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ごぜさんの鐘 rw+3,230-0105

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あたり一面、山しかない土地で生まれ育った。
どこを見ても稜線が重なり、視界の行き止まりには必ず木立があった。子どもの頃の私にとって、世界は山に囲われた器のようなものだった。

集落の外れに、古い寺がある。
観光寺院ではない。檀家も少なく、行事のときだけ人が集まる、土地に埋もれた寺だ。そこに、ひとつ奇妙なものがあった。

鐘である。

ただし、普通の鐘ではない。
布と縄で幾重にも巻かれ、形がはっきりしない。撞くための丸太もなく、吊られているというより、縛り付けられていると言ったほうが近かった。屋根付きの鐘撞き小屋の中で、それは沈黙したまま、長い年月を過ごしていた。

私が物心ついた頃には、すでにそうだった。
誰も正式な名前で呼ばず、「ぐるぐる巻きの鐘」と言っていた。

幼い頃、テレビで『一休さん』を見て、初めて「鐘」というものを理解した。
寺には鐘がある。鳴らすものだ。音が出るものだ。
そう思って、あの鐘を思い出したが、どうしても結びつかなかった。あれは鳴らすためのものには見えなかった。

小学生の頃、両親に尋ねたことがある。
「なんであの鐘、ぐるぐる巻きなの」
父も母も、はっきりとは答えなかった。ただ、自分たちが子どもの頃からああだったと言うだけだった。

年月が流れ、私は大学進学を機に家を出た。
夏休みに久しぶりに帰省し、車の窓から懐かしい景色を眺めていたとき、違和感に気づいた。

寺が見える。

以前は、裏山に遮られて見えなかったはずだ。
山が削られ、里山がなくなり、視界が開けていた。虫を追い、アケビを取った記憶のある場所が、もうそこにはなかった。

夕食の席でその話をすると、両親は言った。
寺は数年前から無人だという。法事や祭りのときだけ、別の寺から僧侶を呼んでいるらしい。

その夜、なぜか寝つけなかった。
窓を開けると、山の闇が静かに横たわっている。風の音に混じって、低い響きがした。

ぐうん。

遠く、腹の底に触れるような音だった。
鐘の音だと思ったが、見えるものは何もない。月明かりに照らされるのは、山の輪郭だけだ。

押し入れから、昔使っていた双眼鏡を引っ張り出した。
レンズを拭き、寺の方向を覗く。

人影があった。

三人ほど。
懐中電灯の光がちらつき、鐘撞き小屋の周りで何かをしている。縄を引き、木の棒を差し込んで、鐘を持ち上げようとしているようだった。

次の瞬間、何かが外れた。

鈍い音。
続いて、耳を塞ぐ仕草をする二人。
そして、ごうん、という音が空気を震わせた。

同時に、集落のあちこちに灯りがともった。
目を戻すと、鐘撞き小屋の周りに、もう人影はなかった。

翌朝、母が言った。
「昨夜の音、聞いた?」

適当にごまかし、再び双眼鏡を覗いた。
今度は人が集まっていた。警察と、消防団。地面を囲み、何かを相談している。

昼過ぎ、源太君のおばあさんを見かけた。
小学校の同級生だった源太は引っ越したが、祖母とは顔見知りだ。

「鐘、売れるんですかね」
何気なくそう言ったあと、私に向かってぽつりと続けた。
「ごぜさんの鐘、って言うんだよ」

意味を尋ねると、おばあさんは少しだけ黙った。
「昔はね、あの鐘が合図だったんだよ」

それ以上は多くを語らなかった。
ただ、「鳴らしていいものじゃない」とだけ言った。

夕方、再び鐘撞き小屋に人が集まった。
掛け直すか、撤去するか、話はまとまらない。

おばあさんが言った。
「あんな鐘、鳴らしちゃいけない。昔の話じゃないんだよ。今でも、来る」

何が来るのかは言わなかった。

その夜、私は眠れなかった。
耳の奥で、あの音が反響している気がした。
あの鐘は、音を出すためのものだったのか。
それとも、呼ぶためのものだったのか。

警察は盗人を追ったが、行方は知れなかった。
ただ、あの夜を境に、誰も鐘に近づこうとはしなくなった。

今も、あの寺の鐘は、ぐるぐる巻きのままだ。
見えているのに、触れてはいけないものとして、そこにある。

そして私は思う。
あの音を聞いてしまったこと自体が、すでに関わってしまった証なのではないかと。

あれは、過去の話ではない。
鳴ったのは、確かに、今だった。

(了)

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