祖母の家の物置には、古いセルロイドのフィギュアが並んでいる棚がある。
昭和の初めに輸入されたという外国製の人形たちだ。白黒テレビの時代のキャラクターらしく、丸い目と大きな口をしている。ネズミと猫。いつも追いかけっこをしている、あの二匹。
子どもの頃、夏休みに祖母の家へ預けられていた彼女は、夜になると物置の前を通るのが怖かったという。
祖母は耳が遠く、深夜までテレビをつけっぱなしにしていた。白黒の外国アニメが流れ、猫がネズミを追いかけ、最後は必ずネズミが勝つ。猫は潰れ、叩かれ、踏まれ、いつも馬鹿を見る。
彼女はそれを笑って見ていた。
ある晩、猫が出てこなくなった。
次の回も、その次の回も、猫はいなかった。ネズミは一匹で画面の中を歩き回り、ソファに腰掛け、何も起きない部屋の中でじっとしていた。
やがて、ネズミは画面のこちらを向いた。
「つまらないな」
小さな声が聞こえた。テレビのスピーカーではなく、もっと近い場所から。
祖母は気づかない。音量が大きすぎる。
彼女は物置の棚を見た。並んでいたはずの猫のフィギュアが消えている。代わりに、小さな猫が一体、置かれていた。見覚えのない顔だった。体は小さいが、目だけが妙に鋭い。その目が、こちらを向いている気がした。
その夜、夢を見た。
家具の影にネズミが隠れている。三角チーズをぶら下げた罠を置き、じっと待っている。だが猫はチーズを見ない。匂いを嗅ぎ、ネズミの方へ歩いていく。
ネズミは笑っていた。いつも通りだと思っていた。
猫は躊躇なく飛びかかり、噛みついた。ネズミは叫び、逃げようとするが、逃げ場はない。体が裂け、赤いものが飛び散る。今までのルールは、どこにもなかった。
「違う……こんなはずじゃない」
ネズミの声は、子どもの声に似ていた。
視界の外から、巨大な白い猫が現れた。元々棚にあった、あの大きなフィギュアに似ている。白い猫は何もせず、ただ見ている。
ネズミはその白い猫を見上げた。
「ずっと、代わってくれてたのか」
白い猫は瞬きをしなかった。
次の瞬間、白い猫の姿が崩れ、小さな猫の中へ吸い込まれていった。
彼女はそこで目を覚ました。
枕元に、かじり跡があった。枕カバーの端が、鋭い前歯で裂いたようにほつれている。祖母に見せたが、「ネズミだろう」と一言で終わった。
だが祖母の家には、本物のネズミはいなかった。
翌日、物置を覗いた。大きな白い猫のフィギュアが消えていた。棚の隅に、小さな猫が二体並んでいる。片方は目が濁っている。もう片方は、やけに生き生きとした目をしていた。
ネズミのフィギュアは、別の段へ移されていた。
それから数日、テレビには猫が戻った。だが様子が違った。追いかけっこは続いている。けれど、ネズミが転ぶたびに、猫は止まる。捕まえない。触れない。ただ、距離を測るように眺めている。
ときどき、ネズミが画面の端へ寄ってくる。黒目が揺れ、こちらを見ているように見える。
彼女は笑えなくなった。
夏休みが終わり、自宅へ戻った。あの家の物置には、それきり近づいていない。
けれど数年前、祖母が亡くなり、家を片付けることになった。物置の棚はそのままだった。
猫とネズミは並んでいない。棚の左右、別々の段に置いてある。だが段の埃の跡は、少しずつずれている。まるで、夜のあいだに移動しているみたいに。
彼女は片付けの最中、自分の名前が書かれた古い箱を見つけた。中には、小さなセルロイドの人形が一体入っていた。
それは、ネズミでも猫でもなかった。
丸い目をしているが、どこか人間の顔に似ている。服装は、子どもの頃の自分と同じワンピースだった。
底面に、細い字で書かれている。
《代わり》
彼女はその人形を棚に戻さなかった。だが自宅へ持ち帰った覚えもない。
数日後、自分の部屋のテレビをつけたとき、白黒のアニメが流れていた。猫がネズミを追いかけている。音量は普通だ。
画面の隅に、小さな影が立っている。丸い目の、子どもに似た影。
ネズミが振り返った。
「次は、誰と遊ぼうか」
その声は、テレビの外から聞こえた。
彼女はそれ以来、テレビを見ていない。
だが時々、何も映していない黒い画面の奥に、丸い目がいくつも並んでいるのが見えるという。
こちらを見ているのが、どちらなのかは、もうわからない。
(了)