昭和から平成に移り変わる頃の話だ。
私は地方都市の外れ、そのまた外れの集落に越してきた。十数軒が寄り添うように建ち、田畑に囲まれ、夜になれば闇が先に家へ入ってくるような場所だった。
急な転居だった。夫の通勤圏内という条件だけで決めた家だ。都会育ちの私には、空気が重たく感じられた。
この土地には、距離という概念が薄い。玄関が開いていれば声をかける前に敷居をまたぐ。誰がどこへ出かけたか、どんな客が来たか、洗濯物の枚数まで話題になる。私はそれがどうしても耐えられず、昼でもカーテンを閉め、音を消し、息を潜めるように暮らした。
一年ほど経った頃には、外へ出るたびに視線を数える癖がついていた。どの家の窓が開いているか、どこに人影があるか。見られていると感じる一方で、私もまた見ていた。
そんな生活から逃げるように、夫と二泊三日の旅行に出た。三日目、夫に急な仕事が入り、予定を切り上げて帰ることになった。
家の前に立ったとき、妙な感覚があった。戸も窓も閉まっている。庭も荒れていない。だが、家そのものが少し軽くなったような気がした。
中へ入ると、空気が違っていた。湿り気が抜けている。旅行前に閉めたはずの和室の襖がわずかに開き、本棚の上の雑誌が床に落ちている。食器棚の中で、湯のみの向きが揃いすぎていた。
長く家を空ければ、こういうこともある。自分に言い聞かせながら掃除を始めた。
そのとき、玄関の引き戸が音を立てて開いた。
午後二時。夫が戻るには早い。心臓が一度だけ強く打った。
立っていたのは、二軒隣の女性だった。彼女は、驚いたように目を丸くした。
「まあ、お帰りなさい。鍵が開いていたから、何かあったのかと思って」
そう言って、すぐに笑った。
「留守が長いと心配になるでしょう。気をつけないとね」
私は返事をしたかどうか覚えていない。彼女はすぐ帰っていった。
私は普段、鍵の確認を何度もする。出かける前も、扉を引き、音を確かめた記憶がある。だが、旅行前の夜のことは曖昧だった。夫が先に外へ出て、私は後から戸を閉めたのか。あるいは逆だったか。
夫に聞いても、はっきりしなかった。
「閉めたと思うけどな」
それだけだった。
それから数日、私は家の中の物の位置を細かく記憶するようになった。本の背表紙の並び、箪笥の引き出しの角度、冷蔵庫の中の瓶の向き。夜になると、かすかな物音に耳を澄ませた。
何も起きなかった。
何も起きないまま、二週間が過ぎた。
私たちは引っ越した。前より狭いアパートだが、隣人の気配は薄く、玄関の向こうはただの廊下だった。カーテンも、昼間は開けられるようになった。
それでも、旅行から帰るときだけは、胸の奥がざわつく。
鍵を回し、扉を押す瞬間、いつも一度だけ思う。
中の空気は、出ていったときのままだろうかと。
そして、私は今でも、扉を閉めたあとに必ず振り返る。
本当に、閉めたのかどうかを確かめるために。
[出典:196 :あなたのうしろに名無しさんが……:2002/10/12 02:29]