元支援員のMさんがX学童で「長」になった年、男子トイレが内側から施錠されるようになった。
もちろん、中には誰もいなかった。
十年以上前、Mさんが勤めていた公立の学童保育所は、A館とB館に分かれていた。一年目はB館を担当し、何事もなく過ごした。
二年目、運営方針が変わって両館が統合された。勤務時間が最も長いという理由で、Mさんは現場の「長」に任命された。
異変が始まったのは、その直後だった。
ある昼下がり、同僚のC先生とD先生が図書館へ出かけた。Mさんが誰もいないはずのB館を見やると、玄関のガラスをピンク色のエプロン姿の女が横切った。
髪形も歩き方もC先生に似ていた。
ただ、その姿は妙に低い位置にあった。上半身だけが小さく縮み、玄関ガラスの下部を浮くように移動していったという。
やがてC先生とD先生が図書館から戻ってきた。C先生はピンク色のエプロンなど着ていなかった。
Mさんが見たものを話すと、二人は顔を見合わせた。
「やっぱり……」
以前、X学童にはピンク色のエプロンを着た女性支援員がいた。職場の人間関係に悩んで心を病み、入院先で亡くなったのだという。
当時の「長」は、自分にも他人にも厳しい女性だった。亡くなった支援員との間にも、何かあったらしい。葬儀に参列しようとした本部職員は、遺族から拒まれていた。
だから周囲は、玄関に現れた女を、亡くなった支援員だと考えた。
それで説明がついたことになった。
だが、奇妙な出来事は、なぜかD先生がいるときに集中した。
無人の男子トイレに鍵が掛かる。棚から物が落ちる。誰もいない部屋から足音がする。
Mさんが自分の声を録音したときには、再生された声が見知らぬ男のものに変わっていた。低くくぐもり、喉の奥に何かを詰めたような声だった。
再生ボタンを押したD先生の手が震えていた。
別の日には、出勤してきた職員へ声をかけようとしたMさんの口から、突然、笑い声が漏れた。
「ヒィー、ヒィー」
笑うつもりなどなかった。息を止めても口を押さえても、引きつった声は止まらなかった。それからしばらく、D先生と二人きりになると、同じ笑い声が勝手に出るようになった。
D先生は穏やかで、冗談好きな人だった。
「うちにも幽霊がいるんですよ」
そんなことを、天気の話でもするように言っていたという。
ある日、玄関の外にいた女の子が、誰に開けてもらったのかと尋ねられた。
「黒い人」
女の子はそう答えた。
そのとき玄関には鍵が掛かっていた。そばのカーテンは、本来動かない方向へ開いていた。
それでも、いちばんMさんの神経を削ったのは、窓の向こうにD先生を見たときだった。
二匹のリスが描かれたエプロン。怒った顔。窓越しに子供たちを睨みつけていた。
見間違えるはずはなかった。
ところが直後、本人のD先生が別の場所から現れた。
Mさんが窓へ目を戻したとき、もう一人のD先生はいなくなっていた。
本部の指示で、お祓いが行われた。
ところがMさんたちが連れていかれたのは、神社でも寺でもなく、見知らぬ一軒家だった。
部屋には一枚の遺影が飾られていた。
亡くなった、あの女性支援員だった。
そこが彼女の家だったのか、誰がお祓いを頼んだのか、なぜ職員たちがそこへ連れていかれたのか。Mさんには何も説明されなかった。
その後、D先生が異動すると、トイレの鍵も、物音も、声も止まった。
Mさんも別の学童へ移り、X学童とは関わらなくなった。
それからしばらくして、D先生が再びX学童へ戻ったという話を聞いた。
男子トイレの鍵は、また内側から掛かり始めた。
Mさんは、あの窓の向こうで子供たちを睨んでいたほうも、一緒に戻ったのだと思っている。
[出典:49 :本当にあった怖い名無し:2022/01/10(月) 16:04:41.39 ID:77SyPtNh0.net]