たぶん、あれは中学のときだ。
友人のTのことを、今でもふと思い出すことがある。
当時は、まぁ……変なヤツだな、で済ませていたんだけど、今振り返ると妙に引っかかる。
今ならもう少し、ちゃんと怖がってよかったんじゃないかって思ってる。
最初に俺がTを変だと思ったのは、小学校のとき。
身体が異様に柔らかくて、足の指で鉛筆を拾ったり、頭を両腕の間から通したりして見せてきた。
酢を毎日飲んでるって聞かされて、なんとなく納得しかけたけど……酢ってそういう効果あったか?
しかもT、奇妙な拳法をやってた。
「截拳道(ジークンドー)」って言って、ブルース・リーが作った武術らしい。
俺はそんなの聞いたこともなかったし、興味もなかったけど、Tは真剣そのものでさ。
竹を削って弓矢を自作して、庭にやってくる鳩を本気で狙ってた。
家に行ったとき、おじいちゃんが軍用犬みたいに犬を訓練してるのを見た。
その横でTの弟がトンファーを構えてて、T本人はヌンチャクを振り回してた。
今思い返しても、あれは普通の家庭じゃなかった。
当時の俺は、すげぇな……変わってるな……って思っただけだったけど。
でも、まだそれは「変わってる」の範疇だった。
本当におかしいと思い始めたのは、中学に上がってからだ。
Tって、よく「気配がない」って言われてた。
別にネガティブな意味じゃなくて、ほんとに気づかないんだ。
気がついたらすぐ隣にいたり、話しかけようとした瞬間にもういなかったり。
たとえば、体育の授業で整列してるとき。
「おいT」って右隣にいると思って声をかけたら、すぐ左の列に並んでたりする。
しかもそれが一日一回や二回じゃない。
十回とか平気である。
誰かの空耳とか、目の錯覚とか、そういうレベルじゃなかった。
クラスの奴らも口々に「Tは瞬間移動する」って、笑いながら言ってた。
もちろん冗談だと思ってたけど、それがだんだん冗談で済まなくなっていった。
ある日、Tと学校の帰りに歩いてたんだ。
俺の右側にいたはずのTが、ふっと視界から消えた。
次の瞬間、柵の向こう側――学校の敷地内に戻っていくTの背中が見えた。
そっち側って鍵がかかってるし、入るにはぐるっと回らないと無理なんだよ。
「え?」って思って、声もかけられないまま立ち尽くしてた。
仕方なく一人で家に帰ったら、Tはすでに自宅にいた。
「途中で抜かされたのかな」って考えたけど、どう考えてもおかしい。
もっと奇妙だったのは、自転車で坂を下ってたとき。
Tが先に角を曲がって、そのあと俺が曲がろうとした瞬間、背後から「シャーッ」ってタイヤの音が聞こえた。
振り向いたら、Tが後ろから追いついてきた。
「え、さっき前に……」って言いかけたけど、Tは「ん?」って首を傾げただけだった。
そして、最大に気味が悪かったのが、修学旅行の夜。
俺たちの部屋で、布団を敷いてみんなで寝てた。
電気は消えてて、外の街灯がカーテン越しにほのかに照らしてた。
その中で、Tが突然「ドサッ」と落ちるような音を立てて、布団の上に現れた。
いや、正確には「一メートル上から」落ちた。
見間違いじゃない。俺、見てたんだ。
寝てる体勢のまま、スッと浮かび、そのまま真下にドサッと。
全く起きる様子もなく、そのまま寝続けていた。
……その時、俺は初めて本気で怖くなった。
翌朝、そのことをTに話すと、「ああ、あるある」みたいな感じで笑ってた。
「そうなんだよなー。自分でもたまに訳わかんないときある。さっきまで別の場所いたんだけどなーって」
まるで、靴下が片方どこかで消えちゃった、くらいの感覚だった。
Tの弟に聞いたこともある。
家族で電車に乗ってたとき、Tがドアが閉まった後に車両の外にいたことがあったらしい。
「どうやって出たの?」って聞いたら、「さぁ?気づいたら外だった」って言ってたって。
そのあと家族全員で引き返したんだってさ。
今じゃ、Tがいなくなっても「またか」で済ませるようになってるらしい。
こんな話、普通だったら誰も信じないと思う。
でも、俺も見たし、友達も見てる。家族も当たり前のように受け入れてる。
いつのまにか俺も「Tってそういうヤツだしな」って感覚になってた。
何年か経って、Tと久しぶりに連絡を取った。
大学も卒業して、仕事も始めて、だいぶ落ち着いた頃。
懐かしくて電話して、あの頃のことをいろいろ話した。
そして、やっぱり気になったから聞いてみたんだ。「テレポート、まだあるのか?」って。
Tは少しだけ笑って、「昔よりは減ったけど……たまにあるよ」って答えた。
「一緒に住んでた彼女がね、俺が寝てたのにいつの間にか玄関の外に立ってたって言って、怖がって出ていったんだよな」
「それ以来、あんまり人と住むの怖くなってさ」
冗談まじりに話してたけど、その声の奥に、少しだけ寂しさがにじんでた。
最近ネットで似たような話を見かけた。
「瞬間移動してしまう人たち」ってスレッド。
その中には、Tにそっくりな話がいくつもあった。
ひとつ気になるのは、みんなが「最初は軽いテレポートだったけど、だんだん距離が伸びてる」って書いてたこと。
その先に何があるのか、誰も知らない。
もしかしたらTも、ある日ふっと、どこか遠くに跳んだまま、もう帰ってこれなくなるんじゃないかって。
……最近は連絡も取ってないけど、あいつ、今どこにいるんだろうな。
[出典:485 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/26 12:51]