職場の同僚と居酒屋で飲んでいたときに聞いた話。
その人の実家の物置には、古いセルロイド製のアニメグッズが並んでいる棚があるそうだ。昭和の初期に輸入されたキャラクターも混じっていて、外国製のネズミと猫のフィギュアが、埃をかぶりながら互いに睨み合っていた。
「子どもの頃ね、あれらが夜になると動いてる気がして、怖くて近寄れなかったの」
酔いが回っていたせいか、その話の続きをぽつりぽつりと話し始めた。
――あれは、彼女がまだ小学生だったころのこと。夏休みに一人、祖母の家に預けられていた時期があった。祖母は耳が遠く、テレビのボリュームがやたら大きく、深夜まで古い外国アニメばかり流していた。白黒のネズミが猫に追いかけられる内容だが、いつも最後にはネズミが勝って、猫は馬鹿を見ていた。
それが楽しくて、笑っていた。
けれどある日、妙なことが起きたという。
テレビの中で、いつも追いかけっこをしていた猫の姿が、突然消えた。次の回になっても、その次の回になっても、猫は出てこなかった。ネズミはただ一人でソファに座り、妙に所在なさげな目で画面のこちらをじっと見つめていた。
「なんか……つまんないな」
ぽつりとそう呟いたネズミの声が、画面のスピーカーからではなく、部屋のどこからか聞こえた。
祖母は気づいていなかった。テレビの音が大きすぎるから。
彼女は部屋の隅にあるフィギュアの棚を振り返った。そこにいたネズミと猫の人形。猫の方が、消えていた。
代わりに、別の知らない猫のフィギュアがあったという。小さく、鈍そうな印象だったが、目が鋭く、何よりその目が、じっと自分を見ていた。
その晩、彼女は夢を見た。夢の中でネズミは「もう飽きた」と言っていた。代わりの猫を見つけて、久しぶりに遊ぶことにしたらしい。だがその「遊び」は、少し様子がおかしかった。
ネズミは三角チーズをぶら下げたネズミ捕りを、家具の影に設置して、例の小さな猫を誘い出そうとしていた。声を殺して隠れていたが、猫はチーズの匂いではなく、もっと生臭い、ぬるついた血のような匂いに釣られてネズミの方へ向かっていった。
そして、夢の中の猫は、いきなりネズミに飛びかかった。
今までなら、いつも猫はドジを踏み、ネズミが勝つのがお決まりだった。しかしその猫は違った。ネズミの体に噛みつき、引きちぎり、躊躇なく食いちぎった。ネズミは必死に反撃しようとしたが、体力も小ささも、全く通じなかった。
そのとき彼女は、夢の中のネズミが泣いているのを見た。
「なんでだよ……いつも通り、やるだけだったのに……トムなら、捕まえたふりだけしてくれてたのに……」
ネズミが叫ぶようにそう言った時、猫は笑った。笑った、というより、口元を釣り上げ、眼球を細めていた。まるで……人間のようだった。
そのとき、夢の視界の外に、白い猫が浮かび上がったという。
巨大な猫だった。もともとフィギュアで見ていた猫。ずっとネズミに追いかけては逃がしていた、あのキャラクターのような。
彼女は不思議なことに気づいた。その猫は、死んだのだ。ネズミと遊び続けるために、ずっと負けたふりをしていた。ネズミのことを好きだったのだ。ただ、好きという気持ちを、追いかけっこという形でしか表現できなかったのだ。
そして、もうひとつ。ネズミの心に残っていたのは、ゲームではなく、喪失の痛みだった。あの小さな胸の中でチクチクしていたのは、たぶん「悲しみ」だったのだ。
夢は、そこで終わった。
目が覚めた彼女の枕元には、小さなかじり跡があったそうだ。枕カバーの端が、ほんの少しだけ、鋭い前歯で裂かれたように。
今も、実家の物置にそのフィギュアはあるらしい。
猫とネズミは並んでいない。棚の左右、別々の段に置いてあるのに、時々位置が変わっているという。祖母は気づいていない。だが、彼女は知っている。
「たぶん、あいつら……まだケンカしてるんだと思うよ」
そう言って彼女は、コップの酒を一気に飲み干した。
「でもね……トムは、もうこの世にいない。じゃあ今、ジェリーが遊んでる相手は……誰なんだろうね」
そう言った彼女の横顔が、妙に真剣で、背筋が寒くなった。