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杉沢村に置いてきたもの r+4,634-5,222

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青森の山を車で走っていたのは、大学時代の夏休みのことだ。

友人二人と、ただ気晴らしのつもりで出かけた。道の駅で買った安いアイスの甘さが舌に残っていたが、山道に入ると空気が一変した。蝉の声が急に遠のき、ラジオのノイズがやけに耳障りになった。

車を運転していたのはKだった。彼は地元の噂話に妙に詳しく、杉沢村の話を口にするたび、私の胸は小さくざわついた。地図に載らない村、斧を振り回した男、全滅した住人……。それらを彼が軽く笑いながら語るたび、背筋が汗で張り付いた。

車窓の外を覗くと、同じ杉の幹がいつまでも続いている。何本目なのか数えるのをやめた時、突然、視界がひらけた。古びた鳥居がぽつんと立っていた。赤いはずの柱は剥げ落ち、ところどころ灰色に錆びている。

鳥居の下に並んだ二つの石。左のひとつは、崩れかけのドクロのように見えた。見間違いだと分かっていながら、視線を逸らすことができなかった。隣の女友達Nは窓にしがみつき、青ざめた顔でつぶやいた。
「……ここ、やばい。入ったら戻れないって聞いたことある」

その声がやけに澄んで耳に残った。だがKはブレーキを踏まず、わざとらしく笑った。
「ちょうどいいじゃん。肝試しだと思えば」

私は止めなければと思ったが、舌が乾いて動かず、結局、三人で鳥居をくぐってしまった。

鳥居を過ぎた瞬間、足元の空気が変わった。草むらから立ち上る湿り気が、靴底を通じてじわじわ染みてくる。昼間のはずなのに、光は杉の葉の奥で溶け、道は不自然なまでに暗かった。

歩き始めてすぐ、背中の皮膚が粟立った。私の呼吸音とは別に、微かにもう一つ息が混ざっている気がした。けれど振り返れば、KとNが笑いながら私を追ってくるだけ。

百歩も進まないうちに、古い家が現れた。屋根は落ちかけ、壁板は裂け、湿った畳の匂いが風に混ざって鼻をついた。四軒並んでいたが、どれも時が止まったように動きを失っていた。

そこで私は、自分の足が重くなるのを感じた。進むべきではないと体が訴えていた。けれどKは先に一軒へ入り込んでしまう。私は嫌々ながら、彼に続いて中へ足を踏み入れた。

薄暗い部屋の壁に、それはあった。茶色く乾いた大きな染み。よく見れば、それは人の手でこすったように乱れていて、血が擦り付けられた跡だった。

Nの息が一瞬止まったのが分かった。彼女が肩を震わせながら言う。
「ねえ……人がいる。絶対にいる」

私の背筋に冷たいものが走った。空っぽのはずの家で、確かに、何かが私たちを見ている気配があった。

私たちは慌てて家を飛び出した。
だが外の空気も安らぎを与えなかった。杉林の静けさが、逆に耳を圧迫してくる。蝉の声も鳥の声もなく、代わりに自分たちの足音と呼吸だけが濁って響いた。

車に戻ろうと来た道を引き返す。だが五十歩ほど進んでも、見慣れた鳥居が現れない。代わりに、同じような杉の幹と同じような笹藪ばかりが続く。気づけば、何分も同じ景色を歩いていた。

「一本道のはずだろ……?」
Kが苛立った声をあげた。声が林にぶつかり、奇妙に跳ね返る。反響が遅れて、もう一人のKが後ろにいるように聞こえた。

Nは泣きそうな顔で私の腕を掴んだ。爪が食い込み、血が滲むほど強く。
「戻れない……戻れないんだよ」

その時だった。林の奥から低い声がした。男とも女ともつかない、乾いた声。
「……返せ」

三人とも固まった。呼吸すら忘れ、汗だけが額を流れる。
耳を澄ますと、確かにもう一度聞こえた。
「返せ……ここから出て行け」

私たちは一斉に走り出した。足元の土が崩れ、笹の葉が頬を切る。どこへ向かっているか分からない。ただ背後にまとわりつく声から逃げようと必死だった。

走っているうちに、三人はばらばらになった。気づけば、KもNも見えなくなり、私だけが杉林の中に取り残されていた。木々が同じ角度で立ち並び、道がどちらにも続いているように錯覚する。汗でTシャツが肌に張り付き、胸が焼けるように痛んだ。

私は必死で「車に戻れ」と念じながら走った。何度も何度も足をくじきそうになりながら。
そして、ようやく目の前に車の黒い影が浮かび上がった時、全身の力が抜けた。

だが安心したのは一瞬だった。車に駆け寄り、ドアを開けてシートに潜り込む。震える手でキーを回したが、エンジンは沈黙したまま。スターターの音すら鳴らない。バッテリーは生きているのに、車全体が拒むように動かない。

次の瞬間、フロントガラスに「ドン!」と衝撃が走った。心臓が胸から飛び出しそうになった。
見上げると、血で濡れた手形がべったりと貼り付いている。

「ドン、ドン、ドン!」
四方から同時に叩く音。窓の外に、無数の手が浮かび上がっていた。掌、指、爪。透けるような皮膚に、赤黒い液体が滴っている。

私は喉から声を出そうとしたが、音にならなかった。声帯が凍り付いたようで、口からは空気しか漏れない。両耳の鼓膜が破れるかと思うほど「ドン、ドン」と響き、車が小刻みに揺れる。

全身の震えに耐えられず、私はハンドルに突っ伏した。そのまま意識が途切れ、闇に沈んでいった。

意識が戻ったとき、私はまだ車の中にいた。窓ガラスにはもう何も残っていなかった。ただ、湿った掌の跡だけが曇りガラスのように白く浮いていた。

外は薄明るく、鳥の鳴き声が聞こえる。夢だったのかと思ったが、背中の汗が乾き、Tシャツに塩の筋が浮いている。
「……生きている」
そう安堵した瞬間、胸の奥が冷たくなった。NとKがいない。

車の周りを探した。だが杉林は静まり返り、風すら動かない。地面には足跡が残っているはずだが、土は乾き、何も刻まれていなかった。

私は震える手でスマートフォンを取り出した。電源は入るが圏外。画面に「午前三時四十七分」と表示されている。おかしい。意識を失ったのはまだ夕方のはずだ。時間が飛んでいる。

その時、車のバックミラーに影が映った。後部座席に、誰かが腰掛けている。
反射的に振り返る。しかしシートには誰もいない。
だが、確かに鏡には映っていた。Nの顔。蒼白で、唇だけが黒ずんでいた。

「返して……」
声は耳ではなく、頭の内側で響いた。
私はドアを蹴破るように飛び出し、山道を転げるように走った。車を捨ててでも逃げなければ、生き残れないと思った。

どれほど走ったか分からない。やがて視界の先に、舗装された道路が見えた。そこにはトラックが停まっており、作業着の男がこちらを見ていた。
私はその場に崩れ落ちた。

気がついたら病院のベッドの上だった。看護師が言うには、山を下りる途中で地元の人に保護されたという。髪は一夜で白くなっていたらしい。

医師や警察に事情を聞かれ、私は杉沢村のことを話した。廃屋、血痕、声、車を叩く手。
だが、説明すればするほど彼らの顔は固くなり、やがて誰もその話題を出さなくなった。

数日後、私は病室から姿を消したとされている。これは奇妙だ。なぜなら、この言葉を書いている私自身が、今も確かにここにいるからだ。

だが鏡を覗くたびに思う。映っているのは本当に「私」なのか。
頬の皮膚は日に日に色を失い、唇は黒く沈んでいく。
まるであのバックミラーに映ったNの顔と、少しずつ同じものへと変わっている。

もしこの話をあなたが読んでいるなら――。
その瞬間、あなたの背後にもきっと、窓を叩く無数の手が浮かび上がっているはずだ。

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