うちは父方の祖父が出雲地方の神主の家系だったらしい。そのせいか、子どもの頃、よく「白い人」を見ていた。
初詣に行くと、みんなは決まって本殿に向かう。あれが不思議で仕方なかった。俺はというと、本殿ではなく、大木の上からそれを見下ろしている白い人を見上げていたからだ。
こっちに白い人がおわすのに、なんで皆あっちに行くんだろう。そんなことを真剣に考えていた。
神社だけじゃない。飛行機の窓から山脈を見下ろすと、白い人がぽつぽつと座っているのが見えた。何もいない山も多いが、いるところには確かにいた。
春になると、小さな草花一つ一つに、小指の先ほどの白いお爺ちゃんが腰掛けていた。目が合うと、にっこり笑って、口元に指を当てて、しー、とやる。
だから俺は、皆には見えていないし、見たことを言ってもいけないんだなと理解して、ただ笑い返して誰にも話さなかった。
不思議なことは多かったが、大人になるにつれ、そういう白い人を見ることはなくなった。
それから年月が経ち、普通の大人になった。
数年前、健康づくりのために早朝のウォーキングにハマった時期があった。毎日同じ道を歩くのに飽きて、寺社仏閣を巡るコースに変えた。
川崎の住宅地に住んでいたが、近所の神社で御神体の鏡が朝日に照らされる様子を見られたりして、なかなか得した気分だった。
ある日、いつも登っている小高い山を、初めてのルートで下りた。すると今まで気づかなかった小さな神社を見つけた。
麓近くの、崖に囲まれた少し開けた場所に、小さな祠がぽつんとあるだけの社だった。
合戦で亡くなった両軍の兵士と、弁財天、水神を祀っているらしい。大正時代の干ばつの折、土地の名士の息子が三日三晩籠もって雨乞いをし、雨が降ったという由緒も書かれていた。
籠もるって、社もないのにどこにだよ、と思いながら参拝した。
祠の裏に回ると、崖に小さな洞窟が口を開けていた。入口は狭いが、奥はかなり深そうだった。
気が引けたが、好奇心に負けて中を覗いた。
洞窟の中は澄んだ水で満たされていた。池のように静かで、奥は暗く、どこまで続いているのかわからない。
真夏なのに、そこだけひんやりしていて、汗がすっと引いた。
奥まで見えないし、水も深そうだし、入れないな。そう思ったとき、奥からゆっくり泳いでくる白い影に気づいた。
それは大きな白い鯉だった。
鯉に詳しくないが、あんな白い鯉は初めて見た。見とれていると、鯉は入口付近でぴたりと止まり、頭をこちらに向けて動かなくなった。
水神、竜神、鯉。そんな連想が頭をよぎり、俺もじっと見返していた。
そのうち、引いたはずの汗が、別の種類の汗に変わった。冷や汗とも脂汗ともつかないものが、全身から噴き出してくる。
体温が下がっていくのがはっきりわかった。
この場には、俺と鯉以外にも、もう一つ視線がある。
頭上から、まっすぐ見下ろされている感覚。
嫌な予感を抱えたまま、顔を上げた。
崖の上、木々の間に、真っ白な和服を着た女が立っていた。
長い髪が顔を隠し、表情は見えない。おばさんか、お婆さんのようにも見えた。
祠の裏を覗いたから怒っているのか。
咄嗟に、近所の住民だと思い込もうとして、「すいません」と頭を下げた。
そしてそのまま、足早にその場を離れた。
だが歩きながら、どうしてもおかしい点が次々浮かんできた。
早朝五時だ。
崖はほぼ直角に近い急斜面だ。
あの場所に、あの格好で立てるはずがない。
それに、着物も帯も、なぜあんなに真っ白だったのか。
洞窟の白い鯉と、崖の上の白い女。
全身が粟立った。
家に帰り着いてからも、胸の奥の違和感が消えなかった。
あれは、昔見ていた白い人とはまったく違う。
あの頃の白い人は、衣を纏っていなかったし、畏れはあっても、あんなふうに体の芯まで冷え切ることはなかった。
それ以来、俺はその山に近づいていない。
あの洞窟の前に立ったとき、確かに「見られた」。
何を、ではない。
ただ、見られた。
[出典:767 :本当にあった怖い名無し:2008/08/18(月) 15:11:47 ID:6sDUDPQUO]