遥か昔、天下統一が果たされるよりも前のこと――。
ある国の忍びの頭領に仕える朱姫(あけひめ)というくノ一がいた。彼女は容姿を自在に変える術に長け、色仕掛けで敵国の要人を暗殺することを得意とした。しかし、彼女の暗殺は刃や毒を使うものではなかった。呪いの歌――それが彼女の武器だったのだ。
朱姫は、殿方と寝所を共にし、寄り添いながらその歌を歌う。その声を聞いた男は、翌朝には老衰して息絶えていた。疑いの目は朱姫に向けられるものの、彼女の変装は完璧で、正体が露見することは決してなかった。
やがて戦乱が終わりを迎える頃、朱姫も忍びの役目を離れ、女としての幸せを求めるようになる。彼女は一人の男と激しく恋に落ち、めでたく結ばれた。そして待望の子を授かるが、生まれたのは美しい女の子。時代の掟として、男子を望まねばならなかったが、夫は優しく、娘にも愛情深く接した。
しかし、二人目、三人目、そして四人目と、生まれる子はすべて女児だった。周囲からの冷たい視線、家督への焦り――ついに夫は側室を迎え、その側室が男子を授かる。裏切られた朱姫の心は、怒りと嫉妬に塗りつぶされ、ついに夫にあの呪いの歌を歌ってしまう。夫は翌朝、静かに息絶えた。
すべてを失った朱姫は、娘たちを連れて山奥に隠れ住む。しかし、年月が経つにつれ、彼女の心は次第に歪み、狂気へと変わる。子孫を絶やさぬために、山を下りては娘たちのために男を攫い、無理やり子を成させたのだ。そして、呪いの歌を娘たちに継承していく。
朱姫の娘たちが産む子供は、例外なく女――。その異常さに気づきながらも、彼女は認めようとしなかった。そして、ついに女だけの《村》が作られた。攫われた男たちは娘たちに呪いの歌を教えるための実験台とされ、男はただ利用するものだと教え込まれていった。
しかし、朱姫が七十歳を超えた頃、世代が進む中で一人の娘が愛を知る。朱姫の玄孫にあたるその娘は、ある男と恋に落ち、村を逃げ出す。しかし、その行動が女村の存在を世に知らしめ、やがて村は人々の手によって闇に葬られたのだった。
呪いの歌は、ただ継承され続けた。その呪いは「27代先まで女児しか生まれず、歌が使われるたびに新たな27代の呪いが加算される」というもの。歌を使わなければ呪いは解けるが、一度でも殺めればその終わりはさらに遠のく。
時は流れ、現代――。
私の母は四姉妹、そして私も三姉妹。私たちは初潮を迎えると、呪いの歌について母から語り聞かされた。私自身も母から歌を教わったが、「決して歌ってはならない」ときつく戒められた。
私はこの歌について調べたが、文献には一切残っていない。歌の概要は、古い日本語とお経のような意味不明な言葉の連なり。そして中盤からは「死者の世界の言葉」ではないかと感じた。逆さ言葉に変換し、再生することで初めて聞こえるという不可解な特徴もあった。
死後の世界は全てが反転する――。
そう考えた私は、歌の中盤からの意味が、現世とあの世をつなぐ鍵なのではないかと思った。しかし、その真実に触れることはできないまま、歌はただ受け継がれ続けている。
呪いは終わることなく、今も続いている。迷信なのか真実なのか――それを確かめる勇気は、私にはない。だが、私の娘にこの呪いを伝える日が来たら、その時、私はどうするのだろうか。
追伸:祖母から聞いた話。
朱姫は、忍びの頭目として仕えた相手が、城主ではなく大名だったという。
朱姫が初めて「呪いの歌」を歌ったのは十三歳の頃らしい。相手が誰だったのかはわからない。つまり十三歳で……初めてその任務を果たした、ということだろうか。
幼い頃の朱姫は、今でいう大人びた少女だったらしい。彼女の出自は不明だが、仕えた大名によって幼い頃から育てられ、その後、その大名の配下である侍たちを取りまとめるようになったという。
「それって忍びじゃないの?」と祖母に尋ねると、少し考え込んだ後、「うぅ~ん……」と歯切れが悪かった。結局のところ、侍も朱姫も身軽だったことから、扱いとしては忍びに近いのだろう、と自分なりに解釈した。
しかし、呪いの歌という、確実性に欠ける暗殺方法がなぜ採用されたのか。その理由を祖母に尋ねると、彼女はこう答えた。
朱姫が最初に任務を課されたのは十三歳。見た目は大人びていても、所詮は子供であり、しかも女。力では到底、男に敵うはずもない。だからこそ、寝屋で呪いの歌を使う方法が選ばれたのだろう、と。
「それなら、宴の席で大勢を一斉に呪い殺すこともできたのでは?」と聞いてみたが、祖母はまたしても似たような答えだった。幼い少女が敵方に囲まれるのは危険すぎたのだろう。
加えて、呪術というものは「強い繋がり」が必要だという。単に歌を聞かせるだけでは効果はないらしい。
朱姫以前に呪いの歌を使う者がいたのか、彼女の誕生に関する詳細も不明だ。ただし、地域は今の甲信越地方の山間部だと伝えられている。
朱姫は、どこかの忍びの集団に属していたというより、持ち物――正確な表現かはわからないが――大名個人の「所有物」のような立場だったらしい。
それから……この話をするのは少し躊躇うが、思いのほか身近なところで「呪いの歌」が使われたことがあるようだ。祖母のひい祖父は酒癖が悪かったらしく、ひい祖母が彼に向けて呪いの歌を歌った、というのだ。
もちろん、祖母が私を怖がらせるために作り話をした可能性もある。しかし、もし呪いが事実なら、少なくとも二十二代先まで「女児しか生まれない」という呪いが続くことになるのかもしれない。
(了)
[2: 本当にあった怖い名無し:2015/03/09(月) 23:09:31.12 ID:8GJbW9d20.net]