2002年の9月、俺と茂雄と清治は町に飲みに行きました。
最初は焼き肉屋。その後スナックでカラオケやって、最後のラーメン屋を出たのが、たぶん夜中の一時半過ぎでした。
俺はアルコール飲まないんで、車の運転です。
清治はもうベロベロで、後部座席に収まるとすぐに寝てしまいました。
国道から県道へ入ってすぐの交差点でした。
助手席の茂雄が「おい……おいっ!て」と、俺の腕を叩くのです。
「さっきの交差点に女がおったやろ」
県道のこのあたりは、周囲は山ばかりで何もないし、深夜になると交通量も少ない。
だから、そんなはずはないって思ったのですが、茂雄は「ちょっと戻ろうぜ」と執拗に誘うのです。
「若い娘でけっこう可愛かった」とか言って。
「お前、酔っぱらってるのに顔とかなんてわかるんか?」
そう言いながらも車を方向転換させて、さっきの交差点に向かいました。
すると居たんです。
茂雄の言うとおり、交差点のところに若い女が。
女は、道端のちょっと草むらっぽいところにしゃがんで、こっちに背中を向けていました。
ワケありかよー、とか考えながら、車を停めました。ライトは点けっぱなしで。
「おーい、何やってんや?こんなトコで」
女はくるっと振り向きました。
色が白くて、美人タイプの女なのがわかりました。
けど、その時の表情がちょっと忘れられないんです。
口がワっと全開になっていて、目も血走った感じのまん丸で、ビックリした顔のまま固まったみたいな表情でした。
そんな顔でこっちをじっと見ています。
ちょっと毒気を抜かれた感じで立ち竦んでいると、後ろから茂雄が話しかけてきました。
「あいつ、ゲロしてたんちゃうか?」
そう言われて見ると、口の端がよだれか何かで濡れているのがわかりました。
町で酔っぱらって、ここまで歩いてきて吐いたのかもしれません。
事情はともかく、このまま見過ごすのも悪いような気がして、こう言いました。
「家まで乗せてったるわ」
「®ãƒ¡ãƒ¼ãƒ«ã?¯ Šãƒ¼ã?」
女は口を開いたまま、訳のわからないことを言いました。
女が座っていたあたりの草むらで、ガサガサと何かが動く気配があるような気がします。
これはヤバイかも……そう思いました。
すると、女は口を閉じて今度は普通に喋りました。
「……乗せてって」
ちょっとおかしいとは思いましたが、こんなところで置いていくのも気が引けます。
見た目は可愛い女だったので、茂雄は「よっしゃ、それでオッケーなんや」とか、意味のわからないことを言って、一人で盛り上がっています。
後部座席のドアを開くと、寝ている清治の隣に女を座らせました。
「夜中やし、シートベルトはええやろ」
女を乗せると、俺は車をスタートさせました。
「……あんなトコで何してたんや?」「誰かに捨てられたんかぁ?」
茂雄が、しきりに後部座席に向かって話しかけています。
俺は、バックミラーで女をチラチラと見ていました。
ちょっと短めの髪で整った顔立ちですが、ちょっと顔色が白すぎるように感じました。
車の揺れに合わせて、白い顔がゆらゆらと揺れています。
「私が捨てられたんとちゃうねん」
突然、女が口を開きました。
「私は捨てられた男を捜しにきたんや」
ちょっと言っていることが良くわかりません。
「……なんや、男って彼氏か?」
いつの間に目覚めたのか、清治が話に加わりました。
「ちょっとガッカリしたわ。せやけど意味ワカランな、その話」
どうやら大分前から意識はあったようです。
「ドコに行ったらええねん?」
俺は女に聞きました。車は県道を自分らの村に向かって走っています。
「真っ直ぐ行って、もうちょっとしたら左」
女は運転席と助手席の間に身を乗り出して指示しました。
その時、バックミラー越しに女と目が合いました。
どこを見ているのかわからないような、何か疲れ切ったような目。
女はそのまま、ストンと後部座席の真ん中に座り直しました。
「そこ、そこ曲がって」
そんな感じで、何回か曲がり角を曲がりました。
俺はだんだんおかしいなと思い始めました。この先は山の奥で人里など無いのです。
茂雄もいつの間にか無口になっていました。
寝てるのかと思って見ると、目を開けたまま俯いています。
だんだん道が狭くなって、とうとう舗装もなくなりました。
「ほんまにこの道でエエんか?」
「……ええねん。もっと先や……」
男に挟まれて後部座席の中央に座っているので、悪路で揺れるたびに声が震えています。
「もうすぐやなぁ……」
女が独り言のようにそう言いました。
もうずいぶん奥まで来ています。もちろんこの先に人家などありません。
もうすぐどこに着くのか、俺はだんだん怖くなってきました。
女の顔を見ようかとミラーを見ましたが、暗くて表情が見えません。
助手席で茂雄が何かブツブツ言っています。
「ここで停めて」
林道の車廻しのところに車を停めました。
女は車から降りると、細い人が一人やっと通れるような山道の入口に向かいました。
あたりは月明かりで少し明るいのですが、木立の中は真っ暗です。
女の格好は、ワンピースにパンプスだったかハイヒールだったか、とにかく山歩きをする格好ではありませんでした。
「おい!どこ行くんや!そっちには何もないぞ!」
俺が叫ぶと、女は振り向きました。うっすら笑っています。
「早くおいでやぁ、もうちょっとやから」
女の後を追いかけようとして、誰かに肩を掴まれました。
一瞬心臓が止まるかと思いましたが、茂雄でした。
「お前……行くんか?」
弱々しい声でそんなことを聞きます。
「しゃあないやんけ。このまま放り出していくワケにいかんやろ」
「……ほなら俺も行くわ」
最初の頃のハイテンションが嘘のような様子でした。
俺が先頭で女の後を追いました。女はどんどん山道を先に進んでいきます。
途中で気が付きました。
この道は夏に通った覚えがあります。
若い男が山に迷い込んで、消防団で捜索した時でした。
確かこの先には大きな池があったはずです……
女は池に何の用事があるのか?後を追いながらそのことばかり考えていました。
後ろからは二人の影が追いかけてきます。
やがて池に出ました。九月だというのに少し肌寒い。
女は池のほとりで立ち止まりました。
「……来たで」
月明かりは木立に遮られて、水面は真っ黒で何も見えません。
あたりは全くの無音でした。俺たちの息の音しか聞こえてきません。
「アホー!!何してるんや!ボケェ!!」
女が池に向かって突然がなり始めました。
「いね!いんでまえ!あほんだらぁ!クソッタレ!!死ね!」
もの凄い勢いの悪口を全身を震わせて叫び続けています。
呆気にとられて見ていると、今度はこっちを向きました。
「お前らも帰れ!はよ帰れ!ボケー!!」
最初に見た時のように大きな口を開けて、血走った目でこっちを睨み付けています。
「はよいね!殺すぞ!ごろ……ごぼゴボ!」
口から何かを吐き出しながら、こっちへ手を伸ばしてきます。
俺は限界でした。
振り向くと、さっき来た山道をダッシュで引き返しました。
後ろからは女の叫び声が、前には茂雄の走る姿が見えます。
車のところまで来ると、ドアを開け車内に乗り込みました。
後ろを確認すると、清治がぐっすりと眠り込んでいます。
エンジンをかけて、そのまま待ちました。
「なにしてんねん!はよ出せや!」
茂雄が追いつめられたような顔で言いました。
「何を待ってるんや、まさか……」
その言葉で我に返りました。
一気に車をスタートさせて林道を下りました。
一番近い清治の家まで帰り着くと、体の力が一気に抜けました。
寒くなかったのに、体がガタガタと震えてきました。
もちろん、女が怖かったというのもありましたが、それよりも、茂雄の最後の言葉が恐ろしかったのです。
俺たちは、三人で町へ飲みに行った帰りに女を拾いました。
三人足す一人で、四人。
ところが、女を拾った後、車には五人乗っていたのです。
運転席に俺、助手席に茂雄、俺の後ろに清治、後部座席の真ん中に女。
もう一人、助手席側の後部座席に男が一人座っていました。
俺も茂雄もそれを憶えています。
でも、男の顔も姿も全く記憶にないのです。
なのに、茂雄の言葉を聞くまで、不思議とは思っていませんでした。
そのことを考えると、今でも背筋が寒くなります。
(了)