晩秋のある日、幼い私は家の玄関先でひとり遊びをしていた。
学校から帰ってくる兄たちを待つ間、牛乳瓶やワンカップの空き瓶に小石や木の実を詰めては並べる、他愛のない遊びだった。
しゃがみ込んで下ばかり見ていると、ふいに光が遮られた。
見上げると、知らない男が立っていた。
汚れた作業着に身を包み、帽子を深くかぶっている。背後から差す傾いた夕日で、顔は影に沈み、表情はわからない。ただ、やけに大きく見えた。
我が家の玄関には、子どもが飛び出さないよう金属製の門が付いていた。開け閉めするたび、必ず甲高い音を立てるはずのそれが、そのときは一度も鳴らなかった。
躾で、人に会ったら挨拶をするよう教えられていた私は、立ち上がって言った。
「こんにちは」
男は何も答えなかった。
もう一度声をかけようとした、その瞬間だった。
「〇〇!」
祖母の鋭い声が飛んだ。
玄関から飛び出してきた祖母は、私を強く引き寄せ、自分の背中にかばうように回した。そのまま、男と向かい合う。
祖母は何かを低い声で言っていた。聞き取れないほど短い言葉だった。
男は頷きもしなければ、返事もしない。ただ、そこに立っていた。
やがて男は、ゆっくりと踵を返し、庭を横切って出ていった。
その後ろ姿を見ながら、私は妙なことを考えていた。
なぜか、見覚えがある気がしたのだ。作業着の色も、帽子の形も。
男の姿が完全に消えてから、祖母は振り返った。
「なんか言われたかい」
「なんも。こんにちはっち言ったけど、なんも言わんやった」
祖母は、目に見えて安堵の息をついた。
「そっか。なら、よかった」
誰なのかと聞くと、祖母は首を傾げ、「知らん人」とだけ言った。
そのまま私は家に入れられ、その日はずっと祖母が側を離れなかった。
風呂も一緒で、夜も一緒に寝た。
寒がりで、普段は孫と布団を並べるのを嫌がる祖母が、何も言わず私を抱き寄せていた。
夜中、窓の外で音がした。
コンコンというノックではない。
細い棒の先で、ガラスをなぞるような、カチ、カシャ、という弱い音。
「おばあちゃん、なんか音する」
「風やろ。気にせんで寝なさい」
祖母はそう言ったが、その手は、私の肩を離さなかった。
翌朝、父の大声で目が覚めた。
玄関先に転がっていたのは、田んぼに立ててあった案山子だった。
祖父が自分の古い作業着を着せ、帽子まで被せた、やけに出来のいい案山子。
遠目には、人が立っているように見えるそれが、門の内側に倒れていた。
「風で飛んできたんやろ」
祖母はそう言った。
祖父は何も言わず、案山子を担ぎ上げ、家の裏へ運んでいった。
それきり、その案山子は田んぼに戻されることはなかった。
中学生になった頃、ふとその日のことを思い出し、祖母に聞いた。
「あの案山子が玄関まで来ちょったん、覚えちょる?」
祖母は一瞬黙り込み、それから小さく息をついた。
「あんた、あの日、男が来たん覚えちょるか」
頷くと、祖母は続けた。
「顔、見たかい」
「見てない。逆光で」
「なら、よかった」
祖母は湯呑を持つ手を止め、ぽつりと言った。
「あん人、ばあちゃんには案山子に見えた」
それ以上、詳しいことは言わなかった。
ただ、「連れて行かれんでよかった」と、それだけを繰り返した。
今では、案山子を見ることは少なくなった。
代わりに、色テープやCDが風に揺れている。
けれど、道端に妙にリアルな案山子が並ぶ場所を通るとき、私は無意識に距離を取る。
挨拶をしかけて、思いとどまる。
役目を終えたものは、きちんと帰っているのか。
それを確かめる術を、私は持っていない。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「凪 ◆gRc5iHyE」 2019/01/22]