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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

返したはずのもの nc+

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小学生の頃の話だ。

私は、悪いことが起こる前に、身の回りのものに茶色い泥のようなものが付くことがあった。
土の色をしているのに、手に取ると粘ついて、鼻に近づけると甘ったるい匂いがする。腐った果物と砂糖を混ぜたような、不快なのに離れない香りだ。

最初は些細なものだった。
筆箱の内側に、いつの間にか薄く広がっていたり、下敷きの端にべっとり付いていたりする程度。そのあとで消しゴムを失くしたり、転んで膝を擦りむいたり、せいぜい私物が壊れるか軽いケガで終わった。

だから、あれが「前触れ」だと気づいたのは、もっと後になってからだ。

一度だけ、はっきりと覚えている出来事がある。

学校の図書室で借りた本があった。表紙は何の変哲もない児童向けの物語集で、貸出期限もまだ先だった。ところが家で読もうとしたとき、途中のページだけが妙に固く閉じていて、どれだけ力を入れても開かなかった。

誰かが糊でくっつけたんだろうと思った。
腹が立って、無理やり指を突っ込んで開いた瞬間、強烈な甘い匂いが弾けた。

見開き一面が、茶色い泥で埋まっていた。

文字も挿絵も見えない。泥は乾いておらず、指で触れるとぬるりと広がった。机の上も手も一瞬で茶色に染まり、匂いが鼻の奥にまとわりついて離れない。私は声も出せず、ただ必死にティッシュで拭き取った。

怖くなって、本はランドセルの奥に押し込んだ。
先生に言えばよかったのに、なぜか「見せたらいけない」と思ってしまった。

その夜だ。

まだ幼かった弟が、突然高熱を出して倒れた。痙攣を起こし、救急車が来て、両親と一緒に大学病院へ運ばれていった。私は家に一人残された。

原因不明。感染症でもなく、検査をしても異常は見つからない。電話口で母は泣いていた。私は三日間、誰もいない家で過ごした。

夜になると、あの匂いがする気がした。
実際には何もないのに、鼻の奥が甘く、重くなる。

四日目の朝、私はランドセルを開けた。
奥にしまっていた本の角が、少し濡れているように見えた。

怖くなって、そこでやっと思い当たった。
あれのせいじゃないか。泥の本を返さなかったから、何かが起きたんじゃないか。

理屈じゃない。説明もできない。ただ、そう思ってしまった。

月曜日の朝、私は本を抱えて学校へ行った。
図書室の返却箱の前で、周りに誰もいないのを確認してから、小さく声に出して謝った。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

何に対して謝っているのか、自分でも分からなかった。ただ、本をそっと箱に入れた。

その日の夕方、弟の熱は下がり始めた。
数日後、家族は全員帰ってきた。医者は「原因不明だが回復した」と言った。

それ以来、あの泥は見ていない。
筆箱も本も、きれいなままだ。

だから私は、あれで終わったのだと思っていた。

でも、最近になって思い出したことがある。

弟が退院して家に戻った日、私は久しぶりに自分の部屋で眠った。
朝起きたとき、机の引き出しが少し開いていた。

中に入っていたのは、何年も前に使っていた古いハンカチだけだ。
その隅が、うっすら茶色く変色していた。

触ると、もう乾いている。
匂いはほとんどしない。それでも、鼻を近づけると、かすかに甘い。

私はそのハンカチをすぐに捨てた。
誰にも言わなかった。

弟は今も元気だし、あれ以来、大きな不幸は起きていない。
ただ、ときどき思う。

あの泥は、謝ったから消えたのか。
それとも、用が済んだから引いただけなのか。

もし次に見えたとき、今度は何が起きるのか。
考えないようにしている。

二度と見たくない。
でも、見えなくなっただけで、本当に終わったのかどうかは、今も分からない。

[出典:346 :可愛い奥様@\(^o^)/:2016/06/09(木) 02:25:38.32 ID:DWIaeyR00.net]

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