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短編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

赤い頁 r+9,318

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私の名は伊部千恵子。

県内の総合病院に勤務してもう十年になる。
急性期病棟は常に人が入れ替わり、毎日が慌ただしいけれど、仕事に張り合いはある。
それでも、ときどき、思い出してしまう。あの部屋の、あのベッド。
背筋に氷を流されるようなあの記憶は、今でも消えてくれない。

彼女が入院してきたのは、冬の入り口だった。
名前は伏せておくけれど、末期の消化器がん。六十代半ばで、身寄りのない人だった。
抗がん剤の副作用で髪は抜けていたが、清潔に手入れされた身なりで、言葉遣いも丁寧。
よく笑う人だった。ナースコールも最小限で、ナースステーションに差し入れをくれることもあった。
同室の患者さんたちにも慕われていた。
ほんの一ヶ月前のことなのに、それが遠い昔の幻のように思える。

亡くなったのは、ある月曜日の朝だった。
夜勤から引き継いだ時点では安定していたのに、七時半を過ぎたあたりから急激にバイタルが落ち、心肺停止。
処置室に運んで心マをかけたけれど、戻らなかった。
静かだった。あっけなかった。誰も取り乱さず、ただ終わった。
私は淡々と死後処置に入り、書類を整えた。
身寄りがいない患者には、病棟スタッフで持ち物を確認し、最低限の私物整理を行う決まりがある。
私は、彼女のロッカーを開けた。

メモ帳があった。
淡い桜色の表紙。百円ショップで売っていそうな、スパイラル式のもの。
ほんの気まぐれだった。私はそのページを、パラパラと捲った。

中身は、何でもない記録だった。
テレビ番組のメモ、食事の感想、天気、看護師への感謝の言葉……
「今日は伊部さんと中庭に出た」「風が気持ちよかった」「伊部さんは私の話をよく聞いてくれる」
どのページにも、私の名前が書かれていた。私は彼女に、優しくしていたつもりだった。
彼女が心を開いてくれていたのだと知り、胸が熱くなった。
これが、最後の記録……と思ったのに。
そのページを、捲るまでは。

最後の頁は、明らかに異様だった。
黒一色のペンが続いていた中で、そこだけが、赤・青・緑……といった複数の色で埋め尽くされていた。
線が歪み、文字は大きさも向きもばらばらで、まるで誰かが無理やりペンを握らせたかのようだった。

その内容を、今でも私ははっきり覚えている。

『伊部千恵子は以前から私のことをきらっていたようだが、最近は露骨になってきた。
注射はわざと痛くするし、体を拭くのも雑で乱暴だ。もう我慢できない。
薬の中身も先生にばれないようにこっそり変えている。私にはわかる。
きっと成功する。明日やる。血を取りにきたとき、首を刺してそのまま横に裂く。
これを書いているだけで心が晴れる。今夜は眠れそうにない』

……文字は、明らかに彼女の筆跡だった。

背筋が凍った。
頭の中で警報が鳴っていたけれど、私はそれを無理やり押し殺して、メモ帳を閉じた。
同室の患者や、近くにいた後輩たちに気づかれないよう、私は表情を作り、笑った。
震える手でメモ帳をゴミ箱に捨てた。

たまたまその日、ベッド交換をしていた同僚が、ベッドと壁の隙間に落ちていたハサミを拾った。
病棟にはよくある普通の事務用のハサミだったけれど……私は、それを見た瞬間、体が硬直した。
「これ、ここに落ちてたー」
彼女は軽く笑ってナースステーションに戻っていった。
誰も気にも留めなかった。
私以外は。

その夜、私は家で泣いた。
あのページに書かれた内容は、悪夢だと思いたかった。
だが、筆跡は間違いなく本人のもの。文体も、前のページと同じだった。
誰かが悪戯で書いたとも思えない。
第一、誰がそんなことをするというのか。

私が本当に嫌われていたのか。
いや、そんなはずはない。
中庭の散歩で見せた、あの笑顔……
「ありがとう、伊部さん」と言った、あの声……
演技だったというのか。
そう思った瞬間、胃の奥がぎゅっと絞られ、吐き気がこみ上げた。

翌日、私は上司に「体調不良」を理由に病棟業務から外してもらった。
あの部屋には、もう立ち入りたくなかった。
何かが、あの空間に残っている気がした。
殺意の痕跡が、空気の中に沈殿しているような……そんな錯覚が、どうしても拭えなかった。

メモ帳の最後の言葉──
「明日やる」とあった。
けれど、彼女はその「明日」を迎えることなく亡くなった。

あれは、ただの妄想だったのか。
それとも、準備していた何かが、何らかの形で失敗したのか……
考えれば考えるほど、わからなくなっていった。

今でも、ときどき夢に見る。
白く曇った中庭、動かない噴水。
車椅子に座る彼女が、私に向かってにこりと笑う。
だがその目は、まったく笑っていない。
頬にかすかに、青いインクのしみが滲んでいる。
「ねえ、伊部さん。次はちゃんと、成功させてみせるわ」
そう言われて目が覚める。
喉は乾き、手は汗で湿っている。

あのページは、確かに燃やしたはずなのに。
最近、ロッカーの中に、よく似た桜色のメモ帳が置かれていた。
見覚えのないものだった。
まだ開いてはいない。
けれど、何となく、知っている気がする。

あの最後の頁の続きが、そこに書かれているのではないかと──

[出典:222:本当にあった怖い名無し 投稿日:2011/06/02(木) 15:03:45.03 ID:MwAN7rPy0]

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