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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

影を運ぶ宿 nc+

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あれが長崎だったのかどうか、今でも断言はできない。ただ「九州のどこか」で、安さだけで決めたビジネスホテルの、薄いマットレスの上に寝ていたのは確かだ。
夜中、息苦しさで目が覚めた。夏だから暑いのは分かる。けれど、これは違う。まぶたを開けた瞬間、部屋中が真っ赤な炎に包まれていて、俺が寝ているのは、見覚えのない和室の布団の上だった。

今でも、アスファルトが焦げるような匂いを嗅ぐと、あの街の湿度を思い出す。

肌にまとわりつくような、重く、逃げ場のない湿気。それは単なる気象条件ではなく、土地そのものが吐き出す古い溜息のようだった。

四年前の八月上旬。私は九州の西端にある地方都市へ向かっていた。
盆休みを目前に控えた時期だったが、私の心境は休暇への期待とは程遠い場所にあった。取引先との間で生じた深刻な齟齬。金銭が絡むトラブルであり、電話やメールで済む話ではないと上司に断じられたのだ。
「顔を見て、誠意を見せてこい」
その言葉は、要するに「何とかして丸め込んでこい」という命令と同義だった。新幹線の座席に沈み込みながら、私は胃の腑が鉛のように重くなるのを感じていた。窓の外を流れる景色は、西へ向かうにつれて緑が濃くなり、やがて入道雲が支配する夏空へと変わっていく。

現地に到着したのは、陽が傾きかけた時刻だった。

駅に降り立った瞬間、熱気が塊となって襲ってきた。東京の乾いた熱さとは違う。水分をたっぷりと含んだ、生き物の体内のような生温かさだ。シャツの背中が瞬く間に汗で張り付く。
タクシーを拾い、取引先へ向かう。車窓から見える街並みは、坂が多かった。幾重にも重なる家屋の屋根が、夕陽を浴びて赤黒く光っている。海からの風が吹いているはずなのに、空気は澱んでいた。
運転手は無口だった。行き先を告げると、バックミラー越しに私を一瞥し、それきり口を閉ざした。ラジオからは高校野球の中継が流れているが、ノイズ混じりで聞き取りにくい。金属バットがボールを弾く音が、遠い銃声のように聞こえた。

取引先での謝罪は、予想通り難航した。
先方の担当者は、私の言葉尻を一つひとつ捕らえては、ねちっこく責任を追及した。冷やされた茶が出されたが、手を付ける気にはなれなかった。会議室の窓の外では、蝉時雨が狂ったように降り注いでいる。その騒音が、私の思考を徐々に削り取っていく。
結局、結論は持ち越しとなった。明日、改めて上司の決裁を仰ぐという。つまり、私はこの街に一泊しなければならなくなったのだ。

会社を出た頃には、すっかり夜の帳が下りていた。
手持ちの現金は心許なかった。急な出張だったため、仮払いの申請も間に合っていない。経費精算は後日になる。私はスマートフォンの地図アプリを開き、現在地から最も近く、かつ最も安価な宿泊施設を探した。
検索結果のリストの最下部に、そのホテルはあった。
「ビジネスホテル・カメリア(仮名)」。
一泊四千円を切る価格設定。写真も掲載されていない。だが、背に腹は代えられない。私はナビに従い、坂道を下りていった。

そのホテルは、繁華街から外れた、古びた雑居ビルや個人商店が並ぶ一角にあった。

外壁は煤けたような灰色で、かつては白かったのだろうタイルが所々剥がれ落ちている。エントランスのガラス戸には「空室あり」という手書きの札が下がっていた。
自動ドアは故障しているのか、手動で開ける必要があった。重い扉を押し開けると、冷房の冷気と共に、鼻をつく独特の臭いが漂ってきた。
古い紙と、防虫剤と、湿ったカーペットが混じり合ったような、昭和の建物の匂い。
フロントには誰もいなかった。呼び鈴を鳴らすと、奥の事務室から初老の男性が現れた。白髪交じりの頭に、くたびれたワイシャツ。彼は私の顔を見ると、微かに眉を顰めたように見えた。
「……宿泊、ですか」
「ええ。シングルを一泊。予約はしてませんが」
「ああ、構いませんよ。今は時期が時期ですから、観光客も少ない」
意味深な言葉だったが、私は深く考えなかった。宿帳に記帳し、前払いで現金を渡す。男性は古めかしいシリンダーキーをカウンターに置いた。
「四〇九号室です。エレベーターはあちら。……夜中は、あまり出歩かない方がいいですよ」
「治安が悪いんですか?」
「いえ、そういうわけじゃあないですがね。坂が多い街だ。足元が暗いと危ない」
彼は曖昧に笑った。その笑顔が、どこか張り付いた仮面のように見えたのを覚えている。

部屋は四階の突き当たりだった。
廊下の照明は間引きされているのか薄暗く、カーペットには染みが点々と続いている。四〇九号室のドアノブは冷たく、鍵穴にキーを差し込むと、ジャリッという砂を噛んだような感触があった。
ドアを開ける。
狭い。それが第一印象だった。ベッドと小さな机、そしてユニットバス。それだけで空間の全てが埋まっている。壁紙は黄ばんでおり、隅の方には黒い黴のようなものが浮いていた。
荷物を置き、ネクタイを緩める。
とりあえずシャワーを浴びようとユニットバスの扉を開けたが、そこから漂う排水溝の臭気に顔をしかめ、結局顔を洗うだけに留めた。
窓のカーテンを開けてみたが、目の前には隣のビルのコンクリート壁が迫っており、景色など無かった。ただ、壁の隙間から、蒸した夜気がじっとりと侵入してくる気配がした。

コンビニで買った発泡酒と味気ない弁当で夕食を済ませると、急激な疲労が襲ってきた。

時計の針は午後十時を回ったところだ。明日の交渉に備えて、早く寝るべきだろう。
ベッドに横たわる。シーツは洗濯されているはずだが、どこか湿っぽく、肌触りが悪い。枕からは、前の宿泊客のものなのか、微かに整髪料のような甘ったるい匂いがした。
照明を消すと、部屋は完全な闇にはならなかった。ドアの下の隙間から廊下の光が漏れ、さらに窓の外の街灯が、カーテンの隙間を通して天井に奇妙な形の影を落としている。
その影が、人の形に見えるような気がして、私は寝返りを打って壁の方を向いた。

エアコンの音がうるさい。
「ブゥゥゥン……ガタガタ……」
室外機の振動だろうか、壁全体が微かに震えているようだ。設定温度を下げているにもかかわらず、部屋の空気は生温い。冷気が下りてこず、熱気が天井付近に滞留しているような不快感。
私は目を閉じた。
眠気はある。意識は泥のように重い。だが、脳の奥底が妙に冴えていた。
今日の取引先でのやり取りが、反芻される。担当者の冷ややかな目。上司の無責任な声。それらが混ざり合い、歪んでいく。

(……帰りたい)
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
東京へ帰りたい、という意味だったはずだ。だが、その言葉を吐き出した瞬間、胸の奥がざわりとした。
この「帰りたい」という感情は、本当に私のものだろうか。
もっと切実で、もっと根源的な、絶望に近い渇望。

——水を。
——水をください。

不意に、そんな声が聞こえた気がした。
耳元ではない。頭の中に直接響くような、擦れた声。
私は目を開けた。
天井の影が、ゆらりと動いたように見えた。
「……気のせいだ」
声に出して自分に言い聞かせる。疲れているのだ。慣れない土地、慣れない枕、そしてストレス。幻聴が聞こえてもおかしくない。
私は布団を頭まで引き上げ、耳を塞ぐようにして目を閉じた。
意識が遠のいていく。
その間際、嗅覚が奇妙な匂いを捉えた。
線香の香り。
それも、古い仏壇のような、枯れた匂い。
このホテルで誰かが焚いているのだろうか。
思考が溶けていく。私は重力に引かれるように、深い眠りの底へと落ちていった。

目覚めは、唐突かつ暴力的だった。

徐々に意識が浮上したのではない。何者かに熱湯を浴びせられたかのような、皮膚を焼く激痛に近い感覚で、私は現実に引き戻された。

「あ、つ……」

声が掠れる。喉が張り付いている。
唾液が枯渇していた。舌が上顎にへばりつき、呼吸をするたびに肺が焼け付くように痛い。
暑い。
尋常ではない。
エアコンが故障したなどという次元の話ではなかった。サウナの中に放り込まれ、さらに外からバーナーで炙られているような、殺意すら感じる熱波。
私はシーツを跳ね除けようとした。だが、体が鉛のように重く、指先一つ動かすのにも凄まじい労力を要した。
汗は出ていない。いや、出た端から瞬時に蒸発しているのだ。肌はカサカサに乾き、熱を帯びて突っ張っている。

そして、臭い。
先ほどまでの、古いビジネスホテルの黴臭さではない。
もっと刺激的で、生理的な嫌悪を催す臭い。
木材が炭化する香ばしい匂いと、ゴムが溶けるような化学的な悪臭。そしてその奥に潜む、タンパク質が焦げるような、鼻の奥にねっとりとこびりつく脂の臭い。
私は本能的な恐怖に駆られ、弾かれたように上半身を起こした。

目を開けた瞬間、思考が停止した。

視界が、赤い。
目に血が入ったのかと思った。あるいは、極度の脱水症状で視神経がおかしくなったのかと。
だが、違った。
部屋が、燃えていた。

そこは、私がチェックインした四〇九号室ではなかった。
狭苦しいユニットバスも、安っぽいデスクも、壁紙の染みもない。
そこは、広い和室だった。
八畳、いや十畳はあるだろうか。足元には縁の切れた畳が敷かれているが、その表面は黒く焦げ、所々から燻るような煙が立ち上っている。
天井が低い。煤で真っ黒になった梁が、今にも落ちてきそうなほど歪んでいる。
そして、部屋全体を照らしているのは照明器具ではない。
障子の破れた窓の外から差し込む、狂気じみた朱色の光だ。

「……なんだ、これ」

言葉は音にならず、乾いた息となって漏れた。
ゴウッ、ゴウッ、という低い地鳴りのような音が、絶え間なく響いている。
それは風の音であり、同時に、炎が酸素を貪り食う音でもあった。
窓の外を見るのが怖かった。だが、視線は吸い寄せられる。

障子の桟(さん)だけが残った窓枠の向こうには、夜などなかった。
空が燃えている。
見渡す限りの街並みが、瓦礫の山となり、その全てが紅蓮の炎に包まれていた。
現実感があまりにも希薄で、しかし熱気と痛みだけがあまりにも鮮明だった。

私は自分の体を見た。
ワイシャツもスラックスも身につけていない。私は、黄ばんだ粗末な木綿の肌着を着て、焼け焦げた布団の上に座り込んでいた。
腕の皮膚が赤い。水疱ができている。
「痛い、痛い、痛い……」 自分の口から漏れるうめき声が、他人のもののように聞こえる。
これは夢だ。
そうでなければ説明がつかない。
取引先のストレス、夏の暑さ、慣れない旅。それらが作り出した悪質な悪夢だ。
私は必死にそう念じた。
しかし、鼻腔を満たす肉の焦げる臭いは、容赦なく「現実」を突きつけてくる。

その時、視界の端で何かが動いた。

部屋の隅。倒れたタンスの陰から、黒い塊が這い出してくる。
人間だった。
少なくとも、かつては人間だった形をしている。
服は焼け落ち、皮膚は黒く炭化し、性別も年齢も判別できない。ただ、白い目玉だけが、赤い闇の中でギョロリと光っていた。
その「何か」は、ずるり、ずるりと、畳を削る音を立てて私の方へ這い寄ってきた。
「……み、ず……」 音が聞こえたのではない。
脳髄に直接、錆びた釘を打ち込まれるような感覚。
強烈な乾きと、絶望的な懇願。
「……水を……ください……」 一人ではない。
黒い塊の後ろから、二人、三人、四人。
次々と影が現れる。大人もいれば、子供のような小さな影もある。
彼らは皆、手を前に突き出し、口々に何かを訴えながら、私を取り囲もうとしていた。

熱い。

彼らが近づくにつれ、周囲の温度がさらに跳ね上がる。
彼らは炎そのものだった。
「ちがう、ちがう!」 私は叫んだ。喉が裂けるような痛み。
これは私の記憶ではない。私の場所ではない。
私は東京から来た会社員だ。ここはホテルの四階だ。今は二〇一〇年代だ。
昭和ではない。戦時中ではない。
「夢だ、夢だ、夢だ!」 私は恐怖のあまり、その場にうずくまった。
逃げ場はない。窓の外は火の海、部屋の中は死者の群れ。
残された唯一の避難所は、今自分が座っている布団の中だけだった。
私は幼児のように体を丸め、煎餅のように薄く硬い掛け布団を頭から被った。

布団の中は、蒸し風呂のようだった。
古綿の埃っぽい臭いと、自分の脂汗の臭いが充満している。
ガサガサ、ガサガサ。
布団の外を、何かが這い回る音がする。

『……あつい……』
『……お母さん……』
『……水を……』

声は布団の生地を透過し、耳元で囁くように響く。
冷たい手が、足首を掴もうとしているような錯覚。いや、それは錯覚ではないかもしれない。
足の裏に感じる、じりじりとした熱。
私は両手で耳を塞ぎ、目を強く瞑った。
瞼の裏にまで、あの赤い色が焼き付いている。
(早く朝になれ。早く覚めろ) 心臓の鼓動が早鐘を打ち、全身の血が沸騰するようだ。
私は意識を保つことができなかった。
恐怖と熱気が限界を超え、私の脳は強制的にシャットダウンしようとしていた。
薄れゆく意識の中で、最後に聞いたのは、 「……忘るんなよ」 という、低い、恨めしげな、しかしどこか哀れみを含んだ男の声だった。

激しい耳鳴りが遠のくと同時に、私は意識を取り戻した。

周囲が静かだった。
瞼を開ける。天井の蛍光灯が、チカチカと点滅していた。
冷房の音が、再び「ブゥゥゥン……ガタガタ……」という、あのうるさいリズムで再開している。
部屋は四〇九号室だった。
黄ばんだ壁紙、小さな机、ユニットバスのドア。全てが昨日見た通りの、安価で薄汚れたビジネスホテルの光景に戻っていた。
私はベッドに横たわっている。体は汗でぐっしょり濡れていた。全身の筋肉が軋み、頭痛がひどい。

跳ね起きて、周囲を確認した。
畳ではなく、カーペット。焦げ跡はない。水もない。
窓の外は、火の海ではなく、隣のビルのコンクリート壁。
時計を見ると、午前六時三十分を指していた。
長い、悪夢だった。
私は深く安堵し、同時に凄まじい疲労感に襲われた。
昨夜のあの尋常ではない熱気は、高熱による幻覚だったのだろう。
ストレスと慣れない土地の湿気が引き起こした、最悪の金縛りであり、悪夢。
そう何度も心の中で断じた。

だが、違和感が一つ残った。
私は自分の身体を調べた。水疱はない。火傷の痕もない。
しかし、肌の表面が異様に乾燥していた。まるで、熱い砂漠をさまよった後のように、皮膚の潤いが根こそぎ奪われた感覚。
私は慌ててユニットバスへ向かい、蛇口をひねった。
冷水を浴びる。
水道管を流れてきたはずの水は、なぜか温かい。
いや、違う。水が温かいのではない。私の体温が異常に高いのだ。
顔を洗う。掌で顔を覆ったとき、自分の手が熱源になっているような錯覚を覚えた。

そして、布団だ。
ベッドの上に乱雑に丸まっている、あの薄い掛け布団。
私は恐る恐る手を伸ばし、布団の中、つまり私が頭まで被っていた内側の生地に触れた。
温かい。
他の場所のシーツは冷えているのに、布団の内側だけが、まだ昨夜の炎の熱を抱え込んでいるかのように、微かに、持続的に熱を持っていた。
そして、微かに鼻を掠める、線香のような枯れた匂い。

午前七時、私は急いで荷物をまとめ、チェックアウトのために一階へ降りた。

フロントには、昨夜の初老の男性がいた。
彼は新聞を読んでおり、私が近づくと、静かにそれを畳んだ。

「お早いお発ちで」
「ええ。少々体調を崩しまして」
「そうですか。この時期は無理をなさらない方がいい」

彼は私の顔をじっと見た。その瞳には、昨夜見たような、張り付いた笑顔の奥に潜む、何かを知っているような冷たさが宿っていた。
私は精算を済ませ、領収書を受け取った。
視線が、領収書の印字された日付に釘付けになる。

令和元年八月九日。

——八月九日。
その日付の持つ歴史的な意味が、重い鉄塊のように胸に落ちてきた。
私が滞在していたのは、この街にとって最も忌まわしい記憶を呼び覚ます日だったのだ。
「ありがとうございました」 老人は言った。
「また来年の八月に、お待ちしております」 私は、その言葉が何の冗談なのか分からなかった。あるいは、単なる定型句だったのかもしれない。
だが、「来年の八月」という響きが、私の中に残った熱気と奇妙な符合を見せ、背筋に冷たい電流が走った。

ホテルを出て、私は呼吸を深くした。
朝の太陽は既に強烈で、アスファルトを熱している。蝉時雨が再び降り注いでいる。
昨日と同じ、何も変わらない八月の朝。
「夢だった。全ては熱病のせいだ」 自分に言い聞かせ、私は取引先へ向かうタクシーに乗り込んだ。

東京に戻ってからも、私はこの奇妙な体験を誰にも話さなかった。

笑われるのが怖かったからではない。口に出すと、まるで昨夜の「熱気」が現実のものとして固定されてしまうような、そんな得体の知れない恐れがあったからだ。

二、三日後、私は会社で空調の効いた会議室にいた。
周囲の同僚たちは皆、寒そうにカーディガンを羽織っている。
しかし、私は一人だけ、額に汗を浮かべていた。
体の芯から熱が放出されているような感覚。異常な喉の渇き。
エアコンの設定温度を上げろと要求する同僚と、私との間で、毎日のように小競り合いが起こった。
私は、あの八月の夜以来、体温が平熱より微かに、しかし確実に高い状態が続いていることに気づき始めた。
内科を受診したが、異常なし。自律神経失調症と診断されるだけだった。

四年が経った。
季節は巡り、今年も八月がやってきた。
私の体調は、毎年八月九日を含む一週間だけ、決定的に悪化する。
夜中に目が覚める。喉が渇く。そして、あの焦げた匂い。

そんなある夜

私はバスルームへ向かい、上着とシャツを脱ぎ捨てた。
鏡の前で、背中を捻って確認する。
そこに、火傷の痕はない。
だが、右の肩甲骨の下部から、背中の中心に向かって、皮膚の色が変色していた。
それは、病的な赤みや火傷の白さではない。

皮膚の表面に、まるで強い光を一瞬だけ浴びせられたかのように、色素が破壊され、白い肌の中に、くっきりと人型の「影」が焼き付いていたのだ。
それは、私が恐怖に身を縮めて布団を被った、あの夜の私自身の姿に、酷似していた。
さらに、影の輪郭のちょうど中央。

脊柱のわずかに右側に、小さな、指先で触れられたような黒い斑点が一つだけあった。
それはまるで、あの夜、私が布団の中で聞いた最後の言葉を、肉体に刻みつけた「印」であるかのように。

私がこの街に来たのは、取引先のトラブル処理のためではなかった。
私は、あの夜に焼け死んだ誰かの「影」を、四年後の現在まで運搬するために、八月九日のあの部屋へ誘い込まれたのだ。
そして、その熱は、来年の八月も、私を燃やし続けるだろう。

[出典:124: 出張:19/02/10(日)20:39:41 ID:0pc ×]

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