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猿喰いの家 rw+5,389

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正直、今になっても、あれが夢だったんじゃないかと思うことがある。

けれど、口の奥に残った苦味と、鼻の奥を焼くような焦げ臭さだけは、どうしても現実だったと俺に思い出させる。

俺の実家は山の奥にある。奥というより、山の“中”だ。標高が高いわけでもない。ただ、地図で見ても緑しか塗られていない場所で、道路より獣道の方が多い。子供の頃は電波なんて届かず、ゲーム機もなかった。親はそういうものを、都会の神話か何かだと思っていた節がある。

遊び場は山だった。友達も山、生き物も全部、山だ。蛇を捕まえて大騒ぎになったこともあるし、狸を追いかけて怒られたこともある。でも、一番怖かったのは猿だった。

あいつらは、人間の顔をしていた。群れで現れて、甲高い声で叫び、目が合うと歯を見せて笑う。山の向こうから、俺たちの暮らしをずっと覗いているような気がしてならなかった。誰に教えられたのかも覚えていないが、猿は「神様の目」だと聞かされていた。

ただ、その神様の目は、村では歓迎されていなかった。畑を荒らし、屋根に上り、食べ物を奪い、子供を引っ掻く。いつのまにか猿は、ありがたい存在ではなく、厄介なもの、触れてはいけないものとして扱われるようになっていた。

表向き、猿は守られていることになっていた。だから誰も殺していないことになっている。けれど、夜の山は別だ。大人たちはそれを「駆除」と呼んでいた。捕らえられた猿は、決まって村の一番奥、長老であるジイさまの家へ運ばれた。

ジイさまの家は、他のどの家とも違っていた。静かで、獣臭くて、空気が重い。近づくなと言われていたし、理由を聞こうとしたこともなかった。だから、ある年、俺にジイさまから呼びがかかったと聞いた時、冗談だと思った。

高校三年、十七の夏だった。ちょうど、この村から出ることしか考えていなかった頃だ。そんな時に、あの老人の家に行けと言われても、気が進むはずがない。それでも、親父とお袋の顔が異様に切迫していて、断れる雰囲気ではなかった。

ジイさまは白い着物を着て、畳に正座していた。部屋には香の匂いがこもり、息を吸うたびに喉が焼けた。最初は世間話だった。勉強のこと、進路のこと、友達のこと。だが、話が途切れた瞬間、ジイさまは何も言わず立ち上がり、俺を奥の広間へ連れて行った。

二十畳ほどのだだっ広い部屋で、天井が高く、壁には木彫りの像が並んでいた。仏のようにも、獣のようにも見えるそれらの視線が、全部こちらを向いている気がした。そして、部屋の中央に、それはあった。

人の形に近いが、人ではない。歯を剥き出しにし、皮を剥がされ、小さな着物を着せられた猿の死骸。筋肉が露わになった胴体には、手縫いの刺繍が施された布が貼りつけられていた。

「まだ十七だな」

ジイさまは、確かめるように何度も言った。背後から現れた老人たちが、無言で白装束を差し出してきた。その目は生き物というより、ひとつの塊のようで、感情がなかった。

着替えが終わると、猿は庭に運ばれ、やぐらの上に据えられた。下には新聞紙と枯れ草と藁。ジイさまが短く何かを唱え、松明が投げ込まれた。

肉が焼ける匂いが立ち上った。皮が弾け、脂が落ち、じゅうじゅうと音を立てる。風に乗って匂いが顔に貼りつき、逃げ場がなかった。知らない名前が次々と読み上げられた。祖先だと説明されたが、誰一人として顔が浮かばない名ばかりだった。

気づけば、猿は炭になっていた。これで終わりだと思った。だが、広間に戻ると、そこには宴の用意が整っていた。酒、飯、野菜。そして、焼かれた猿が中央に置かれていた。

ジイさまが一周し、その後、俺にも同じことをさせた。

「喰え」

そう言われて、俺はほんの一口だけ齧った。

苦い。焦げ臭い。歯に当たる炭の感触。だが、その奥に、血のような、臓物のような、妙に甘い味があった。背筋が冷えた。

もっと喰えと迫られ、頭が熱くなり、そのまま俺は家を飛び出した。追っては来なかった。それが、余計に怖かった。

卒業後、俺は他県へ進学し、帰省しなかった。親も、なぜかそれを当然のように受け入れていた。だが、数年後、一本の電話で状況が変わった。

ジイさまが死んだという。

久しぶりに戻った実家は、何も変わっていなかった。広間も、庭も、あの日のままだった。夜、親父とお袋から聞いた話は、短かった。

昔から、あの家系だけは特別だったらしい。何が特別なのかは、誰も説明しなかった。ただ、代々、同じことをしてきたという。

「俺も、母さんも、喰った」

親父はそれだけ言った。その時、俺の脳裏に浮かんだジイさまの顔は、人よりも猿に近かった。赤黒い肌、毛深い頬、潰れた鼻。

呪いを祓っていたのか、引き継いでいたのか。考えようとすると、頭が痛くなった。

母さんは、小さくこう言った。

「ジイさま、あれ、好きだったみたいだからね」

その夜、布団の中で、俺はあの味を思い出しかけて、慌てて口を閉じた。もし、うまいと感じてしまったら。もし、また喰いたいと思ってしまったら。

山にいる猿が、俺を見て笑っている気がした。

それが、何よりも怖かった。

[出典:757 :本当にあった怖い名無し:2009/09/11(金) 01:10:00 ID:GzzUdT+a0]

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