これは、昔の漁村に住んでいた老人が語ってくれた話だ。
今では観光地として賑わう海岸も、かつては信仰や修行の場だったという。特に漁村の一部では、夏の早朝、冷たい海水を浴びて身を清める「水垢離」が行われていたそうだ。修行者が山中の滝に打たれるような厳しい儀式ではなく、もっと実用的で生活に密着したものだったと聞く。
海水浴びは漁師たちの間で特に盛んだった。理由は単純で、海水には傷を癒やす効果があると信じられていたからだ。夏の日差しの下、荒れた皮膚に潮風を浴びせることで健康を保つという知恵だった。
さらに不思議なことに、何度も海水を浴び続けると、皮膚に薄い透明な膜のようなものが現れることがあったそうだ。それはまるで魚のウロコのようで、光の角度によってキラキラと輝いたという。
その現象が体にとって良い兆しとされていたのは、ウロコが数日後には剥がれ落ちた際、皮膚がつややかで丈夫になったからだ。漁師たちは「海の神様が与えてくれた特別な護りだ」と信じ、その日を祝った。
だが、その奇妙な「ウロコ」だけでは終わらない。水垢離をしている最中、時折、沖から黒くて長い魚がゆらゆらと近づいてくることがあった。
その魚はまるで人間を観察するように周りを一、二周し、不意に深い海へと泳ぎ去る。その魚は、一般的な魚と違い、体が妙に滑らかで、目が人間のように感情を帯びていると語られることが多かった。
村の人々は、その魚を「海神の使い」と呼び、めでたい出来事と信じた。魚が現れると、その家族は豊漁が約束され、健康も守られるとされたのである。特に、魚が泳ぎ去った直後、皮膚のウロコがぷちぷちと音を立てて剥がれ落ちる現象が確認されれば、その効力は絶大とされた。
ところが、一度だけ村に大騒ぎを引き起こす出来事があった。ある夏の朝、若い漁師が海で水垢離を行っていた際、例の黒い魚が現れた。
魚はいつものように近づき、彼の周りを二周したが、今回は沖へ戻るのではなく、漁師の足元にじっと留まったという。恐怖を感じた漁師は海から上がろうとしたが、その瞬間、魚が不自然な速度で海中に潜り、姿を消した。
その漁師はそれ以来、村に姿を見せなくなった。数日後、彼の家族が家を訪ねると、彼の部屋の中が異様な臭いで満ちていたという。部屋の隅にあった水桶には、魚のウロコのようなものが無数に浮いており、それを触ると手がべたつく感触が残ったそうだ。漁師は結局、行方不明のままだった。
村では、彼が「海神の使い」とともに深海へ連れて行かれたのだという噂が広まり、以後、水垢離の儀式は次第に行われなくなった。今ではその海岸は観光地として栄えているが、夜の静寂の中で波音を聞いていると、不意に黒い魚が人を観察する目を感じることがあるという話を耳にする。
[出典:417 :名無し百物語:2023/10/24(火) 21:45:19.09 ID:Jeu4R8US.net]