あの人の声が、今でも耳の奥に残っている。
「俺を裏切った元カノはみんな不幸になってるんだ」
そう言って、彼は笑った。冗談めいた調子だったが、目だけが妙に乾いていた。
「前の前の彼女は、母親が死んだ。その次のやつは、親父が借金残して自殺してさ。今は風俗らしいよ」
自慢話のような口ぶりだった。私は一瞬、脅されているのかと思ったが、適当に笑って流した。深く突っ込むのが怖かった。
しばらくして、ある夜。
彼は急に真顔になり、独り言のように言った。
「俺、人殺してんだよ」
冗談だと思いたかった。でも、そのときの沈黙の重さは、冗談の空気ではなかった。
話を聞くと、中学の頃、無免許でバイクを運転し、後ろに乗せていた彼女を事故で死なせたという。凍った道でスリップし、彼女は頭を打って即死だったらしい。
「そのあと何度も、あいつが止めに来た。死ぬなって」
淡々と語る声に、感情はなかった。
私は、なぜか必死になって言った。
「でも、もう大丈夫。私は死なないよ」
今思えば、あまりに不自然な台詞だった。彼を慰めたつもりだったが、あれは誰に向けた言葉だったのか、自分でもわからない。
交際は二年続いた。
私の家族にも紹介した。彼は礼儀正しく、愛想も良かったはずだ。少なくとも、私はそう思っていた。
彼の家族には会ったことがない。ただ、電話越しに声を聞いたことは何度かあった。彼の実家の住所も知っていた。
彼の親戚が、私の実家の近くに住んでいると知ったとき、私は運命じみたものを感じていた。
終わりは唐突だった。
彼が関東の大学に合格し、遠距離が始まった直後、連絡が途絶えた。
電話は繋がらず、メールも返ってこない。
泣いたあと、私は妙な衝動に駆られた。
彼を困らせたい。苦しめたい。
思いついたのは、最低な悪ふざけだった。
死亡通知のはがきを作り、「別れを苦にして私が自殺した」という筋書きで送りつける。
私はそれを実行した。
数日後、母が無造作に言った。
「あんた、これ何?」
差し出されたのは、その死亡通知だった。
差出人は私。宛先不明で、実家に戻ってきていた。
おかしい。住所は間違えていない。以前、彼に手紙を送ったときは届いていた。
混乱している私に、母は続けた。
「ねえ、あんた。この人と付き合ってたの?」
「何言ってるの。二回も家に来たじゃん」
母は首を振った。
「誰の話? うちは誰も、そんな人に会ってない」
その瞬間、背中を冷たいものが流れ落ちた。
冗談だと思いたかった。でも、母の表情は本気だった。
それからだ。
何かが、少しずつ崩れ始めた。
彼と写っているはずの写真を見返すと、顔だけが曖昧だった。輪郭が合わない。
それでも記憶はある。手をつないだ道。川沿いのベンチ。春先の、焼けた草の匂い。
なのに、家族には彼の記憶がない。
手紙は届かず、痕跡だけが空回りしている。
私は、現実のほうがおかしいのではないかと思い始めていた。
ある夜、知人と飲んでいる席で、彼の話をした。
事故で元恋人を死なせたという話を、何気なく口にしたとき、近くにいた店員が言った。
「それ、本当にあった話ですか」
妙に引っかかる言い方だった。
翌日、私は図書館へ行った。
彼が「命日」だと言っていた十二月の日付を中心に、新聞をめくった。
事故の記事は、すぐに見つかった。
無免許の中学生が運転するバイクがスリップ事故を起こし、運転していた男子生徒が死亡。後部座席の女子生徒は、意識不明の重体。
……話が違う。
死んだのは、彼のほうだった。
名前を見て、息が止まった。
誠司。彼が名乗っていた名前と一致していた。
私は混乱した。
学生証を思い出した。確かに、彼は誠司だった。だが、それが本物だった保証はない。
彼が彼である証拠は、どこにもなかった。
思い切って、彼の実家に電話をかけた。
女性の声が出た。私は昔の同級生を名乗った。
「誠司くんと連絡を取りたくて」
少しの沈黙のあと、その声は静かに言った。
「ありがとう。でも……誠司は、もういないの。七年前に亡くなったわ」
その声は、覚えがあった。
私は確かに、以前もこの声を聞いている。
じゃあ、私は誰と話していたのだろう。
親戚の件を思い出し、母に確認してもらった。
「ああ、確かに誠司って子はいたよ。でもね、もうずいぶん前に亡くなってる」
私は携帯の写真を見つめた。
彼の顔を、中学の同級生に見せた。
「……見たことある気はする。でも、違う気もする」
彼は写真から目を逸らした。
今でも、その写真は残っている。
でも、そこに写っている顔が、誰だったのかはわからない。
あの二年間、私は誰と付き合っていたのか。
彼は言っていた。
「俺、人殺してんだよ」
あれは過去形じゃなかったのかもしれない。
あるいは、彼自身が誰かを殺し、その誰かとして生きていたのか。
それとも──
あのとき、確かに死んだのは、最初から私のほうだったのだろうか。
[出典:357:本当にあった怖い名無し New! 2006/07/02(日)22:18:36ID:ahDwViLx0]