Mとは、小一の頃からのつきあいだった。
頭は良かったけれど、身体はひょろくて、動きも鈍かった。おまけに失禁癖があって、何度か授業中に漏らしたこともあった。ある日、みかん畑で野糞をして、葉っぱで尻を拭いたという話が学校中に広まり、誰かがその様子を面白おかしく歌にして、それがクラス中で流行った。
Mのことを、嫌いではなかった。けれど、からかいやすかったのも確かだった。
Iという悪友がいた。あれは、たぶん家庭環境が複雑で、母子家庭で育った。母親は夜まで働いていて、家に誰もいないことが多かったから、Iはいつも人の家をうろついていた。中でもMの家は格好の遊び場だった。裕福な家庭で、広い家に自分だけの部屋、最新のファミコンソフトも揃っていた。
Iは、その家に爆竹を持ち込んで、導火線を伸ばしてMの部屋で爆発させたり、ベッドにかんしゃくだまを仕掛けて飛び跳ねたりした。Mはびっくりして叫ぶけれど、それ以上怒ったりしない。その反応を見るのが面白くて、ついつい僕も一緒になって笑ってしまっていた。
けれど、Iの悪意は明らかに遊びではなかった。
毒毛虫を葉で包んで、Mの部屋のドアノブに仕掛けたのもIだ。Mがそれを握った瞬間、「いた……い」と声をあげてしゃがみ込んだ。顔は真っ青で、涙を浮かべていた。Iは「オレがやったんだ」と言って笑っていたけれど、その目は何か黒いものが沈んでいるようだった。
クモを大量に部屋にばらまいた時は、さすがに僕も少し引いた。けれどMは、ほとんど泣きもせず、じっとしていた。あれは、何かが壊れ始めていたんじゃないかと思う。
そのMが、本当に変わったのは中三の春だった。
受験が終わって、僕たちはサバゲーに熱中していた。あの頃はBB弾の銃が流行ってて、みんな少ない小遣いをやりくりして高性能の銃を手に入れていた。ある日、小学校の裏山――R山で本格的なサバゲーをしようということになり、6人で山に入った。
M、I、H、Y、S、そして僕。
二班に分かれ、僕はMとI、Sと一緒になった。Mはいつものように無口だったけれど、なぜか道具の準備は一番早かった。R山の小高い丘の上に基地を築いて、土と枝で遮蔽物を作り、敵を待った。
二十分ほどして、敵チームのHとYが現れた。ふたりとも銃の性能が違いすぎて、こちらの弾はほとんど通らなかった。丘を登ってくる彼らに向かって、僕たちは弾だけでなく、枝や腐葉土まで投げつけた。けれど、追いつかれてしまった。
普通なら、ここで「捕虜だ!」とやられてゲームオーバーになるはずだった。でも、そうじゃなかった。
HとYは、怒りをMに向けて、至近距離から何発もBB弾を撃ち込んだ。目も耳も狙っていた。Mは顔をしかめて、なぜか無言のまま立ち尽くしていた。
そして次の瞬間。
Mは、どこからか太い枝――もはや柱に近いものを持ち上げ、振り回し始めた。HとYに向かって、無言のまま、無表情で何度も何度も叩きつけた。
あの時のMの顔は、あまりにも異様だった。
僕たちが「もうやめろ!」と止めに入ると、今度は僕たちの方へ柱を振りかざした。4人がかりでMを押さえつけるのがやっとだった。しばらくしてMの動きが止まり、力が抜けたように崩れ落ちた。
その時、ふと気づいた。
あの柱のような枝――あんな重いもの、中学生の僕でもやっと持ち上げるくらいの重さだ。それを、あのMが、ひょろひょろのMが、片手で振り回していた。
Mが静かになった後、Hが、震えた声でこう言った。
「……Mの後ろに……男が立ってた」
着物を着た、髷を結ったような男だったという。しかも、その男はMの肩に手をかけていた、と。
その場は気味が悪くて、すぐに解散した。幸い、HとYは打撲程度で済んだけれど、それ以来、Mとは口をきかなくなった。
後日、あの山――R山のことを親戚から聞いた。江戸時代には山陽道の難所だった場所で、山賊が出た記録もあるという。海側は断崖で、街道を山に通すしかなかった。そして、海が隆起して道が使われなくなった頃、あの山は忘れられ、やがて小学校の裏山になった。
昔の名残か、R山の入口には地蔵が立っている。でも、誰もそこから入らない。空気が重く、湿っていて、何かが見ているような感覚があるからだ。
僕は思う。
あの日、あの瞬間だけ、Mは――Mの中に、誰かが入っていた。あれは山賊だったのか、それとも山賊に殺された誰かなのか。
けれど、確かに言えるのは、Mの長年の鬱屈と苦しみが、その何かを呼び寄せたということだ。Iの悪意、僕らの笑い、すべてがあの丘の上で一気に噴き出した。
そして、今もたまに、夢に見る。
無表情のMと、あの着物の男が、黙ってこちらを見ている夢を。
……彼らは、ずっとそこにいたのかもしれない。
Mの背後で、笑いながら。
[出典:260 :その1:03/06/21 13:25]