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ずっと家にいたよね rw+4,831

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あの日のことを、母はいまも覚えているのかどうか分からない。

私は三十を過ぎた今も、時々確認される。

「ゆうちゃん、あの日、お母さんはずっと家にいたよね?」

確認というより、答え合わせのような口調だ。間違えるはずのない問いを、わざわざ出してくる教師のように。

最初にそれを聞かれたのは、五歳の夕方だった。

テレビの音がやけに小さく感じられる日だった。母は台所から顔を出し、妙に明るい声で言った。

「お母さん、今日ずっと家にいたよね?」

私はうなずいた。昼寝のあと、リビングでアニメを見て、母は洗濯物を畳んでいた。それだけの一日だったはずだ。

「ね、ゆうちゃん」

念を押されると、何か大事な答えを出した気がした。母はほっとしたように笑った。

翌朝、隣の祖母が亡くなったと知らされた。

知らせに来た近所の人は、私の目を見なかった。祖母は首を吊っていたという。足が悪く、家の中を歩くのもやっとだった人が、物置の梁に縄をかけて。

椅子も脚立もなかったと、あとで誰かが言っていた。

家には刑事が来た。母は落ち着いていた。涙も流さず、質問に淡々と答えていた。

私にも質問が向けられた。

「昨日、お母さんは家にいた?」

母は少し離れた場所で、こちらを見ていた。私は頷いた。

「ずっと?」

「うん、ずっと」

それが正しい答えだと思った。実際、母は家にいた。少なくとも、私が見ていた時間は。

だが、私にはひとつ思い出せない時間がある。

昼過ぎ、テレビを見ながらうとうとした。蝉の声が窓から入り、畳がぬるくなっていた。裏口のほうで、金属がこすれる音がした気がした。戸が閉まる、乾いた音。

目を開けたとき、リビングに母はいなかった。

家は静まり返っていた。時計の秒針だけがやけに大きく聞こえた。

私は立ち上がり、台所を覗いた。風呂場も、トイレも、空だった。裏口の戸は閉まっていた。鍵はかかっていなかった。

私は時計を読めなかったが、窓の外の影の伸び方で、ずいぶん時間が経ったのだと感じた。三十分、と後になって私はそう言うようになった。だが、その数字がどこから来たのか、自分でも分からない。

やがて、裏口の戸が静かに開いた。

母が入ってきた。額にうっすら汗をかいていた。

「お昼、何食べたい?」

何事もなかったように、いつもの声で。

私は何も聞かなかった。聞いてはいけない気がした。母がどこへ行ったのか、考えることもやめた。

その夜、母は布団の中で私を抱きしめながら言った。

「お母さんは、ずっと家にいたよね?」

私はうなずいた。母の胸は、いつもより硬く感じられた。

それから何度か、刑事が来た。祖母の死は自殺で処理されたらしい。足の悪い祖母がどうやって梁まで届いたのか、私は知らない。物置には椅子がなかった。縄は祖母の手の届かない棚の上にあったと、誰かが言っていた。

母はその話を、二度としなかった。

父が亡くなったあと、母はよく働いた。私は大学まで出してもらった。母に感謝している。あの三十分が何だったのかを除けば、私の人生に欠けたものはない。

それでも、時々夢を見る。

リビングで目を覚ますと、母がいない。裏口が半開きで、外から蝉の声が流れ込んでいる。私は立ち上がり、隣家のほうを見る。祖母の家の窓が、こちらを向いている。カーテンの隙間に、誰かの影が揺れる。

目が合う。

それは祖母ではない。子どもの私だ。

私は、裏口から出ていく。小さな足で、隣の家へ向かう。物置の中で、梁を見上げる。

そのとき、背後で声がする。

「お母さん、ずっと家にいたよね?」

振り返ると、今の母が立っている。

目が覚めると、母から着信が入っている。

電話に出ると、決まって最初に言う。

「あの日、お母さんは家にいたよね?」

私は答える。

「うん、ずっと家にいたよ」

電話の向こうで、母はほっと息をつく。

その息遣いが、物置の梁から軋む音に似ていることを、私はまだ母に言っていない。

今も私は、あの日の午後を思い出そうとすると、裏口の音だけがはっきりする。

戸が閉まる音。

そして、もうひとつ。

誰かが、内側から鍵をかける音。

私は、あの日、どちら側にいたのだろう。

(了)

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