中学の卒業アルバムの奥から、黄ばんだメモが一枚落ちた。
薄い藁半紙に、震えのない古い筆致でこう書かれている。
――水を飲ませろ。味を聞け。苦いなら、話すな。触れるな。命が惜しければ。
この字は、母方のひいばあさんのものだ。生前、近所では「拝み屋」と呼ばれていた。表向きは物静かな老人だったが、葬儀のとき、顔なじみの住職が焼香の列を外れた隙に小声で言ったのを覚えている。
「あの井戸は、もう封じましたか」
ひいばあさんの部屋には、天井近くに古い神棚が据えられていた。中央には龍の木彫り。その足元に、小さな瓶がいくつも並んでいた。すべて裏庭の井戸水だ。封じたはずの井戸から汲み、神前に供えたもの。
ただの水ではない、と家族は口を揃えたが、理由は誰も説明しなかった。
十年ほど前の話を、父から聞いたことがある。
日曜の昼、ひいばあさんは腰の痛みで布団に伏せていた。テレビでは『のど自慢』が流れていたという。平穏な午後のはずが、突然、胸の奥が詰まり、胃から黒い靄のようなものがせり上がってきた。視界がにじみ、音が遠のく。部屋の空気が濃くなる。
見えないのに、誰かがいる。
神棚の前に座り、冷や汗を拭いながら手を合わせたとき、玄関のチャイムが鳴った。
「来た」
ひいばあさんはそう言ったという。
戸口に立っていたのは中年の夫婦だった。愛想よく笑い、腰の低い口調で挨拶をする。ただ、目だけが濁っていた。水面に油が浮いたような、光を返さない目。
父が応接間に通してしまい、ひいばあさんは決まりどおり井戸水を出した。
ひいばあさんは、霊を見たり声を聞いたりする人ではなかった。ただ、水の味で「気配」を知ると言っていた。井戸水には、祀っていた龍神の徳が宿る。人であれば水はただの水だが、そうでなければ、舌に出る。
夫婦は同時に一口含んだ。
笑顔が止まった。
「……これは何ですか」
妻の声が低く落ちた。夫は口元を押さえ、舌を動かしている。
「ただの水だよ」
そう答えた瞬間、妻が叫んだ。
「薬を入れたな!」
夫も椅子を蹴り倒し、舌を引きずり出すようにして言った。
「痺れる。焼ける」
怒鳴り声が廊下に響いた。ひいばあさんは立ち上がらなかった。
この人たちは、何かが足りない。
話を聞けば、夫婦はある神社の管理を任されてきた家系だったという。しかし昭和の終わり頃から掃除も祭祀もやめ、社殿も鳥居も崩れたまま放置している。二十五年以上、何もしていない。
「身内が、立て続けに死ぬんです」
夫の目が血走る。
「親戚が九人。孫も三人のうち二人が……。あの神社のせいだ」
その神社には、平清盛と崇徳院が祀られているという。ただ祀るのではなく、封じるための社だと。
忘れられることで、均衡が保たれていたのかもしれない。
ひいばあさんは線香を焚き、経を唱えた。だが夫婦は祈祷の最中、笑い、怒鳴り、泣き、黙り込み、また笑った。表情が次々と切り替わる。二人で一人のようで、一人で二人のようだった。
「自分ではどうにもならない」
ひいばあさんはそう言って帰した。
三日後、夫が死んだと電話があった。布団の中で冷えていたという。妻は泣きながら言った。
「次は私だ」
ひいばあさんは真言宗の僧に連絡を取った。二日後、僧は電話口で短く告げた。
「封じたものを解いたのは、人間です」
それだけだった。
夫婦の消息は途絶えた。神社は今も地図に載らない。だが、なぜか人が来る。年に何人も、他県から名も知らぬ社へ向かい、命を絶つ。
理由を問うと、誰も言葉を濁す。
ひいばあさんは晩年、よく笑った。
「あれは、もう人に戻れないよ」
私はその意味を深く考えなかった。
あのメモを見つけた日、引き出しの奥から小さな瓶が出てきた。神棚にあったものと同じ形だ。底がひび割れ、水がにじんでいる。
無意識に、指先で触れた水を舌に乗せた。
甘くもない。苦くもない。
焼けた鉄の味がした。
思わず鏡を見た。
舌は赤いままだった。
けれど、口の奥で、誰かが水を飲む音がした。
もう一口、と。
[出典:452 :本当にあった怖い名無し:2009/10/01(木) 19:37:48 ID:aByUAmSIO]