十年ほど前のことだ。高校を卒業する間近、俺は進路も決まり、進学ではなく就職することになっていた。
そのせいか、もう授業もまともに身に入らず、毎日ひたすら暇をどう潰すかしか考えていなかった。
ある晩、友人のシゲから電話があった。
「なあ、今度の夜さ、あの山の麓にある廃寺に行かねえか？」
何度か行ったことがある場所だった。けれど、特にやることもない毎日に退屈していた俺は、すぐに承諾した。
集まったのはシゲ、シゲの彼女マキ、それからマキの友人のエミ。
エミとはそのとき初めて顔を合わせたが、思ったよりタイプで内心浮き立った。
四人でコンビニの袋を下げ、くだらない話をしながら夜道を歩く。笑い声を出すたびに、心のどこかで「この時間が永遠に続けばいい」とさえ思った。
けれど、廃寺が近付くにつれ、空気が急に冷えたように感じた。
何度か来ているはずなのに、夜に見るそれは別物だった。山肌に貼り付くような闇の中、朽ちかけた瓦と傾いた本堂が、こちらを覗き込むように見えた。
「何度来ても雰囲気悪いよな」
シゲが苦笑交じりに言い、マキも黙り込んで頷いた。
エミは初めてだというくせに、目を輝かせて辺りを見回していた。
一通り見回して帰ろうとしたそのとき、エミがぽつりと声を上げた。
「ねえ、ここ……地下に続く階段があるよ」
確かに、草に覆われた石段が半ば口を開けていた。
今まで気付かなかったのが不思議なほど、黒い穴のようにぽっかりと。
シゲもマキも首を振り、行きたがらなかった。
けれどエミが「行く！」と強く言い、気付けば俺も彼女に続いていた。
懐中電灯を頼りに階段を降りる。ひんやりとした湿気が頬を撫で、背筋に嫌な感覚が走った。
すぐに着いた先は十畳ほどの地下室だった。古びた木箱や本が積まれ、湿気にやられ崩れかけている。
「なんだよ、ただの倉庫か」
俺はつまらなく思ったが、奥に奇妙な仏壇が見えた。壁に直接埋め込まれ、中央には札が何枚も貼られていた。
嫌な予感がした。触れない方がいい、と直感した。
だがエミは笑いながら、札ごと力任せに扉を引き裂いた。
バリリ、と音を立てて札が破れ、埃が舞い上がる。
中には何もなかった。……そう思った瞬間、隅に桐箱が見えた。
エミは迷わず手を伸ばし、蓋を開けた。中から現れたのは、鈍く光を放つ丸い玉だった。
目にした瞬間、冷たい電流が背骨を這い上がった。視界が白く霞み、吐き気がこみ上げる。
エミは何事もないように「きれーい」と笑い、「あたしのだね」と呟いた。
必死に止めたが、聞く耳を持たず、玉を抱えたまま階段を上っていった。
それから一週間後、シゲの家で飲み会があった。
俺が遅れて行くと、すでに三人は集まっていた。だがエミの姿を見て息を呑んだ。
別人のように化粧が濃く、派手に髪を盛り上げ、雰囲気すら違っていたのだ。
彼女の目はぎらぎらと光り、自信に満ち、まるで自分以外を見下すかのようだった。
そして、例の玉を鞄から取り出して見せた。
その光は前よりも濃く、黒みを帯びていた。
俺とシゲは同時に頭が重くなるような眩暈を覚えた。
エミだけが恍惚とした顔で玉を撫でていた。
「これを手にしてから、いいことばっかりなの」
そう言い切る彼女の笑顔は、幸福というより狂気に近かった。
それから数日後、エミは学校に来なくなった。連絡も取れない。
そして、シゲの祖父から話を聞いた夜、俺たちはエミの家に駆けつけた。
部屋を開けた瞬間、俺の脳裏は真っ白になった。
血まみれで刃物を握り、髪を振り乱したエミが立っていたのだ。
彼女は呟いていた。「あたしには何も無い、どうしようも無い」と。
止める間もなく、自らの腕を刺し、顔を切り、腹を突き立てた。
その光景は現実感を失わせ、俺はただ震えながら立ち尽くすしかなかった。
その後、エミは病院に運ばれたが、助からなかった。
シゲの祖父から聞いた話は、今も頭にこびりついている。
その玉は「夢魅」と呼ばれる外法によって作られたもの。
人の脳と骨と血を混ぜ合わせ、漆で塗り固め、憎悪を込めて作られたものだという。
良い夢を見せ、やがてその夢に蝕まれ、自らの体を滅ぼす。
僧侶と人形師が封じ込めたはずの「夢魅」は、なぜか俺たちの目の前に現れた。
そしてエミはその犠牲になった。
葬式の帰り、シゲの祖父が言った。
「エミちゃんの分まで生きろ。それがせめてもの供養になる」
俺は今でもその言葉を胸にしている。
だが夜、目を閉じるたびに、あの玉が闇の底からじっと俺を見つめている気がしてならない。
（了）
[出典:29 ：本当にあった怖い名無し：2012/05/01(火) 08:14:57.17 ID:YSGKGk/pO]
