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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

家にいた幼虫の影の話 nw+114-0203

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今でも、あの家の壁の湿りを思い出すと、胸の奥で何かがわずかに身動きする。

築年数の古い平屋で、木は乾ききらず、夜になると梁が低く鳴った。風が通るたび、家全体が一度息を吸ってから吐くようで、その合間に自分の脈だけが耳に残った。廊下の白熱灯は安定せず、光が伸びたり縮んだりして、壁に落ちる影をゆっくり引き延ばした。

影が現れるのは、夕食が終わり、家族がそれぞれの部屋に入った後だった。決まって同じ壁だ。物の配置や光源の角度を考えれば、何かが影を作っているはずなのに、どこを探しても本体は見つからない。ただ、影だけが移動していた。

形は大きな幼虫にしか見えなかった。節がいくつも連なり、膨らんだり縮んだりする様子が、呼吸に似ていた。手のひらを広げても足りないほどの長さで、壁紙の上をねっとりと這っていく。

奇妙なのは、部屋を暗くすると、影が消えるどころか、かえってはっきりすることだった。台所の蛍光灯を落としても、廊下の電球を消しても、幼虫の影だけは薄れない。闇の中で、輪郭だけがなめらかに残る。

影が現れる夜には、決まって匂いがした。古い石鹸と湿った木の匂いに混じって、掘り返したばかりの土のような匂いが漂う。その匂いが鼻につくと、ほどなく壁に影が現れた。

当時の私は昆虫が好きで、影にも同じ感覚で接していた。捕まえようと指を伸ばすが、触れられない。なのに、そこに何かがいるという感覚だけは消えなかった。触覚が先に裏切られる感じが、不思議で、少し楽しかった。

夜、布団に入ると父が隣に来た。父の体温が布越しに伝わり、影のことを尋ねると、父は短く言った。「あれは守りに行ってるんだよ」。それ以上は何も説明しなかった。その言葉は、眠りに落ちる直前の意識に沈み、意味を持たないまま残った。

影が現れる夜は、なぜか寝つきが良かった。胸の奥に溜まっていた重さが、少しだけ抜けるような感覚があった。私は幼い頃から体が弱く、肺炎で何度も入院していたが、影が現れ始めてから、急に寝込むことが減った。息を吸うときの引っかかりが消え、朝、窓を開けると、空気が深く入る。

それでも、影を不気味だと思うことはなかった。守られているという言葉を、特に疑いもしなかった。ただ、影は布団のそばまで来ることはなく、私が眠る前に消えることも多かった。その動きが何を意味しているのか、考えたことはない。

両親は、影の話をすると首を傾げた。母は覚えがないと言い、父は話題を変えた。父の一言だけが、影と私を結びつける唯一のものだった。

影を見ると、身体がわずかに緩んだ。熱が出そうな夜でも、その影が壁を這っていると、なぜか安心して目を閉じられた。一方で、触れられないもどかしさと、誰にも共有できない感覚が、胸の奥に残り続けた。

小学校高学年のある日、その感覚が外で形を持った。

下校路の植え込みの影が、異様に濃かった。夕方の光が傾き、地面の色が冷えていく時間帯だった。近づく前から、家で嗅いだ匂いが風に混じっていた。

それは巨大な緑色の幼虫だった。砂利の上に横たわり、身体の節がゆっくりと動いていた。周囲だけが湿って見え、地面に沈み込んでいるようだった。私は無意識にしゃがみ込み、顔を近づけた。その輪郭が、家の壁の影と重なった。

普段なら、迷わず家に持ち帰ったはずだった。だが、指先が止まった。触れてはいけないという感覚が、考える前に身体を縛った。それでも、その場を離れることもできず、結局、靴先でそっと転がした。

幼虫は蹴るたびに向きを変え、擦れる音を立てた。数回目で、体表の色が変わり始めた。緑が滲み、黒が広がる。光の加減とは無関係に、節の間に影が溜まっていく。

その瞬間、目の奥に鋭い痛みが走った。光を浴びたような刺激だったが、周囲は薄暗い。涙が溢れ、視界が歪む。私は幼虫から目を逸らし、走って家へ戻った。

家に着く頃には、目が開けられなかった。冷たいタオルを当てると、痛みは鈍くなったが、翌朝、見え方が変わっていることに気づいた。輪郭が滲み、黒目の縁が濁って見えた。

その日を境に、家の壁の影は現れなくなった。光を変えても、匂いも戻らない。空気だけが、妙に軽かった。

代わりに、原因の分からない痛みが戻った。目や耳の奥が周期的に熱を持ち、夜になると、身体の内側で何かがゆっくり動く感覚がした。それは、かつて壁を這っていた影の動きに似ていた。

影のことを話しても、両親は否定した。父は「疲れてるんだ」と言った。その目は、何かを見ないようにしている人の目だった。

夏の夜、布団に横になると、瞼の裏で微かな脈動があった。節が擦れるような音が、内耳の奥で震えた。外に影はない。それでも、その動きは以前より近い。

私は、父の言葉を思い出す。「守りに行ってる」。それがどこへ行くことなのか、今も分からない。外へなのか、内へなのか、それとも戻ることなのか。

あの日、外で見つけた幼虫は、影と同じものだったのか、それとも別の何かだったのか。蹴ったことで何が変わったのか、判断できない。ただ一つ確かなのは、影が消えた後も、何かは残っているということだ。

今も視界の端に、濁りがある。そこに何がいるのか、確かめる方法はない。壁を見ても、影は現れない。だが、夜になると、身体の内側で、あのゆっくりした動きが始まる。

それが守りなのか、侵食なのか。
その区別を、私はまだつけられずにいる。

[出典:823 :本当にあった怖い名無し:2012/08/09(木) 08:05:05.31 ID:hPOzUTwp0]

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