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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

十一階のまま nw+

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中学一年の春、自分は朝刊の配達をしていた。

小遣いが欲しかっただけだ。任されたのは、地域でも一番高い団地だった。十数階建ての棟が一本、周囲の建物を見下ろしている。朝の霧のなかでは、建物の上半分だけが浮かび、下の階は白く溶けて見えた。

その団地では、何度か飛び降りがあったと聞いていた。何階からだったのか、何人だったのかは誰もはっきり言わない。ただ「上のほうで」という曖昧な言い方だけが残っていた。

配達は単純だ。最上階まで上がり、そこから階段で一階ずつ降りながら新聞を入れていく。毎朝同じ順路をなぞるうち、怖さは薄れた。建物はただのコンクリートの箱になった。

ある朝、一件だけチケットを入れ忘れたことに気づいた。十一階だった。エレベーターを呼ぶと、表示は最上階を示している。扉が開き、無人の箱に乗り込む。用事を済ませ、再び呼び出した。

表示は動かない。最上階のままだ。

ボタンを押して待っていると、数字が一つ下がった。十二階で止まる。カチリ、と乾いた音だけが廊下に響いた。そこには階段がある。もし誰かが乗ったのなら、足音がするはずだ。だが何も聞こえない。

数字はそのまま止まり、しばらく動かなかった。

自分は十一階の廊下で、エレベーターの扉を見続けていた。背中に汗がにじむ。誰もいないのに、誰かがこちらを見ている気がした。

やがて表示が変わり、箱は降りてきた。

扉が開く。

中に二人立っていた。

一人は背の高い影、もう一人はそれより小さい。どちらもこちらに背を向けている。手が触れているのかどうかも分からない。濡れた布の匂いがした。雨は降っていない。

二人は微動だにしない。こちらを見ない。自分がそこにいることを前提にしていない立ち方だった。

自分は乗らなかった。

扉が閉まる瞬間、表示を見る。行き先の数字は変わらない。十一階のままだ。だが、箱は上へ動き始めた。振動が足元から伝わる。表示は十一のまま、揺れだけが増していく。

最上階の数字は点灯しなかった。

どこまで上がったのか分からないまま、振動が止まった。

その日、自分は配達を辞めた。理由は言わなかった。団地の前を通らないようにして生活した。

だが、別の場所で働き始めてからも、時々エレベーターの表示が動かないことがある。数字は変わらないのに、上昇の感触だけがある。扉が開くと、誰もいない。だが、床には濡れた跡が二つ並んでいる。

上に向かう感触だけが、いつも残る。

どこが一番上なのか、自分はまだ知らない。

(了)

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