祖父から聞いた話だ。
祖父が若い頃、兵庫県の美方の山あいでは、「ツカイ」と呼ばれるものがいたという。漢字は誰も知らない。ただツカイとだけ呼ばれていた。
姿は人に近い。顔は異様なほど白く、毛は短く、尻尾はない。二本の足で立って歩く。夜ではなく、朝方に出る。祖父は何度も見たと言った。五時前後、まだ外が青黒い時間に目が覚めると、枕元にそれがいる。声を出すわけでも、触れてくるわけでもない。ただ、じっとこちらを見下ろしている。
祖父は「猿のアルビノだろう」と言われるのを嫌った。牙があったからだという。それに、戸締まりをしていても、必ず家の中にいた。雨戸も、鍵も関係なかった。
地元では、ツカイを見ると誰かの死期が近いと言われていた。ただし、それは「殺しに来る」という意味ではない。死が近いことを知らせに来る存在だと、年寄りたちは言った。だから家でツカイを見たら、果物を出すのが習わしだった。みかん、りんご、バナナ。当時はどれも安くなかった。盆に乗せて、床に置き、帰ってくださいと頼む。それで何事もなく消えることもあれば、消えたあとに病人が見つかることもあった。
祖父の母もそうだった。特に具合が悪い様子はなかったのに、ある朝、祖父が目を覚ますとツカイがいた。祖父は決まり通り果物を出し、昼前に母を病院へ連れて行った。結果、脳腫瘍が見つかり、すぐに手術を受けて数年は生き延びた。祖父はそれを「助けられた」と言った。
だが、全員がそう思っていたわけではない。ツカイを見たあとに家族が死んだという者もいたし、子どもを奪われたと言い張る者もいた。恩も怨みも、同じ数だけあった。
その均衡が壊れたのは、祖父の弟が噛みついた夜だ。
祖父の弟は血の繋がりがない。養子に入った人間で、町外れに住んでいた。祖父が仕事で大怪我をしたという噂を聞き、見舞いのつもりで泊まりに来た晩のことだ。
夜明け前、祖父の弟は何かに顔を噛まれて飛び起きた。暗闇の中で白い顔を見たと言っている。反射的に手にしていた木刀を振るい、ツカイを叩き殺した。床には血が残っていた。毛でも爪でもなく、確かに「死体」があったと、弟は言った。
それ以降、ツカイは一切出なくなった。
地元は混乱した。助けられたと信じていた者は怒り、祟りだと思っていた者は安堵した。誰が正しいのか、誰が悪いのか、決着はつかなかった。結局、祖父は居づらくなり、弟の家に身を寄せる形で村を出た。
それからしばらくして、弟の体に異変が出た。
最初は小さな白い斑点だった。手の甲、首筋、耳の後ろ。痛みも痒みもない。病院では白斑症だと言われた。命に別状はない。ただ、増え続けた。
弟は今、九十を超えている。白斑は今も消えていない。それどころか、年を追うごとに広がっている。
祖父が亡くなる少し前、私は一度だけ弟に会った。布団に横になった老人は、顔の半分が白かった。照明の下で見ると、どこまでが地肌で、どこからが斑なのかわからなかった。
話の途中で、弟はふと視線を私の背後に向けた。時計を見るような仕草だった。
「今くらいの時間になると、目が覚めるんだ」
そう言って、弟は枕元を指さした。
「誰かに、見られてる気がしてな」
私は振り返らなかった。弟も、それ以上は何も言わなかった。
ツカイが死んだのか、移ったのか、それとも最初から一つではなかったのか。誰も知らない。ただ、美方では今でも、朝方五時に理由もなく目が覚めたら、布団の脇に果物を置く家があるという。誰に向けてなのかは、聞かないのが決まりだ。
[出典:167 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/06/07(水) 07:36:17.55 ID:CO2GVhlT0.net]