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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

二週間だけの家族 nc+

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隣の部屋に夫婦が引っ越してきたのは、去年の夏だった。

自分は写真の専門学校に通っていて、学校の近くの木造アパートで一人暮らしをしている。風呂なしトイレ共同、四畳半一間。畳はところどころ黒ずみ、壁は板切れのように薄く、隣の部屋の咳払いまで聞こえる。月一万五千円という破格の家賃には理由があって、このアパートは一年半後に取り壊される予定だった。どうせその頃には卒業している。そう割り切って住んでいた。

幸い自分の部屋は角部屋で、隣は長いこと空室だった。だから多少は気楽だったのだが、ある日大家から、隣に一時的な入居者が来ると告げられた。四十代くらいの夫婦と、三歳ほどの男の子だという。社宅の工事が終わるまでの二週間だけの仮住まいらしい。

引っ越しの挨拶に来た二人は、どこにでもいそうな普通の夫婦だった。旦那は気の弱そうな会社員風で、奥さんも愛想がいい。子供もおとなしく、こちらをじっと見上げていた。特に引っかかるところはなかった。

最初の三日間は本当に何も起きなかった。自分は昼間は学校、夜はバイトでほとんど部屋にいないし、向こうも気を遣っているようで物音も少なかった。

異変に気づいたのは四日目の夜だ。眠っていると、ドンと腹に響く鈍い音で目が覚めた。隣の壁からだ。そのあと小声で夫婦が何か言い合っているのが聞こえ、すぐ静かになった。寝直そうとしたそのとき、またドシッという音がした。重たいものを、しなる棒で叩いたような音だった。ビシッ、ドシッと、間を置いて繰り返される。

耳を澄ましていると、さらに別の音が混じった。生き物が喉の奥で押し殺すような、低い泣き声だ。注意しないと聞き逃すほど小さいが、確かに「ウエェ」と伸びる声だった。最初は子供が夜泣きしているのかと思ったが、どうにも様子が違う。虐待という言葉が頭をよぎった。

音は二十分ほどで止み、自分もいつの間にか眠っていた。

翌朝、廊下の共同トイレへ向かう途中、例の子供を見かけた。薄汚れたTシャツに半ズボンで、一人でしゃがんで遊んでいる。近づくと、びくりと肩をすくめてこちらを見た。だが顔にも手足にも痣は見当たらない。試しに「兄弟いるの」と聞くと、黙って首を振った。それ以上は聞けなかった。

その夜も、そして次の夜も、同じ時間に同じ音がした。決まって深夜二時過ぎ。ビシッという音と、くぐもった低い声。時間もほぼ二十分で変わらない。不気味ではあったが、直接の迷惑というほどでもなく、通報する勇気もなかった。

決定的だったのは、それから五日ほど経った朝方だ。トイレに行こうと廊下に出たとき、隣の部屋の引き戸が少しだけ開いていた。その隙間から、何かがこちらを覗いていた。

猫より少し大きいくらいの体。裸で、毛がほとんどない。廊下の電灯に照らされ、皮膚は黄色く見えたが、実際は病的な青白さだったと思う。背中には棒で打たれたような黒い痣が何本も走っていた。頭は歪に膨らみ、ひょうたんのような形をしている。片目だけが異様に赤く飛び出し、きょろきょろと動いていた。その目には、獣とも人ともつかない、はっきりした意志が宿っているように見えた。

首には重そうな鉄の首輪がはめられていた。そいつが一歩、こちらに出ようとした瞬間、首輪についた紐が強く引かれ、ドアに頭を挟まれる形で中へ引きずり戻された。ガチャンと音を立てて戸が閉まった。

幻覚だと思おうとした。だが、あの目の動きと、背中の痣だけは、どうしても夢だとは思えなかった。

それ以降、夜の音は続いた。叩かれる音とうめき声。自分の中では、あれが叩かれているのだと勝手に結びついていた。

夫婦が出ていく二日前、事態が変わった。いつもの鈍い音のあと、今度は甲高い悲鳴が上がった。「ウンギャアアアア」という、耳を裂くような声だ。その直後、旦那の声がはっきり聞こえた。「死んだじゃないか、やりすぎた」。続いて奥さんが「わたしのせいじゃない」と叫び、すべてが静まり返った。

翌日は日曜で、隣では引っ越し業者が出入りしていた。終わった。そう思っていた夕方、ノックの音がした。ドアを開けると奥さんが立っていた。肌は乾き、短期間で急に老けたように見えた。

「よかったら、最後に一緒に夕食どうですか」

断ると、少し走って戻り、タッパーを差し出した。「鴨の肉の味噌漬けです」。白っぽい肉が味噌に沈んでいた。

部屋に戻り、蓋を閉めようとしたとき、肉の表面が一瞬だけ不自然に歪んだ気がした。波打ったようにも見えたし、光の加減だったのかもしれない。確信はなかった。ただ、食べる気は失せた。

その夜、駅前の噴水に中身を捨て、容器だけ洗った。

翌朝、夫婦と子供が揃って挨拶に来た。タッパーを返すと、旦那が小さく言った。「食べなかったでしょう。知ってるんでしょう。あれが死んだことも」。それ以上は何も言わず、三人は去っていった。

それから何も起きていない。ただ、もしあの肉を口にしていたら、自分は今もここにいたのか。それだけが、時々わからなくなる。

[出典:484 :本当にあった怖い名無し:2018/05/27(日) 18:56:38.91 ID:c8XUXDuB0.net]

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