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山に残されたもの r+1,981

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これは今もって俺自身、まったく信じきれていない。

他人に話したところで、どうせ鼻で笑われるのが落ちだろう。親父の戯言にすぎないのかもしれないし、脳の誤作動から来る幻覚や幻聴だった可能性もある。だが、俺は目の前で親父の様子を確かに見ていた。あれはどう説明しても嘘に思えない。出勤前の今、気持ちを落ち着けるために書き残しておく。

親父の趣味はきのこ採りだ。八月のお盆を過ぎたあたりから十一月初めまで、晴れた日の早朝になると必ず山へ出かけていた。スーパーのレジ袋を手に、決まったコースを季節ごとに歩く。俺も小さい頃は何度か連れられたことがあったが、正直言って退屈な行楽にしか思えなかった。親父にとっては違うらしい。茸の名前や味わいを語るときの熱っぽさは、他の誰にも理解できない執着のようだった。

問題の日は八月二十二日、日曜の朝だった。
親父はいつもどおり五時前に家を出て、八時頃に戻ってきた。俺は寝ぼけ眼で、ビニール袋からタマゴタケやチチタケを出して並べている親父を眺めていた。量は少なめだなと思いながら洗面所で顔を洗っていると、背後から妙な声がした。

「なあ、かんなめのまつりって何のことで、何日か知ってるか?」

唐突すぎて面食らった。
「知らん」と答えると、「ちょっと調べてくれねえかなあ」と真剣な調子で言う。仕方なくスマホを取り出し検索してみる。
神嘗祭――宮中祭祀のひとつで、天照大御神に新穀を奉る儀式。現在は十月十七日に行われる。Wikipediaの記述を読んで印刷して渡すと、親父はぶつぶつと何事か呟いていた。

「何か用事でもあるのか?」と聞くと、親父は深刻な表情で話を始めた。

その朝、山頂近くの大岩の横で腰を下ろし一服していた時、突然、強い風が吹きつけた。次の瞬間、視界が闇に覆われ、目も耳も塞がれ、手足さえ動かなくなった。脳の血管が切れたのだと本気で思ったらしい。
焦りの中で「おい……おい……」と声が聞こえ、甘い匂いが鼻を刺した。助けを求めようとしても声が出ない。声は続いた。

「すまんなあ。誠にすまんなあ。すぐ元に戻すが一つ頼みを聞いてくれ……久方ぶりに総出で戦に出にゃならなくなったが、後に残すこいつが心配だ……ぬしに是非とも頼みたい……かんなめのまつりの頃までには迎えに行くぞ……もしも迎えに現われなんだら、信州飯綱の御山を頼れ……」

そこでふっと闇がほどけ、視界が戻った。体は石の上にそのまま座っており、頭痛も息苦しさもない。だが、あまりの異様さに恐ろしくなって山を下りてきた。それで俺に「かんなめのまつり」を聞いた、というのだ。

俺も親父も脳疾患を疑った。すぐに親父は知人の医者へ電話し、翌日に脳ドックをねじ込んだ。だがその日の昼、うどんを食べていた時、親父はしきりに首を傾げ「味がしない」と言い出した。その後も一日の半分ほどは味覚が失われるようになった。はっきりと時間が区切られているわけではなく、味がしたりしなかったりするらしい。

翌日の検査の結果は異常なし。小さな古い梗塞跡はあるが心配ない、と。大学病院でも診てもらったが同じ答えだった。結局「経過観察」ということになった。病気ではないのなら安心すべきなのだろうが、親父の頭にはあの声が残り続けていた。十月十七日、神嘗祭の日まで様子を見ようと俺たちは決めた。

それ以降、親父の身には小さな異変が続いた。
後頭部の髪を軽く引っ張られる感覚が時折あるのだという。親父は薄くなった頭を撫でながら「嫌がらせか」と怒っていた。食欲も落ち、体重は八キロ近く減った。だが不思議なことに、深刻さはなかった。本人は「天狗が何か押し付けてきやがった」と冗談めかして言っていた。飯綱山には飯綱三郎という大天狗がいるらしい。調べれば調べるほど妙に符合していた。

十月十五日、事態は決定的に動いた。
親父は仕事帰りに同僚と居酒屋で飲み、二十三時に帰宅。俺は別の友人宅で飲んでいて不在だった。親父は風呂に入り、日付が変わる前に布団に入ったという。そこで声を聞いたのだ。

「無事に帰って来れたぞ。世話になったなあ……うつしよのぬしらの世にも大難がおこるであろうが、心配ないぞ、心配ない……山に空きができて、これから忙しくなる」

その声は大笑いと共に消えた。水戸黄門が印籠を出す場面のような高笑いだったと親父は言う。目を覚ました時には味覚が完全に戻っていた。いや、それ以上に、どんな食べ物も驚くほど美味しく感じるようになっていたらしい。布団から抜け出し、深夜にサッポロ一番味噌ラーメンを作って食べた時の嬉しそうな顔を、翌朝の俺は忘れられない。親父は「礼をもらったんだ」と心底喜んでいた。

俺は違う考えをしている。確かに味覚が戻り、何でも美味しく感じるのは奇妙だ。だが、声が告げた「大難」が残っている。
もし、親父が何かを引き受けたのだとしたら……その代償はまだ終わっていないのかもしれない。

親父はいまだに「目に見える形のお礼」を待ち望んでいる。だが俺の心には不安しか残らない。声ははっきりと言った。「現世のぬしらの世にも大難がおこる」と。

それがいつ、どんな姿で訪れるのか、俺には見当もつかない。
ただ、この奇妙な記録を残しておくことで、少しでも証人を増やしておきたいのだ。

[出典:495 :何かの戦 : 2010/10/27(水) 16:25:57 ID:Xi9219jc0]

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