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白い顔の退職者 rw+3,627-0110

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私の職場に、突然人格が変わってしまった者がいる。

私たちの会社には、年次有給休暇とは別に、一週間の特別休暇がある。ただし必ず連続で取得しなければならないため、役職が上がるにつれて使う者はいなくなる。彼はその特別休暇に有給をつなげ、二週間ほど海外を放浪すると言っていた。以前、一人でイタリアを旅して以来、海外に強く惹かれるようになったらしい。今回もヨーロッパを巡る予定だと話していた。

だが、二週間を過ぎても彼は戻らず、会社への連絡もなかった。欠勤が続き、係長が心配して彼の自宅に電話をかけたが応答はない。翌日も同じだった。事故か、病気か、それとも帰国できていないのかと、職場の空気は徐々に重くなっていった。

係長が彼の実家に電話をかけると、母親が出て「おととい、帰国したと連絡がありました」と答えた。連絡は国内からで、自宅からだったという。

それを聞いて一同は一度だけ安堵したが、本人からは依然として何の連絡もない。業務を肩代わりしている同僚の苛立ちも限界に近づいていた。

さらに翌日も彼は現れなかった。しかしその日の夕方、すでに外が暗くなった頃、彼はふらりと出社してきた。手ぶらだった。

「体調を崩してまして」

それだけ言った。声は落ち着いていて、妙に張りがあった。以前なら、この状況ではこちらが止めるほど謝り倒す性格だったはずだ。しかしその日は違った。姿勢が良く、視線がぶれず、どこか自信めいたものがあった。別人のようだった。

誰も叱責できなかった。顔色が異常だったからだ。血の気がなく、紙のように白い。今にも倒れそうなのに、本人はそれを意に介していないように見えた。

「それで、本日付で退職させていただきます」

そう言って、懐から封筒を取り出した。表に「辞表」と書かれていた。実物を見るのは初めてだった。

係長が慌てて引き止めたが、彼は聞いていないようだった。小気味よい動きで回れ右をし、そのまま出口へ向かった。

通りすがりに、私は思わず彼の肩に手を置いた。

「おい、大丈夫か」

彼は笑った。

「大丈夫。生きてて一番大丈夫」

その瞬間、彼の息が鼻を打った。生臭い匂いだった。魚をさばいた後のような、強烈で逃げ場のない匂い。彼の口元は、これまで見たことのない歪んだ笑みを浮かべていた。

それきり、彼は会社に来なかった。

三日後、業者が彼の私物を引き取りに来た。なんでも屋のような二人組で、彼の印鑑が押された依頼書を提示し、無言でロッカーとデスクを片付けていった。二人とも、彼と同じように顔色が異様に白かった。

それを見た瞬間、理由の分からない不安に襲われた。彼だけでなく、何かを共有しているように見えたからだ。

後日、彼と同期で親しかった二人が、休みの日に彼の部屋を訪ねた。電話では「来てもいい」と言われたという。だが、実際に行くと鍵は閉まり、呼びかけても応答はない。

家の中で、電話の着信音だけが鳴っていた。

一度引き上げ、夜に再訪すると、部屋には灯りがついていた。だがドアチャイムも電話も無反応だった。中には確かに人の気配があり、それも一人ではないように感じられたという。

二人は恐ろしくなって帰った。その夜遅く、彼から短いメールが届いた。

「また海外に行きます。帰ったら会おう」

文面は不自然で、彼の言葉とは思えなかった。

それ以来、誰も彼と連絡を取っていない。私が係長に実家へ再度連絡することを提案しても、係長は目を逸らすだけだった。

「触れちゃいけない気がする」

そう呟いた声は震えていた。

今では彼の名前を口にする者はいない。名札もどこにもない。ただ、夜遅くに一人で残業していると、廊下の奥から、あの魚市場のような匂いが漂ってくることがある。誰もいないはずなのに、その匂いだけが確かに存在している。

私はそのたびに思う。もう一度だけ彼に会って確かめたいという気持ちと、会った瞬間に何かが終わるという直感の間で、未だに揺れている。

(了)

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