庭の奥に、その子はいた。
祖母の実家は、村では知らぬ者のない旧家だった。門をくぐると白砂の敷かれた道が延び、池と石灯籠を配した庭が奥へと続いている。幼い頃の私は、正月や法事のたびにそこを訪れ、広さと静けさに圧倒されていた。
その日も、私は一人で庭を歩いていた。
風は弱く、木の葉が擦れる音だけがあった。
庭の隅、普段は足を向けない苔むした一角に、白い着物の少年が立っていた。背は私より少し高いくらいで、年は十かそこらに見えた。顔立ちは整っているが、笑ってはいない。こちらを見ているようで、実際には何も見ていないような目だった。
呼びかける前に、私は足を止めた。
なぜか声を出してはいけない気がした。
少年は両手を軽く握り、足元の石畳に視線を落としていた。その姿があまりに庭と馴染んでいて、最初からそこに存在していたように思えた。
「あの人は誰?」
戻ってきた祖母にそう尋ねると、祖母は一瞬だけ庭を見て、何もいなかったかのように目を逸らした。
「気のせいだよ。中に入りなさい」
それ以上は何も言わなかった。
その時は、それで終わった。
それから長い時間が過ぎた。
私が大人になり、祖母も亡くなった後、ふと思い出したように母にその話をした。
母は少し黙り、それから静かに言った。
「あの家ではね、昔、一代おきに“外に出せない子”が生まれたんだよ」
詳しい説明はなかった。
座敷牢があったこと。
家の奥に、人に見せない部屋があったこと。
その子は長く生きなかったこと。
それだけだった。
私は、庭で見た少年の姿を思い出した。
母に聞こうとしたが、母はそれ以上話さなかった。
その夜、実家で眠れなかった。
目を閉じると、庭の苔の色、石畳の冷たさ、白い着物の袖が浮かんできた。
ひとつだけ、記憶に引っかかっていることがある。
少年は、庭の奥からこちらを見ていたのではない。
あの位置は、屋敷の中からでなければ見えない場所だった。
まるで、外に出たことのない者が、初めて庭に立たされたような立ち方だった。
翌朝、母にもう一度尋ねた。
「あの子は、庭に出ることがあったの?」
母は首を振った。
「庭に出たなんて話、聞いたことがない」
その言い方が、妙に引っかかった。
私が見たのは、誰だったのか。
それとも、いつだったのか。
今も、あの庭は残っている。
だが、もう入ることはできない。
理由は聞いていない。
ただ、「あそこはもう、誰も入らない」と言われただけだ。
あの少年が、庭に出た唯一の日だったのか。
それとも、私が見たことで、何かが外に出てしまったのか。
確かめる術はない。
ただ、あの庭の位置を思い出すたび、
自分が見てはいけない場所から、見られていた気がしてならない。
(了)