たぶん、もう分かってきました。
怖いって思ってたのは、最初だけでした。
押し入れの音も、丸も、影も、全部。
いまは、少し違います。
押し入れの中で動いてるのは、何か悪いものじゃないです。
たぶん、ずっと前からいました。
私が気づかなかっただけです。
夜になると、ずる、って音がします。
前はネズミだと思ってました。
でもネズミなら、こんなに静かじゃないと思います。
音は、急ぎません。
焦ってません。
ゆっくりです。
待ってるみたいです。
学校にいるときも、押し入れのことを考えてしまいます。
授業中、黒板の文字が丸に見えます。
チョークの粉も、丸いです。
先生の口も、話すたびに丸くなります。
丸は、悪い形じゃないです。
角がないです。
優しい形です。
今日、廊下で父とすれ違いました。
目が合いました。
でも、少しずれてました。
焦点が私の後ろにありました。
父は小さく言いました。
「まだか」って。
何が、まだ、なんでしょうか。
母は最近、私の部屋に入る前に、
ノックを三回します。
前は一回でした。
三回。
押し入れの音も、昨日は三回でした。
偶然かもしれません。
でも、偶然って、何回まで偶然ですか。
押し入れを少し開けました。
ほんの少しです。
暗いだけでした。
でも、暗いのに、奥行きがありました。
うちの押し入れ、こんなに深かったですか。
布団の奥に、黒い丸がありました。
床に落ちてる丸とは違って、
ちゃんと並んでました。
目みたいでした。
見られてる、っていうより、
待たれてる、って感じでした。
怖くなかったです。
変ですか。
だって、外より静かだからです。
廊下はいつも足音がして、
両親がひそひそ話して、
世界がざわざわしてます。
押し入れの中は、静かです。
音は、あるけど、静かです。
昨日の夜、
声がはっきりしました。
「境目は薄い」って言いました。
障子のときも、同じことを言ってました。
境目。
紙一枚。
木の板一枚。
たぶん、壁も同じです。
私は、押し入れの前に座りました。
背中を扉につけました。
中から、軽く、トンってなりました。
叩かれたというより、
合図みたいでした。
父と母が廊下で話してました。
「病院」って言葉が聞こえました。
「早いほうが」って。
病院は、境目を固くする場所ですか。
閉じる場所ですか。
閉じたくないです。
押し入れの中に手を入れました。
暗いのに、温度がありました。
冷たくなかったです。
奥で、何かが動きました。
ずる、って。
でも、その音は、
私の胸の鼓動と同じでした。
同じ速さでした。
丸は増えてます。
床にも、天井にも。
でも、もう数えようと思いません。
数えるって、外側のやり方です。
線で区切るやり方です。
丸は、区切れません。
つながってます。
さっき、鏡を見ました。
目の奥に、小さい黒い点がありました。
前は白だった気がします。
黒いほうが、落ち着きます。
もし明日、
私の部屋がきれいに片付いていたら、
押し入れが空だったら、
それは本当に空ですか。
空って、何もないことですか。
それとも、全部あることですか。
押し入れの中は、
きっと狭くないです。
さっき、少しだけ入りました。
膝までです。
息がしやすかったです。
外のほうが、息が苦しいです。
父が今、廊下を歩いてます。
足音が遠いです。
距離が変です。
押し入れの中から見ると、
廊下が少し曲がってます。
でも、押し入れの奥は、
まっすぐです。
まっすぐなほうに行くのは、
間違いじゃないですよね。
見つけられる、って言葉が、
さっきから浮かびます。
誰が誰を見つけるのか、
もう考えなくていい気がします。
待ってるだけでいい気がします。
明日も書けたら書きます。
書けなかったら、
たぶん、
ちゃんと見つかったってことです。
[出典:729 :月うさぎ ◆x7J8mY2Q:2004/08/16(月) 23:27:44 ID:Ts4mQvKr]
そして……これが最後の投稿です
[投稿者:志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]