忘れもしません。小学三年生の夏休みでした。
盆が近くなってきた夜、父が母に「明日連れて行くことにした」と言うと母は私の数日分の着替えをバックに用意してくれた。
「どこいくの?」と尋ねると父が「明日になったらお父さんと二人で、親戚の家に行こうな。そこで、二~三日お泊まりするんだよ」
「うん!!」
今まで外泊をしたことがなかった私はとても喜んではしゃいだ。
翌朝に父の実家に出かけました。場所がかなり遠かったので私が生まれてから、連れていく機会がなかったそうです。
到着した時は陽も落ちた夕方になっていました。そこは山に囲まれて田畑が広がっていました。
まるで外界を遮断するようなすり鉢状の地形が特徴的です。
外灯もほとんどなく夜ともなれば真っ暗です。
挨拶をして夕飯を食べ終えると、疲れでいつの間にか寝ていました。
翌朝、同じように父の実家に来ていた二つ年上で遠縁の親戚にあたる男の子で真君が私の遊び相手をしてくれました。
二人で外を散策しに出かけることにしました。
すると祖母と祖父からあまり遠くへは行かないように、そして山へは絶対登らないように言われました。
真君が「何で山はいかんの?」と聞くと祖父が「お前たちは道を知らんから迷いでもしたら生きて帰れんかもわからん」
祖母も「盆は、ご先祖様がみんなでこの山から帰ってくるから、家で準備して待ってるきまりなの。だから今は山にいったらいけないんだよ」と言ってました。
外で、かけっこしたり近所の人からもらったスイカを川で冷やしながら水遊びしていると本当に楽しくて、あっという間に夕方近くになった。
真君の「そろそろ帰ろっか」の言葉で二人して帰っていると私は光が目にちかちか入ってくるのが気になって辺りを見渡していると山の中腹から光が反射していました。
真君が「どうしたん?」と聞いてきたので、私は山を指差して「あれ何かな?何で光がちかちかしてるの?」と言いました。
「ほんとやなぁ…、よっしゃ!調べたる!!」と言うと真君は背負っていたリュックから双眼鏡を取り出した。
私は「うわぁ、かっこいい!!いいなぁ~」と羨ましく思った。
真君は「そうやろ?父ちゃんにせがんで買ってもろたんや、グーニーズって映画が大好きでな、このリュックに冒険グッズをいっぱい詰めてるんや」
そう言いながら光の方を覗いた。
しかし「ちょっと遠くてようわからん。なぁ今から少し山入ってみんか?」と真君が言う。
私は「じいちゃん、ばあちゃんに言われたから駄目だよ。もうすぐ暗くなるし、もしかして、ご先祖様が帰ってきてるのかもしれないよ。早く帰ろう!!」と怖くて言いました。
すると真君は「大丈夫だって!そんなの迷信や!!双眼鏡で見えるとこまでちょっと近づいて帰るだけやから。そんな奥まで入らんから心配いらんいらん」と歩き出しました。
私は帰りたかったのですが道を覚えてなかったので真君についていきました。
山に入る頃には陽が落ちかけていましたが鳥居と祠を見つけて、そこから山に登っていきました。
最初は蝉やカラスが鳴いていたのですが、そのうち山は静まり返っていました。
怖くて「真君もう帰ろ」と促しますが「もうちょっとや」と言う頃には太陽は沈んでいました。
そこで双眼鏡を覗きながら真君が「あれや!!」と大喜びでした。
「何が見えるの?僕にも見せてよ!!」と好奇心いっぱいです。
真君は
「ちょっと待ってな…なんやあれ?風が渦巻いとるんか?…いや違うなぁ…なんかが回っとるようや…人か?…いや人やったらあんな色…ピントがあわん…もうちょっと…」と言いながら数歩進んで立ち止まりました。
沈黙する真君が心配になって「大丈夫?」と近づくと真君は体を震わせながら、鼻血がぼたぼたと流れています。
「に…にげ…に…げ…ろ!!…う……ご…けな……」と双眼鏡を落とし真君の顔が、顔が。
口が麻痺したように歪み目がびくびくと痙攣したような激しい瞬きを繰り返す。顔面麻痺そのものでした。
「あぁ~…あぁ~……あぁ~…」と唸りながら閉じることのできない口からよだれが止まりません。
真君は別人になってました。このままでは危ないという恐怖と目の前の現実に頭が混乱して無我夢中で走り出しました。
気がつくと鳥居を抜けて道に出ましたが足をつまずいて転びました。
膝を擦りむいて血がでてるところを通りがかった近所の人に声をかけられ、大声で泣き叫んでしまいました。
おばさんに「坊どうしたの?」と言われ「真君が…真君が山で…」とまた恐怖と悲しみで泣き叫んでいました。
するとおばさんの表情が真っ青になり慌てて私をおんぶすると「どこの子かい?」と尋ねられ名字を言うとすぐに軽トラックに私を乗せ家まで連れて行ってくれた。
玄関に着くなり、おばさんは「大変だよ!!!」と叫ぶ。その声に家にいた人達が全員玄関に集まった。
父が私を見て「大丈夫か!?どうした?」と血相を変える。
真君のお父さんが「真は?真はどこだ!!!」と叫ぶ。
祖父が「馬鹿者が!!!山か!!……」祖母は「あぁなんてこと!!」と泣き出した。
祖父が「お前たちすぐに準備して山むかうぞ!!」
実家に集まっていた祖父と父と真君のお父さんと私で山へ行くことになった。
すっかり辺りは真っ暗になっていたので松明で火を灯して登ることに。
すると祖父が私達に「いいか山に入って真を家に連れ帰るまで絶対に喋ってはいかん。それから何が聞こえても決して後ろを振り向くな。
“あれ”との距離を縮められたらおしまいだ。いいな」
わけの分からない恐怖を必死に抑えながら進んでいくと先ほどと同じ場所に同じ状態で直立不動の真君がいた。
無言で近づくと、先ほどとは違い真君は目が白目をむいて髪の毛が全て白髪になっていた。
大人達が真君を抱えると私は落ちていた双眼鏡を拾い山を降りていく。
すると後ろから「おーい………おーい」と低く抑揚のない声が聞こえてきました。怖くて足がすくむと父が手を握り私を誘導します。
さらに「……だよー……だだよー………むだだよー……」と山の中で声が響きます。泣きそうなのをこらえていると私達のじゃない足音があちこちからザッ…ザッと聞こえてました。
なんとか正気を保ちながら山を降りて車で帰ろうとしますがエンジンがかかりません。
祖父が「捨てるぞ」と言って足早に歩いて帰りました。
家に着くと真君のお母さんが玄関で待っていて真君の変わり果てた姿に泣き崩れ、私はその場で真君と両親に土下座して
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!……」と何度も泣きながら謝った。
すると祖父が「そんなことしてる場合じゃない!!」と一喝して
「“あれ”はまだこっちに来てるんだ!!わしはまだやることがある。婆さん!あとを頼む」
祖父は真君を抱いて再び出かけた。
父と真君のお父さんは祖母が用意した白装束に着替え、私は裸で庭の井戸から汲み上げた水を何度も何度もかけられた。
居間に戻ると祖母が私を心配して「大丈夫?」と声をかけてくれたので「真君はどうなるの?僕と真君はどうなるの?おじいちゃんが言ってた“あれ”って何?」と問いかけました。
祖母は声を震わせながら
「可哀想だけど真はね元には治らないかもしれない。だけど治すためにしばらく両親と離れて遠いところにいくの。“あれ”っていうのはね、昔からこの山にいて“フタモノ”ってここでは呼ばれる。この世のものじゃない。ここ何十年も山の掟を破る者はおらんかったので見た者はおらんかった。ばあちゃんは、もはや昔話の戯言かとも思ってたのよ。本当におったか。それを真は見てしまった。言い伝え通りなら坊も危ない」
話をしていると父と真君のお父さんが来て準備ができたと祖母に伝える。すると私と父が二階の部屋に入る。
部屋中に御札が張り巡らしてあった。部屋に入る時、真君のお父さんが私に真君の双眼鏡を渡しながら
「真は好奇心の強い子だ、無理に山に行ったんだろう。こうなってしまったのは可哀想だし、息子をこんなにしたやつが許せない。でも決して坊のせいじゃないからね」と言ってくれた。
父と二人で部屋に入ると電気を真っ暗にして父が私に
「今から本当にフタモノの仕業かどうかを確かめる。言い伝え通りなら今頃はこっちに向かってきてるはずだ。フタモノは視野が広い。絶対に見ていると気づかれないように注意しなければならない。気づかれたらどうなるかはもうわかってるね?だから死角となる位置からそっと覗く。フタモノより遠く離れた高い位置から見下ろす。でも声を出してはいけない。見つけたら何も言わずに双眼鏡を渡しなさい」
静かに頷くと、窓のカーテンの隙間から双眼鏡で山の方を覗く。
無言で一時間程経ったところで妙な発光する何かがぼんやり見えた。
だが暗いし遠すぎてよくわからない。それから更に二時間は経過したと思います。
その頃には山から出てきた発光するものが光ったり消えたりを繰り返しながらだいぶこちらに進んでいた。
ようやく姿をとらえてきた。真君の言ってた通り渦巻いて見えてたものは人のような姿形で回転しながら進んでいる。
そして同じ人の姿形をしたものはなんと二人いて、くっついて一人の姿形をしていました。
頭から胴までの下半身のない人が二人いたとします。一人は逆立ちをしていると想像してください。その上にもう一人を乗せて胴体を一つにくっけた状態です。
そして逆立ちしている方が下半身である足の役割をして動いていました。
進みながら数秒間立ち止まります。上半身のやつが顔を正面を向いていると下半身のやつの顔は逆立ち状態なので後ろを向いています。
止まっている間に目を覗くと、真っ白に見えました。
しかしよく注意して見ていないとわからない程の速さで左右の目をばらばらに縦横、斜めに動いてます。こうやって探し回っているのでしょう。
これが視野が広い理由だったのです。
前髪は短く平行に揃えられて後ろ髪が長長く、皮膚は薄い青白い色に斑で内出血したようなどす黒い色が混じっていました。
そして私はわさびを多く食したような感覚の頭痛がしたかと思っていると、いつの間にか父の顔を見上げる私がいた。父が何度も何度も私の顔に平手打ちをしていた。
最初は何も感じなかったが徐々に頬が痛くなるのを感じて、ようやく我に返った。
後から聞いた話によると畳に雨漏りがしたような音がしたので父が伏せて周囲を見渡していた。
すると私の方から音がするので肩を叩くも私が何も反応しないので、振り向かせると私は硬直したまま意識がなく私の鼻から流れる血が畳に落ちてる音でした。
私は黙って父に双眼鏡を渡して窓に指を差しました。
普段霊感がなく全く視えない人でも霊の力が強ければ、霊からわざとみせつることができるそうです。
父が確認を済ませると二人で部屋を出ました。
一階に降りると父が皆に「間違いない」と言います。
このままだと確実に私を山に引きずり込みに家に来るということでした。
すると祖父が数人の大人達を連れてきていました。
私と父を安全な場所まで移動させる為に集まってます。
祖父に聞かれて父と私でフタモノが進んでる道のりを大まかに説明しました。
避難経路を祖父達が確認して玄関先に数台の車が用意してあります。
そのうちの一台に乗る時に真っ黒い包み袋が用意されており私は窮屈だろうが我慢して袋の中に入るように言われました。
そして袋に屈むようにして入った私を車内の後部座席の足元に入れ込み隠すようにして出発しました。
袋の中は真っ暗で外の様子はわかりませんでした。しかし走行中に誰かが「ひぃっ!!」と漏らす声が聞こえた。それから車体を何度も何度も叩く音がしばらく続いた。
鳴り止んだと同時に
「他の車を覗き込みに行ったようや、今のうちや」
と小声で話すのが聞こえました。そしてしばらく走ると、お寺の前でようやく降りることができました。
私はいつの間にか袋の中で眠っていたようです。
まだ外が暗い深夜頃だったと思います。祖父と父と私で寺に入ると私は何度も眠りに落ちそうなのをこらえ、お経を二時間四十分読み上げました。(時計をたまに見てました)
あれからは電話のやりとりはしますが、成人するまでは行くことを固く禁じられました。
あれから真君のお父さんは当時の仕事を辞めて出家しました。
両親で真君の為に血の滲むような修行を重ねて五年経った頃には、真君は奇跡的に治ることができました。
送られてきた写真には元気に笑顔で写った真君一家が。
髪が白くなったままの真君を見ると、どれだけ恐ろしかったかを思い知らされます。
(了)