職場の同僚と居酒屋で飲んでいたときに聞いた話。
同僚の祖父が生前語っていたという、南方での従軍中に起きた出来事だという。
祖父は戦時中、軍医として東南アジアの駐屯地に派遣されていた。皮膚科の専門だったが、終戦間近になると現地での検視や死体処理まで任されていたらしい。日本に戻ってからも、警察に頼まれて変死体の検視をたびたびしていたというから、医者としても並々ならぬ胆力の持ち主だったのだろう。
そんな祖父が、晩年ぽつりぽつりと語った中に、忘れがたい話があった。
当時、駐屯地には慰問目的で女たちが出入りしていた。祖父によると、女たちは現地人で、もとからその手の仕事をしていた者もいれば、兵士が来てから始めた者もいたという。
その中のひとり、小柄で目が大きく、青い首飾りをした少女がいた。
マツダという若い兵士がその少女に惚れ込み、毎晩のように彼女に通っていた。彼女もマツダを慕い、他の兵士の相手を断るようになった。
ある日、マツダが戦闘で脚を撃たれた。祖父が治療に当たり、少女は寝ずに付き添ったという。手当ての甲斐あって、マツダは一命を取り留めたが、もう前線には戻れなかった。
内地に転属が決まり、マツダは少女に「戦争が終わったら迎えに来る」と約束し、涙ながらに駐屯地を去った。
だが実際には、マツダには日本に妻がいた。
祖父はただ黙って、その場をやり過ごすしかなかった。
少女は泣きながら、じいちゃんにすがったという。日本に連れて行ってくれと。自分は客も取らず、マツダだけを信じていたと。
その夜、祖父の助手をしていた現地人の老人が、ひそひそとこう言った。
「先生。……あの女を連れて行かないのなら、殺すべきです」
祖父は冗談かと思い、笑って取り合わなかった。だが老人は真顔で、それ以上の説明をしなかった。
一月後、祖父は少女の行方が気になり、彼女の住んでいた小屋を訪ねた。
そこにはもう別の女が住んでおり、少女は一月前に毒を飲んで死んだと聞かされた。
じいちゃんは助手の言葉の意味を思い出し、ぞっとしたという。
診療所に戻るなり老人を問いただしたところ、老人は何度も頭を下げてこう言った。
「あの娘が死ぬとは思いませんでした。……私が恐れたのは、マツダの方です」
少女はベトナム山間部の出身で、あの首飾りはその地方に特有のものだったという。
そして、彼の地の娘は、必ず三枚の毒葉を身につける習わしがあった。二枚は自決用。残りの一枚は、自分を裏切った男に使うためのものだと。
毒葉は嚥下すると即死する強烈なものではないが、乾燥させ粉にすれば、発熱や嘔吐、そして急性の心停止を引き起こす。
老人はそれを知っていたから、「殺すべきだ」と言ったのだ。
祖父は慌てて日本にいるマツダに手紙を出したが、返事は来なかった。
戦後、復員した祖父はマツダの実家を訪れた。
そこには、仏壇だけがあった。
マツダは終戦の少し前、九州の基地で急死していた。妻によれば、彼はある夜、持病の薬を飲んだ後、痙攣してそのまま倒れ、帰らぬ人となったという。
祖父は医者として、毒草でそこまで急死することはないと考えていた。少女がそんなことをするとも思えなかった。
だが、後年ホーチミンの伝説として語られた、毒葉を口にして自決した山岳の少女の話を聞いたとき、祖父は初めて言葉を失ったという。
「まぁ……女の恨みは恐ろしいよ」祖父は最後に笑って言ったそうだ。
その笑顔が、なぜか怖かったと、同僚は言っていた。
[出典:188 :本当にあった怖い名無し :2006/12/31(日) 17:00:58 ID:51fGwKso0]