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水の音が近づく rw+4,156

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その屋敷の敷地の奥には、今も小さな祠が残っている。

石段は低く、三段ほどしかない。だが、苔に覆われたその段を踏むと、足裏に妙な重さを感じる。木々に囲まれたその場所は昼でも薄暗く、風が止まると、耳鳴りのような静けさが支配する。

代々、水神様を祀ってきた祠だという。

祖父が若い頃、田畑の耕作には牛が欠かせなかった。鋤を引かせ、朝から晩まで畑に出る生活だった。畑へ向かう道の途中には川があり、そこに一本の木橋が架かっていた。村人は皆、その橋を「丈夫な橋」だと信じて疑わなかった。

だが、ある日、橋は突然崩れた。

祖父は牛とともに川へ落ちた。祖父は奇跡的に岸に打ち上げられ、命に別状はなかった。しかし、牛は流され、翌日、下流で死んでいるのが見つかった。

祖母は泣きながら祠に通った。
「助けていただいた」
そう信じ、感謝を伝えなければならないと思ったという。

そして、村で名の知れた拝み屋を訪ねた。

祖母が事情を話し始めて間もなく、拝み屋の様子が変わった。
顔色がすっと抜け、目だけが異様に見開かれた。

次の瞬間だった。

拝み屋は声にならない声を漏らし、正座したまま後ずさるように移動し始めた。床を滑る音もなく、まるで何かに引きずられるように、祭壇の前まで運ばれていった。

そこで突然、身体を折り畳むように伏し、一心不乱に経文を唱え始めた。

あまりに必死だった。
祈るというより、遮るような唱え方だったという。

祖母は声をかけることもできず、ただ固まって見ていた。

やがて経文が途切れ、拝み屋はゆっくりと顔を上げた。
だが、祖母の問いかけには一切答えなかった。

「何が見えたのか」
「祠に何か問題があるのか」

何を聞いても、ただ首を横に振るだけだった。

最後に拝み屋は、震える声で一言だけ言った。

「……あれには、礼など要らない」

それ以上は何も言わず、祖母を帰した。

祖母は帰り道、祠に立ち寄った。
いつもより深く頭を下げ、何度も手を合わせた。

だがその時、祠の前で、ふと気づいたという。

風がないのに、水音が聞こえた。
川は遠く、耳を澄まさなければ届かないはずの音だった。

その後、祖父は長生きした。大きな病気もせず、九十を超えて静かに息を引き取った。

だからこそ、この話は「良い話」として語られてきた。

だが、祖母は晩年、祠の前を通るたびにこう言っていた。

「助かったんじゃないよ」
あの人は、見逃されたんだ

理由は語らなかった。

今も祠は残っている。
中を覗いた者はいない。

ただ、近づくと、
こちらを数えているような感覚だけがある。

ただ、今でも雨の後に祠の前を通ると、川が増水した気配はないのに、水の中を沈んで歩く音が、こちらに近づいてくることがある。

(了)

[出典:520 :本当にあった怖い名無し:2012/03/07(水) 19:24:26.53 ID:P4h2oiCz0]

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