二週間前に今の家に引っ越してきたんだが、その前の家であった少し怖い話を聞いて下さい。
夜中の三時過ぎに、マンションのドアにそなえつけの郵便受がパカっと開くんですよ。
開いたまま、閉じる音がなく、シーンと静まり返って、忘れた頃にパタンと閉じるんです。
新聞配達は足音がうるさいくらいに足音を立てて歩いてくるんだけど、そいつは無音。
友人にネタ的に話して「こぇー」って騒いだりすることはあっても、深くは追求しなかったんだ。
新聞受けのカバーがあるから、直接室内は見えないだろうし、って。
インターホン押されると、ドアの外側が表示されるモニターってあるよな。
前の部屋は古いマンションで、後から自分でつけたんだ。
見たいときにボタンを押せば、外の様子が表示されるタイプのやつ。
そいつは忘れた頃に不定期でやってくるんだけど、郵便受けに近いドアスコープは怖くて見られないチキンな俺はひらめいた。
これで確認すればいいんじゃん、と。
……それが間違いだった。
いつも通り動画サイトを見ながら夜を過ごしていると、耳に届いた『パカっ』という音。
きた!
足音を忍ばせてリビングに行くと、モニターのスイッチを入れた。
あれって、視野が狭いじゃん。しゃがんでいる人の姿なんか見えるわけがないんだ。
だから、何も映らないだろうという期待半分だったんだが、映ってた。
手を思いっきり伸ばした状態で、モニターのカメラのところを爪先でさするように引っかいている指先が。
は?これどういう状態だ?
疑問を抱くと同時に、鳥肌が立った。
無意味に玄関とベランダを交互に振り返って、鍵がしまっているのを確認すると、モニターに向き直る。
優しく優しくそーっと、モニターを撫でる手だけが延々と映っている。
早く疲れて手を下ろしてくれと思いつつ、モニターを見ては怖くて視線を逸らしてを繰り返した。
そして、俺はミスを犯した。
このモニター、映像を消すとき、室内で『ピッ』って音がするんだ。
昼間でも結構響くんだけど、夜中ならなおさら。
モニターのスイッチを押し続けないと、一分でモニターが消えてしまうんだが、緊張のあまり、気付いたら手がスイッチからずれていた。
『ピッ』
そのささやかな音が鳴り響くと同時に……
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン……
狂ったかのように連打される呼び鈴。
鳴らすと勝手にモニターがついてしまうんだが、鳴らす人の姿はみえず、指だけが映っている状態。
俺は腰を抜かした。
マジで怖かったんだ。
モニターの前で腰を抜かしていると、今度は呼び鈴のところをバンバン叩く手のひらが映った。
それが激しい叩き方じゃなくて、手首を固定した状態で手首から先だけをしならせるような叩き方で。
どれくらい続いたか、恐怖が限界に達した俺は、そっと玄関に向かうと、玄関すぐ手前にある風呂場に半身を隠して、顔だけドアに向けて怒鳴った。
「警察呼ぶぞ!」
「……え?なんで?」
答えが返ってきた!
女の声だった。
なんつーか、細くて高くて、いっそ無邪気なくらいにとぼけた声だった。
ああいうときって、不思議と女の声が怖いんだよな。ホラー映画の影響なのか。
俺はもう一度怒鳴った。
「警察呼ぶからな!」
「……呼んじゃうの?」
シンと静まりかえるドアの外。
何事だ、なにか起こるのか、起こるんだよな、起こらないで下さい!
恐怖に混乱していると、新聞受けが鳴った。
『パタン』
しばらく動けずにいたんだが、動けるようになって、まずモニターのスイッチをいれた。
何も映ってない。大丈夫だ。
なんとなくその日は眠れないまま、朝を迎えた。
そして、出勤しようと玄関に向かうと、新聞受けからはみだすものが。
……髪の毛だった。
郵便受けを開くと、束ねられてもいない長い髪が大量に放り込まれていた。
お前髪の毛全部切ったのか、ってくらいの量でハンパなく不気味だった。
郵便受けにとぐろ巻いているそれをどうすることもできず、どうしたらいいのかもわからず、考えるのは帰宅してからにしようと、とにかく出勤した。
帰宅したら郵便受けにとぐろ。
そう思うと、帰るのがためらわれて、直帰せず同僚と飲みに行った。
飲みに行って時間が遅くなると、ますます帰るのが怖くなる。
ハチあわせたらどうしようと。
ドアの向こうの奴は、毎日来るなんてことはなかったからそんな心配はいらないはずなんだが、昨夜のことも今朝の髪の毛も怖くて結局同僚宅に転がり込んだ。
で、同僚宅で安心して眠っていたんだ。
そしたら、そしたらだ。
翌朝、俺と違って新聞をとっている同僚が、新聞受けを開いて声を上げた。
嫌な予感がして見に行くと、髪の毛が入ってたんだ。
前日のような大量の髪の毛じゃなくて、もっと短くてパラパラしたようなのが。
つけられたんだと思った。
どこからどこまでを見られたのか、考えれば考えるほど焦った。
怖かった。逃げ場が無い気がした。
とりあえず、新聞と髪の毛をごみに出して同僚と出勤した。
つけられてるかもと思うと、つい後ろを振り返ってしまう。
誰かいたら怖いが、見ずにはいられなかった。しかし、妖しい人影はない。
仕事が終わり、帰宅するのは嫌だったが、三日も着替えないのはさすがにやばい。
同僚に来てくれと懇願したが、怖いからいやだと断られた。
一人で帰るのは怖く、普段は寄り付かない実家に電話をしながら部屋に戻った。
部屋の周りに人影は無い。
戸締りをしっかりして、カーテンをしめて、念のためベッドの下とか浴室とか、人が隠れられそうなとろこはチェックして、部屋の隅に座ってTVを見て過ごした。
その晩は何も起こらなかった。
でも、起こらなかったのはその晩であって、その前に起こっていた。
出勤間際、髪の毛の件を思い出して、なんとなく新聞受けを開いた。
入ってた。
ゴキブリの死骸とツナ缶みたいなやつがぐちゃぐちゃに混ぜられた何かが。
思わず手を離してしまうと、それが玄関に緩やかに落ちた。
ベチャっていうんじゃなくて、ベーチャーって感じの落ち方。
マジ無理。
ゴキブリ嫌いだがなんとか始末していると、突然玄関がすげえ音を立てて蹴られた。
その日起こったのはそれだけ。
なんかとにかく異様な感じがして警察にも行ったが
「男対女なんだよね。危険もないから、戸締りをしっかりして、また何か起こったらおいで」
といわれた。
警察氏ねと思った。
その日の夜中。
パカっという音に身構える。
そして、カラン、カラン、と小さな音が続く。
今度は何を入れてるんだよ、と震えていると、郵便受けの隙間から零れ落ちてきた。
錠剤……
郵便受けにひたすら錠剤が落とされていく。
郵便受けから溢れるくらいの量ってどんなだよ。
どこで調達したんだよ、と思いつつ、中にいるのがバレてるならと、モニターのスイッチを入れた。
映った。人が。
カメラの前で大口を開いている顔。
べーっと伸ばした舌の上に錠剤を乗せて、舌を口にしまうと、あめを転がす口の動きを大げさにやって、またベーっと舌を出す。
それを指でつまむと、手を下に下ろす。
手を下に下ろしたとき、郵便受けに口から出した錠剤を突っ込んでいるらしい。
髪の毛がざんばらな女が、モニターの前で延々それを繰り返している。
もうやめてくれ。
心の中で念仏を唱えた。
ようやくその動きを止めたかと思うと、今度はカメラに違う光景がが映った。
額?頭?を押し付けた状態で、カメラじーっと見て、左右に頭をゆっくりゆっくり左右に振る様子。
正直見ていると思ったのは勘違いかも知れないけど、なんかそんな様子だったんだ。
この女なんなんだ、一体なんの恨みがあってこんなことやってるんだ。
その日はそれで終わり。
そして、翌日またやってきた。
夜中の三時に呼び鈴の音。
「すいません、留守中荷物をお預かりしまして」
という声。
帽子を目深にかぶっていてもわかる、ざんばらな髪。
応答せずにいると
「これなんですが、ここにおいて置きますね」
とモニターに映し出された。
子猫。
ねこ?なんだ?
状況を理解できずにいると、子ぬこの胴体をガッチリつかんで、頭部をもう片手でつかむ。
モニターに押し付けた。
鳴き声はなかった。最初から死んでいたのかも知れない。
その日はそれだけ。
翌朝ドアをあけると、ぐちゃぐちゃな仔猫らしき死骸があった。
わけがわからなくて、涙が出てきた。
もう無理だ、このままだと頭がおかしくなる。
子ぬこは元々死んでいたのを見つけてきたのか、このためにあの女が殺したのかとか、ゴキブリ、猫ぬときて、次はなんなんだとか、考えてしまい、仕事が手につかなかった。
帰り道、もう一度警察に寄った。
だけど、全然真面目に対応してくれねーの。
人間が殺されなきゃ動かないのか?
部屋に着くと、異様なドアが目に付いた。
ドアに大きな○が赤いもので書いてあって、その中に縦書きで俺の名字が書いてある。
印鑑を想像してくれたらわかりやすいと思う。
意味がわからないが、普通じゃないことだけは確かだ。
周りを見回して、人がいないのを確認すると、素早く部屋に入って、鍵をしめた。
なにかがおかしかった。
郵便受けに、猫の足が入っていた。びっちりと。何十本の猫の足。
速攻警察に電話した。
やってきた警察は、「異常ですね」といい、今夜見回りを強化するといってくれた。
その晩、玄関は無事だった。
ただ、ベランダ側に、猫の死骸を投げ入れられた以外は。
翌日は休日ということもあって、速攻不動産屋に行った。
即入居可の物件に目安をつけて、一日も早く引っ越したいという旨を伝えた。
引っ越せば解放される。
それから数日、ピタっと異常事態は止まった。
飽きたのか。
……いや、飽きてなかった。
仕事から帰り、自宅玄関のドアノブを握った。
手にむずむずする感触が走る。
神経質になっていた俺は、ドアノブをよくよく見た。髪の毛があった。
リボン結びってやつ?靴紐の結び方にされた長い髪の毛が一本。ゾワっとした。
家の中に入らなければと思った。
家の中なら俺に直接なにかをされることはないから。
ドアをひねるが、開かない。
なんで開かないのか分からず立ち尽くした。
もう一度ひねるが開かない。
もしやと思い、鍵を差し込み、回した。
回った。鍵が開く方向に。
鍵はさっき開けた。だから、手にキーケースがあるんだ。なのになぜだ。
鍵が開いていたということなのか?
怖いものみたさってやつなのか、逃げればいいのにドアを開けてしまった。
家の中から水の音がする。
水を張ったところに一滴ずつおとす音って分かるかな。ぽた、ぽた、っていうあれ。
風呂場から、脱衣所から、流し台から、静まり返った家の中にその音が響く。
廊下の電気をつけたが、誰もいない。
携帯を握り締めて部屋に入ると、テーブルにコンビニの焼肉弁当があった。
よくよくみると、弁当とまざって、ゴキブリが数匹。
触覚なのか髪の毛なのか分からないものが、蓋からはみ出している。
異常事態はそれだけじゃなかった。
冷蔵庫が開いていた。
恐る恐る覗くと、酒ばかりの冷蔵庫のドアに、500mlのペットボトルが三本立てられていた。
ラベルはボルヴィック。中身は、薄く色づいた液体。
水で薄めた血みたいな色(警察によると一人ではなく、二人の血液らしい)
部屋から飛び出して即効警察に電話した。
前回の件もあって、すぐに来てくれた。
部屋を調べていた警察に、緊張した声で呼ばれた。
布団をめくられたベッドのシーツの表面に、びっしりさされた画鋲。
本当にびっしり。何百?何千?ってくらいの量。
後で分かったことだけど、枕の中身もびっしり画鋲。
ベランダの洗濯を干すやつには、洗濯バサミ一つ一つに髪の毛がリボン結びされていて、汚れた女性の下着が干されていた。
「ここにいたら危ないから、知り合いの家に泊めてもらいなさい」
といわれ、実家は遠いから同僚の家に頭を下げて泊めてもらった。
それからは着替えなどを取りに行く以外、引越し準備まで帰宅しなかった。
業者に頼んで引越しの荷物をまとめていると、出てきた。
ベッドの下に、タンスの裏に、モニターの裏に……
家中の死角になる場所
『太郎 好 愛 欲 狂 死 幸 花子』
と書かれた縦長の紙が。
太郎の方が俺の名前で、花子はおそらく相手の名前。
キョンシーのお札って分かるかな。ああいう感じで、くすんだ黄色い髪に赤で書いてあった。
それが体験した全て。
オチがないのは実体験なので許してくれ。
(了)