沈丁花の香りがすると、足が止まる。
それがいつからなのか、自分でもはっきりしない。気づけば春先になるたび、理由もなく歩調が乱れ、視線が低くなり、無意識に道端の植え込みを探すようになっていた。
中学生の頃、私は通学路を守らない子どもだった。決められた道より、山裾を縫うように伸びる細い小道のほうが面白かったし、早かった。人気も街灯もなく、雨が降ればぬかるむような道だったが、春には野いちごが実り、秋にはアケビが割れる。近道のはずが寄り道になり、結局いつも同じ時間に家へ着く。それが不思議と苦にならなかった。
その小道を抜けた先に、沈丁花の多い一角があった。庭先や塀の脇、門扉の影。どの家も示し合わせたように同じ低木を植えていて、春先になると一帯が香りに満たされた。花そのものは地味なのに、匂いだけが異様に強く、遠くからでもわかる。目より先に鼻が季節を知らせる場所だった。
ある日の午後、部活が休みで早く帰れた私は、その道を歩いていた。日はまだ高く、風もなく、沈丁花の香りが濃かった。少し先の道端に、しゃがみ込んでいる人影が見えた。灰色の毛糸帽子。反射的に祖母だと思った。
声をかけると、やはり祖母だった。驚いたように顔を上げ、私だとわかると胸を撫で下ろす。そのまま隣にしゃがみ込むと、視線の先には小さなお堂があった。ブロック積みの壁にトタン屋根。中には石造りの地蔵が二体。赤い頭巾とよだれかけは色褪せ、文字のようなものがかすれて残っている。
祖母が手を合わせるのを見て、私も倣った。そのとき、香りが強くなった気がした。沈丁花が、お堂のすぐ脇で満開になっていた。
香りに引かれるように、突然、記憶が立ち上がった。
幼い頃、ここで遊んだ光景だ。手をつないで花いちもんめをしている。私と兄たち、近所の子。数を数えようとして、ふと引っかかる。七人いるはずなのに、名前を思い出せるのは四人分しかない。残りの三人は、顔も声も曖昧で、ただそこにいたという感触だけが残っている。
私は祖母に尋ねた。昔、ここで遊んでいたとき、知らない子はいなかったかと。
祖母は一瞬だけ言葉を詰まらせ、地蔵のよだれかけを指さした。掠れた文字。名前と年号らしきもの。私が遊んでいた相手は、この地蔵たちだと言った。
それ以上、祖母は多くを語らなかった。ただ、昔この裏手に池があり、子どもが落ちたことがある、とだけ言った。詳しい話は聞かなかったし、聞く気にもならなかった。香りが強すぎて、頭の奥がぼんやりしていた。
それから二十年近くが過ぎた。
祖母は亡くなり、私は親になった。あの小道は舗装され、池のあった場所には何も残っていない。それでも、お堂だけはそのまま残っている。沈丁花も変わらず咲く。
不思議なことに、地蔵の頭巾とよだれかけは、あの頃と同じ色のままだ。誰かが新しいものを供えている気配はあるのに、必ず元のものに戻っている。風で落ちたのではない。外され、戻されている。
ある年、息子と散歩をしていて、私は無意識にそのお堂を素通りしようとした。すると息子が私の手を引き、「ダメ」と言った。どうして、と聞くと、首を傾げて、当たり前のように答えた。
ここは、数が合わなくなる場所だから。
意味がわからず立ち尽くす私の足元で、沈丁花の香りが立ち上った。その瞬間、幼い頃の記憶が、ひとつ増えた。
花いちもんめの輪の中に、確かにいた三人目。男でも女でもない。年齢も曖昧。ただ、少し先の未来から迷い込んできたような、奇妙な違和感だけが残る子ども。
私は息子の手を握り、地蔵の前で手を合わせた。息子は、数えるように指を折りながら、じっとお堂を見ている。
沈丁花の香りの中で、遊んでいたのは、誰だったのか。
今も、それは決まっていない。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「凪 ◆gRc5iHyE」 2019/02/27]