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中編 ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

ドアの内側 rw+7,211

更新日:

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チャイムが鳴ったとき、部屋には俺しかいなかった。

彼女は帰省中で、一週間は戻らないはずだった。
それでも、ここにいると決めたのは俺だ。
「いないけど、いていいよ」と言われたあの言葉を、勝手に許可だと思った。

半同棲みたいなものだった。
女物のシャンプーの匂い、小さな歯ブラシ、洗面台に並ぶ化粧品。
他人の生活の隙間に、自分の身体を差し込む感覚が心地よかった。

彼女には元彼がいる。
正確には、いた。

別れたあとも、何度か部屋の前に立っていたことがあるらしい。
「ちょっとしつこい人」と彼女は言った。
俺は深く考えなかった。
過去の話だと思っていた。

その夜、八月の空気は重く、カーテンの向こうに熱が溜まっていた。
時計は十一時半。
テレビの青白い光が天井を揺らしている。

ピンポーン。

最初の一回で、背中が固まった。
俺はこの部屋の住人ではない。
出る資格がない。

ピンポーン。ピンポーン。

間隔が短くなる。
息を殺してテレビを消した。
部屋が暗く沈む。

「さおり……いるんだろ」

声がした。
低く、押しつぶしたような声。
彼女の名前を呼ぶ声。

足音が遠ざかり、やがて階段を下りる気配が消えた。
時計は零時を回っていた。
彼女の誕生日になった。

携帯を手に取った瞬間、窓の外で金属が軋んだ。

ギシ、ギシ。

ベランダ側だ。
二階。登れない高さではない。

カーテンに影が映る。
細長い、人の形。

エアコンはつけたままだった。
室外機が唸る音が、部屋に生き物がいる証拠みたいに響いている。

ドン、と窓が叩かれた。

「開けてくれよ」

影が揺れる。
しばらくして、軋む音は下へと移動した。

終わったと思った。

念のため、ドアスコープを覗いた。
横顔があった。
耳をドアに押し当てている。
目は閉じていた。

聞いている。
中の気配を。

そのまま屈み、郵便受けに手を差し込んだ。
金属の曲尺が握られている。
細長い定規が、鍵穴の奥を探る。

ペチ、ペチ。

微かな音が続く。

俺は息を止めた。
ここにいると悟られたくなかった。

ふと、違和感がよぎった。

どうして彼は、俺がいると知っている。

チャイムを押す前から、確信しているようだった。
「いるんだろ」と。

俺はこの部屋の鍵を持っていない。
入るときは彼女が開けていた。
今日は、どうやって入った。

思い出せない。

郵便受けの隙間から、指先がわずかに動いた。
その爪が、暗闇で白く光る。

衝動的に、俺はその手を蹴った。
鈍い感触。
金属が落ちる音。

直後、玄関が激しく揺れた。

ドン。
ドン。

壁が震える。
だが蹴られているのは、外側ではなかった。

内側からだ。

俺のすぐ後ろで、ドアが軋んでいる。

振り返った。

誰もいない。
だがドアは揺れている。

ドーン、と最後に一撃。
静寂。

階段を駆け下りる足音が、遠ざかっていった。

しばらくして、隣の部屋のドアが開く音がした。
誰かが様子をうかがったのだろう。

再びドアスコープを覗く。
廊下は空だった。

郵便受けの下に、曲尺が落ちている。

拾い上げようとして、気づいた。

内側の床に、それが転がっている。

外から差し込まれたのなら、どうして内側にある。

俺はその晩、部屋を出た。
鍵をかけたかどうか、覚えていない。

彼女は戻ってすぐ引っ越した。
理由は言わなかった。
俺も聞かなかった。

ただ一度だけ、彼女が言った。

「ねえ、あの日さ。どうやって入ったの?」

俺は答えられなかった。

今も、街の雑踏で横顔を見ることがある。
元彼かもしれない。
違うかもしれない。

だがときどき思う。

あの夜、ドアの内側から蹴っていたのは、誰だったのか。

[出典:887: 元彼 投稿日:2009/07/21(火) 12:15:57 ID:ZfBhv75q0]

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