生まれてからずっと、ひとつだけ説明のつかない体質を背負っている。
自分ではどうしようもないのに、誰彼かまわず激怒させてしまうのだ。
最初にその異常に気づいたのは、幼い頃だった。親戚が集まる席で、ただ黙って座っているだけなのに、叔父にいきなり怒鳴られた。「そこに座ってるな!」と。何が悪いのか分からず、震えながら謝ると、今度は泣きながら「お前はほんと腹が立つんだ」と告げられた。子ども心に、何をどう直せばいいのか分からなかった。
学校ではさらに顕著になった。授業中、静かにノートを取っているだけなのに、教師に突然「何て顔してんだ!」と叫ばれる。クラスの友人も理由なく激昂し、机を蹴飛ばしてくる。「そこに立ってるんじゃねえ!」と意味不明に罵られるが、自分は廊下の端に立っていただけだった。
「嫌がらせで皆が結託しているのか?」と疑ったこともある。しかし泣きながら怒鳴られたり、殴られたりする姿を見ると、どうも芝居ではないらしいと悟った。彼らの怒りは、心の底から滲み出ているように思えた。
成人してからも状況は変わらなかった。成人式は修羅場となり、取っ組み合いになった末に報道カメラに映されてしまった。仕事の面接に行けば、ドアをノックし礼儀正しく挨拶した瞬間に「いくら何でも失礼だろ!」と怒鳴られた。百社以上受けたが、まともに最後まで面接を終えられたことすらない。
生活に必要な買い物ですら苦痛だった。レジで「お願いします」と声をかけただけで、店員が烈火のごとく怒り出す。「いきなり何なんだよ!」と。呼ぶタイミングを見計らっても同じだった。飲食店では注文を切り出しただけで、「態度が悪い」と一喝される。
こうして人と接することに疲れ果て、ついに全てを断ち切った。今は山奥の古びたアパートに一人閉じこもり、オンラインで小銭を稼ぎ、誰とも会わずに生きている。親兄弟も音信不通になった。
それでも疑問は消えない。なぜ自分は、人をこれほどまでに逆上させてしまうのか。ある掲示板に相談してみたことがある。「生きてるだけで怒られるフェロモン体質だ」と半ば冗談めかして書き込んだ。だが返ってきた答えは冷たかった。「お前が悪い」「自分を省みろ」と。誰一人、理解してはくれなかった。
それでも何人かは同情してくれた。「店員が客に激怒するなんて普通じゃない」「電話ではどうなの?」と。実際、電話は駄目だった。声を聞いた途端、相手は「ふざけるな!」と怒り出す。幼い頃から、歩き方、声、顔――全てが癇に障ると周囲から言われ続けてきた。
一度だけ、どうしても人並みに扱われたくて、高級クラブに入店したことがある。名刺を渡された瞬間に「何だその態度は!」と怒鳴られ、名刺の端で指を切った。血が滲む自分を見て、同席していた客までもが「血を見せるんじゃねえ!」と烈しく怒り出した。その瞬間、完全に理解した。自分は生きているだけで他人を狂わせる存在なのだと。
だが不可解なのは、ネットでは何も起きないことだ。こうして文章を書き連ねても、誰も怒鳴ってはこない。画面の向こうならば、人は冷静さを保ってくれる。声も顔も歩き方も介在しないからだろう。
ならば、なぜ肉体を持つ現実では許されないのか。あるとき、自販機で菓子を買ったときも、近隣の住人に怒鳴られた。「いつもいつも怪しい生活されちゃ、こっちも住んでられない!」と。自分はただ金を入れて商品を取り出しただけなのに。
ある晩、試しに鏡をじっと見つめてみた。自分の顔は、どう見ても平凡だ。目立たず、特徴のない顔。人を苛立たせる要素は見当たらない。だが十分に長く見続けていると、不意に違和感が走った。鏡の中の自分の表情が、ふとした瞬間にわずかに歪むのだ。ほんの一瞬、相手を嘲るような、挑発するような……。自分では制御できない、無意識の顔。
その時、背後で音がした。部屋には自分しかいないはずなのに。ゆっくり振り向くと、誰もいなかった。ただ、耳の奥に焼き付くような声が響いた。
「そうだ。お前は顔じゃない。存在そのものが人を苛立たせる。だから怒らせてやる。そういう役目なのだ」
心臓が跳ねた。声の主を探しても、どこにもいない。だが鏡の中では、自分がにやりと笑っていた。実際の自分は固まっていたのに、鏡の中だけが勝手に笑っていたのだ。
理解した。人々が怒っていたのは、目の前の自分ではなかった。鏡の中の「もう一人」が、常に代わりに嘲笑していたのだ。
以来、鏡を見ないようにしている。しかし外に出れば、必ず誰かが怒り狂う。あれはもう鏡に閉じ込められた影ではなく、自分の皮膚の下に棲みついてしまったのだろう。
だからこうして文字にしている。文章にすれば、声も顔も介在しない。ただ一つ、恐れていることがある。もしこれを読んでいる誰かが、ふいに言いようのない怒りを感じたなら……それは既に、文字にまで影が滲み出してしまったということだ。
[出典:871 :自分:2019/12/18(水) 23:57:04.94 ID:Zh1GXGX+0.net]