。
それを冗談として受け取らなかったのは、祖母の言い方があまりにも生活に溶け込んでいたからだと思う。
仏壇と神棚が並んでいるのは、田舎では珍しくない。祖母は毎朝、同じ順序で水を替え、飯を供え、果物を置いた。誰かが見ていなくても、その作業は一度も省かれなかった。私が子どもの頃、その後ろに立っていると、祖母は決まって「神さまも見とるよ」と言った。
小学二年の秋、梨を供えたときだった。
祖母は果物を置いたまま、神棚を見上げて笑った。
「〇〇ちゃんは梨が好きやね。神さまと一緒やわ」
私が首を傾げると、祖母は一瞬だけ言葉を止めた。
そのあと、何かを確かめるように私の顔を見て、小さく息を吸った。
「あんた……見えんのかえ」
それ以上は言わなかった。
だが夜になって、誰にも言うなと前置きしたうえで、祖母は話し始めた。
神さまは名前を持たない。
昔からその家にいて、祖母が嫁いだときも一緒に来た。
姿は稚児の格好をした子どもで、背丈は梨ほど。
果物が好きで、供えたものには必ず触れる。
家の中なら動けるが、敷地の外には出られない。
それらは説明というより、注意事項のように語られた。
どう扱えばよいか、何をしてはいけないか。
祖母は神さまの由来や正体については、頑なに口を閉ざした。
「理由を知ろうとすると、向こうが黙る」
それだけ言って、話を切り上げた。
祖母が二十二で嫁ぐ前夜、神さまは初めて夢に現れたという。
そのとき神さまは、祖母について行くと言った。
ただし半分だけだ、と。
翌朝、神棚には何もいなかった。
それでも祖母は水を替え、果物を供えた。
嫁ぎ先へ向かう途中、一本橋の前で足が止まったとき、裾を引かれた感触があったという。
足元には、梨ほどの影があった。
祖母はそれを最後に語らなかった。
ただ、嫁ぎ先でも同じように神棚を整え、同じ作法を続けた。
私が成長してから、祖母はぽつりと漏らしたことがある。
「神さまが嫌うのは、乱す人や。ものやない」
その意味は当時わからなかった。
祖母が亡くなり、神棚の世話は母に引き継がれた。
母は神さまの存在を知らない。
水とバナナを供えるだけで、手順も順序も気にしない。
私は口を出さなかった。
秋になると、私は梨を置いた。
理由はない。ただ、そうしていた。
ある日、三歳の息子が神棚の前で立ち止まった。
手を合わせたあと、何もない空間を指さして言った。
「ちっちゃい子、こっち見とる」
私は笑って受け流そうとした。
だが息子は続けた。
「なんで、半分なん?」
その言葉が、どこから出てきたのかはわからない。
祖母の話はしていない。
私自身、半分という言葉を口にした覚えもない。
夜、神棚の前で一人になった。
梨は、皮が一部だけ剥かれていた。
齧った跡ではない。
両手で抱えたような、押された痕だった。
そのとき初めて、私は考えた。
祖母が言っていた「世話をする者」とは、作法のことではなかったのではないか。
見ることでも、信じることでもない。
ただ、気づかないふりをしないことだったのではないか。
息子は男の子だ。
血筋の話を信じるなら、見えるはずがない。
だが、神さまが何を基準に半分を決めたのか、祖母は一度も説明しなかった。
今も梨は供えている。
食べる前に、必ず重さを確かめるようになった。
減っていなくても、軽く感じる日がある。
神さまがいるのかどうかは、もう重要ではない。
問題は、どこまでを世話と呼ぶのか。
そして、誰がそれを引き継いだことになるのかだ。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「凪 ◆vUe86tyg」 2018/11/21]