六歳のとき、私は高熱を出して寝込んだ。
その日、母方の祖父が危篤だという連絡が入り、両親と兄たちは田舎の病院へ向かった。子どもの風邪だから大丈夫だろうと判断され、私は家で留守番をすることになった。隣家には念のため声をかけてあったが、固定電話の使い方もよくわからない年齢だった。
家には、父方の親戚から預かっていた小型犬のマルチーズがいた。名前はコロ。白くて小さく、やけに私のそばから離れない犬だった。
熱は下がらなかった。食事も喉を通らず、布団の中で意識が途切れ途切れになる。夜だったと思う。
気がつくと、私は草原に立っていた。寝巻き姿のまま、風だけが吹いている。夢だと考えるほどの余裕もなく、ただ歩いた。
背後から、聞き覚えのある鳴き声がした。
振り向くと、コロが走ってきた。いつもは吠えない犬が、そのときだけは必死に鳴き、私の服の裾を噛んで引っ張った。嫌がる暇もなく、私は引きずられるように歩いた。
次の瞬間、天井が見えた。
病院の白い天井だった。
後から聞いた話では、私が倒れている家で、犬が異様な声で鳴き続け、それに気づいた隣家の人が様子を見に来たのだという。私は呼びかけにも反応せず、体は熱く、すぐに救急車が呼ばれた。四十度を超える高熱だったらしい。
助かったあと、コロはしばらく元気だった。
だが、数週間もしないうちに、突然死んだ。病気でも事故でもなかった。朝、目を覚ますと、ただ冷たくなっていたという。
十八歳になったある朝、目が覚める前に、奇妙な感覚に襲われた。
体が軽く、浮いている。
下を見ると、布団に横たわる自分が見えた。部屋の隅に、黒い影が立っていた。人の形をしているが、顔はよく見えない。
声は聞こえなかった。言葉もなかった。
ただ、その影は、私を見ていた。
次の瞬間、強い衝撃とともに意識が戻り、私は息を吸い込んで目を覚ました。部屋には誰もいなかった。
それ以来、ときどき思う。
あのとき草原で引きずられたのは、どこだったのか。
あの朝、立っていた影は、何を待っていたのか。
そして、もしあの犬がいなかったら、自分は今、どこにいるのか。
考えても答えは出ないまま、私は今日も普通に生きている。
(了)
[出典:2012/03/29(木) 00:34:52.79 ID:j67uNub30]