絶対に他言無用だと念を押されたのは、誠司だった。
それでも俺は書いている。口に出さない代わりに、文字にしているだけだと言い訳しながら。
誠司には義光という友人がいた。無口で、視線が合わない。爪を噛む癖があり、笑うときも目だけが動かない。俺は二、三度会っただけだが、あれは人と並んで立つ種類の男ではなかった。
きっかけは桃鉄だったという。些細な喧嘩だ。だが疎遠になって数か月後、義光から電話があった。
「今から来ないか」
誠司は向かった。
チャイムは鳴らない。ノックにも返事がない。ドアは半開きで、室内は真っ暗だった。
「こっちだ」
声に導かれ、奥へ進む。床にいくつもの蝋燭が置かれ、揺れる炎だけが誠司の影を壁に貼り付けていた。
「停電か」
「まあ、座れよ」
胡坐をかいた瞬間、乾いた音がした。
ポン。
次の瞬間、すべての炎が同時に消えた。風もない。息遣いもない。ただ一斉に、消えた。
闇の中で、目の前の気配が近づく。
その直後、背中に重みが落ちた。押しつけられるのではなく、染み込むように。冷たいものが肩甲骨の間から内部へ滑り込む。呼吸が浅くなり、吐いた息が戻ってこない。
「ふざけんな」
灯りがつく。義光が笑っていた。
「儀式だよ。今のでお前に憑いた」
何が、と誠司は聞かなかった。
土下座すれば戻してやると義光は言った。罵倒しながら。誠司は殴った。殴っても、義光は笑っていた。血が唇から垂れても、目だけが楽しそうだった。
そこから誠司は崩れた。
毎晩三時に目が覚める。耳鳴り。吐き気。背中の重さ。検査は異常なし。代わりに、ノートに文字を書き散らすようになった。
「めんそ げら やしけど」
「みてる みてる」
「きつ月山日 板色」
意味はないと誠司は言う。自分で読めないと言う。
俺はそのノートをスキャンした。頼まれてもいないのに。消えるのが嫌だった。
麻比古という男がいる。神社の息子だ。誠司を一目見て、車に乗せた。目隠しをして、砂利道を走る。冷たい床。湿った空気。線香の匂い。
目隠しを外すと、古い建物の一室だった。天井から垂れる縄。四隅の札。向かいに黒い着物の男。麻比古の父だ。
「よう来たな」
除ける、とも、祓う、とも言わなかった。
首筋に砂を塗られ、鈴が鳴る。誠司の体が震え始める。規則的に、次第に大きく。最後に大きく跳ね上がり、何かが抜け落ちた感覚があったという。
帰りの車で麻比古は笑った。
「目隠しは成功率を上げるためだ」
成功率、という言い方が妙に残った。
だが終わらなかった。
麻比古は誠司の家の廊下を見て、霊道があると言った。姿見を置けと命じた。通り道に鏡を立てれば、気づくから、と。
何に、とは言わなかった。
数日後の夜、廊下で足音がした。ゆっくり、重い。
ガン、と衝撃音。洗濯機の上の籠が床に散らばっていた。
「ムシャクシャしたんだろ」
麻比古は軽く言った。
しばらくして、義光の話を聞いた。
父親に包丁で刺されたという。理由は分からない。父は記憶がないと言った。母親は「腕を舐められた」と証言したらしい。何に、と警察が聞いたかは知らない。
それ以降、誠司は三時に目を覚まさなくなった。
代わりに、俺が目を覚ます。
耳鳴りがする。肩が重い。背中に何かが乗っている気がする。
スキャンしたノートは、今もパソコンの奥にある。開いていないのに、文が浮かぶ。
みてる。
きつ月山日。
めんそ。
他言無用だった。
文字にした時点で、もう半分は渡しているのかもしれない。
(了)