漫画『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が話題になっている。
この漫画は、エホバの証人の母のもとで育った著者・いしいさやさんが、自身の壮絶な体験を描いた作品だ。反響を呼んでおり、多くの人が共感を寄せている。
エホバの証人とは何かについては前回の記事で紹介されているが、今回は信者時代の生活について、いしいさんの告白を基に深く掘り下げていく。
宗教勧誘に「行く側」の子供だった
一般的に「宗教の勧誘」と聞くと、自宅に訪問されるイメージを持つ人が多いだろう。しかし、いしいさんは逆で「訪問する側」だった。しかも、本人の意思ではなく、母親に連れられて行く形だ。
この活動は非常に憂鬱だったという。休みの日は本来、絵を描いたり友達と遊んだりしたかったが、それを許されることはなかった。
訪問を受け入れてくれるのは、ほとんどが優しいお年寄りだけで、挑戦的な態度を取る人も多かった。しかし、信者たちは「真理を知らない可哀想な人」と考えていたため、何度断られても繰り返し訪問する。その行為自体は「親切心から」だったという。
また、子供のいしいさんがパンフレットを差し出すと、受け取ってもらえることが多かったため、母親は彼女を勧誘活動に連れて行った。それに備えて、訪問の仕方や声のかけ方などを徹底的に練習させられた。嫌な活動ではあったが、うまくやると大人に褒められるため、子供としては完全に否定しきれない部分もあったと振り返る。
特に辛かったのは、同級生の家を訪問したときだ。ある日、同級生の家に行くことを避けていた母が「時間が余ったので」と言って訪問を決定。チャイムを押すと同級生が現れ、その後ろで親が対応するという状況に、いしいさんは強い苦痛を感じた。
学校生活と「普通ではない」自分
いしいさんは学校でいじめられたわけではなかった。しかし、成長するにつれ、自分が「普通ではない」と気づくようになり、次第に孤立を深めた。
エホバの証人の子供は、競争や偶像崇拝が禁止されているため、運動会や行事への参加が制限される。誕生日を祝うことも禁じられており、そのため他の生徒から疎遠にされることが多かった。
ただ、同じような境遇の二世信者の友人ができることもあり、彼らとだけは打ち解けられたという。
また、集会や訪問活動が強制される日々の中で、自分を「普通」とすることを諦め、図書室に入り浸るようになった。声をかけてくれる優しい子がいても、いしいさん自身が壁を作り、自ら孤独を選んでいた。
宗教の教えと「おしおき」
いしいさんにとって、宗教生活で最も辛かったのは母からの「おしおき」だった。教えに反する言動をした場合、母はムチで彼女を叩いたという。
エホバの証人では聖書の言葉をそのまま受け取り、「しつけにはムチが必要」と解釈する。いしいさんの家では、細いムチと太いムチを選ばされ、直接肌を叩かれることが常だった。叩かれる前には何が悪かったのかを反省させられ、「お願いします」と自分から願い出る形を取らされた。そして、叩かれた後には「ありがとうございました」と言わなければならなかった。
それでも母親は、叩いた後に抱きしめ「嫌いだからではない」と語ったという。集会では、他の信者たちが「どんなムチがいいか」を雑談しており、いしいさんはそれを聞いて不信感を募らせていった。
ムチによるしつけが「おかしい」と気づいたのは、小学校中学年頃。他の家の子供が親に叱られる際、ムチではなく言葉や態度で叱られていることを知った時だった。
エホバの証人への反発
いしいさんが成長するにつれ、エホバの証人の教えに対して違和感を抱くようになった。その一因は、自身が内向的な性格だったことだと語る。もし、コミュニケーション能力が高ければ、信者コミュニティ内で関係を築き、ある意味で「幸せ」を見つけられたかもしれない。しかし、いしいさんは徐々に教えに反発するようになった。
恋愛に関しても、信者同士でしか認められず、外部の人との交際は禁止されていた。また、内部であっても親や信者仲間の監視下でしかデートができないため、恋愛は極めて制約の多いものだった。
結婚についても、聖書に「成熟した男女が結婚するのが望ましい」と記されているため、若年での結婚は推奨されない。さらに「ハルマゲドン後の楽園で結婚したい」という考えを持つ信者が多く、結婚や出産は先送りされる傾向があった。
いしいさんの母親は婚前交渉禁止という教えに共感し、その潔癖な性格から、エホバの証人の教えに強く惹かれたのかもしれないといしいさんは考える。しかし、その反動で、いしいさん自身は性に対する興味を強め、教えへの反発心を育てていった。
婚前交渉による決別
高校卒業後、母親が体調を崩したことをきっかけに、いしいさんはエホバの証人から少しずつ距離を取るようになった。しかし、完全に離れるには、幼少期から染みついた教えの影響を断ち切る必要があった。
いしいさんは、エホバの証人と決別するために最大の反発を行った。それが婚前交渉だった。初めての相手は、専門学校の先輩で、特別な感情はなかったという。彼女にとって婚前交渉は、「戻らないための決意」の象徴だった。
その行為後には「これで楽園には行けない」「ハルマゲドンで死ぬ」と感じたが、それはむしろ「やっと死ねる」という解放感でもあったと振り返る。
決定打となった一冊の小説
いしいさんがエホバの証人から完全に訣別する決意をしたのは、滝本竜彦の小説『NHKにようこそ!』を読んだことがきっかけだった。この本には、新興宗教の二世信者の少女が登場する場面があり、その内容がいしいさんの状況と重なった。
本来、この本はエホバの証人の教えでは「読むべきではない」とされていたが、高校の図書館で偶然手に取り、興味本位で読んだ。その中で、自分の環境が「やはりおかしい」と確信を持つようになり、大きな解放感と共に「自分の道を歩きたい」と思うようになった。
母親に「集会に行きたくない」と打ち明けた際には、母から様々な否定的な言葉を浴びせられた。それでもいしいさんは、「本当は全部嫌だった」と気持ちをぶちまけた。その結果、エホバの証人を抜け出し、自分の道を歩む決意を固めた。
漫画執筆の背景
いしいさんは自身の経験を基に漫画を執筆した。その狙いは、信仰そのものを否定することではなく、家庭における「子供への強制」の問題を考えるきっかけを提供することだと語る。
エホバの証人において、洗礼〈バプテスマ〉を受けるまでは「研究生」と呼ばれる。いしいさんの母が研究生になったのは、いしいさんが幼稚園の頃。そして、母が洗礼を受けたのは、いしいさんが小学5年生の時だった。いしいさん自身は、教えに納得できていないため洗礼を受けることはなかった。
家庭では、信者でない父親が母の信仰に干渉しなかったため、母親の活動がいしいさんにとって強制的なものとなった。また、いしいさんの祖父母も別の新興宗教の信者だったことから、母自身も二世信者として育ち、エホバの証人に惹かれる一因となったと考えられる。
祖父だけは、いしいさんを心配し、宗教活動を休ませて遊びに連れ出すなど配慮してくれた。しかし、祖父の葬儀でエホバの証人の教えによりお焼香をできなかったことは、いしいさんにとって大きな悲しみだった。
宗教と家庭環境の問題
いしいさんは、漫画の執筆を通じて「信仰の自由」を否定するつもりはないと語る。人がどのような主義や生活を選ぶかは個人の自由であり、宗教もその一つだと考えている。しかし、その宗教が家庭内で強制される場合、特に子供にとっては「普通」と思い込むしかない状況が生まれる。
子供は自分の家庭や親を選べない。そのため、宗教生活が「世間一般の普通」とどれほどズレていても、気づくまでは疑問を持つことができない。そして、気づいた時には、孤独や戸惑いを抱えることになる。いしいさんがこの漫画を通じて伝えたいのは、そうした子供たちが置かれる状況を社会全体が認識し、考える必要があるという点だ。
漫画への反響といしいさんの願い
いしいさんの漫画には、「共感した」「よく分かる」という声が多く寄せられた。こうした反応は、エホバの証人や新興宗教の信者だからという理由だけではなく、家庭内で親に支配される「毒親」の問題に通じる部分があるからだといしいさんは考えている。
エホバの証人の教えを強制された自らの経験を描きながら、いしいさんは読者に辛い体験を想起させる可能性があることも理解している。だからこそ、「無理をせず、読める人だけ読んでほしい」と願っている。
いしいさんが漫画を描いた動機は、過去の辛い経験を克服するための一つの手段であり、同じような境遇にいる人々に考えるきっかけを提供することだ。その背景には、「信仰は自由であるべきだが、子供への強制は再考するべきではないか」という強い思いがある。
この漫画は、単にエホバの証人の生活を描いた作品ではなく、宗教を背景とした家庭問題や親子関係の在り方を問う作品でもある。読者に「自分の環境」や「子供への影響」を考えさせる力を持った作品だといえる。
いしいさんは、自身の体験が誰かの人生を見直す一助になることを望んでいる。そして、この漫画を通じて「誰もが自由に生きられる社会」について考えるきっかけを提供し続けたいと考えている。
(前編はこちらから→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54011)
[出典:「エホバの証人の活動のなかで、最もつらかったこと」元信者が告白 現代ビジネス Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180108-00054012-gendaibiz-bus_all ]