高校二年の頃、友達とよく飯能の岩場に通っていた。
都心から近く、昔から人工登攀の練習場として知られた場所で、駅から十分ほど歩けば入口に小さな赤い祠が見える。そこを過ぎると岩場だ。僕らは休日になるたびにロープを担いで通い、雨の日まで平気で入っていた。
あの日もそうだった。
秋の雨は細かく、山の中を均一に濡らしていた。木は重たそうに垂れ、熊笹は音を立てず、霧が低く溜まっていた。いつもなら暗いうちから歩いても何とも思わない道なのに、その日は祠を過ぎたあたりから妙に息が詰まり、胸の奥だけがざわついた。
岩場は二つある。新しいルート向きの壁と、昔ながらの二十メートルほどの岩壁だ。いつもは誰かしらいる人気の壁が、その日に限って無人だった。僕らは運がいいと笑って、よりにもよって難しいルートを雨の中でやることにした。
先に相方が登った。反り返った核心部で何度も滑り、下から見ているこっちまで指先に力が入った。僕は濡れっぱなしなのが嫌で、木の間にシートを張って簡単な雨よけを作った。そこへ入ると壁の上部は見えない。だが、ロープの流れは分かる。相方は上に抜け、次は僕の番になった。
岩は冷たく、ホールドはぬめっていた。核心の反り返りに指を掛け、足を探り、ひとつ上の手を出そうとしたときだった。
壁の上から、赤いセパレートを着た人がぬっと顔を出した。
覗き込むというより、待っていたものが縁まで滑ってきたような出方だった。山道から見物に来た誰かかとも思ったが、この雨で、この時間に、そんな人がいるのもおかしい。何より、その顔には表情がなかった。ただまっすぐ下を見ていた。
見られているのが嫌で、僕は無理やり身体を持ち上げた。上に抜けたときには、もう誰もいなかった。足音もしなかった。相方は下にいるはずで、ロープだけが無言で送られてきていた。
そのあとも何本か登った。夕方を過ぎると暗くなるのが早い。六時を回って撤収することになり、僕は下で片づけを始め、相方が裏から回って支点を外しに行った。裏道は雨でひどく滑っていたが、僕は面倒で任せてしまった。
煙草に火をつけ、濡れた指先を温めながら、何となく最初のルートを見上げた。
反り返りのぎりぎり上、さっき顔が出たのと同じ場所に、また顔があった。
今度は相方の顔だった。
少なくとも、そう見えた。
「おお、着いたか。ロープ落としてくれ」
そう声を掛けた。顔は動かなかった。返事もしない。ただ、僕だけを見ていた。目を細めるでもなく、笑うでもなく、怒るでもなく、じっと。視線を合わせた瞬間、身体の内側だけが冷たく固まった。煙草を持つ手も動かなかった。
やがてその顔は、すっと引いた。人がしゃがんで下がる動きではなく、向こう側へ吸われるみたいに消えた。
ほとんど間を置かず、岩の裏手から相方の声がした。
「ロープ落とすぞ!」
声は遠く、息が上がっていた。僕は喉が張りついたまま「おう」とだけ返した。すぐにロープが落ちてきて、そのあと相方が金具を鳴らしながら裏道を下りてきた。泥だらけで、膝まで濡れていた。
「今、表に顔出しただろ」
そう聞くと、相方は眉をしかめた。
「出してない。あの坂、滑って全然進めなかったんだよ。上に出たの今が初めてだ」
冗談を言っている顔ではなかった。
そこでやっと思い出した。あの日、相方が着ていたのは青いヤッケだった。赤いセパレートじゃない。赤かったのは、入口にあった小さな祠だけだ。
その話は、結局、誰にもきちんとはしなかった。常連に広める気にもなれなかったし、相方にもそれ以上は言わなかった。たまに酒の席で、雨の山は気味が悪いという話のついでに、半分冗談みたいに口にする程度だった。
それから十一年後、相方は別の山で死んだ。
遭難だった。詳しい状況を聞かされても、僕の頭に浮かんだのは、あの日の岩の上からこちらを見ていた顔だけだった。通夜の帰り、喪服のまま駅のホームに立っていたら、濡れたホームの端に赤い上着の背中が見えた。反射的に追いかけそうになって、やめた。
飯能のあの岩場は、今も残っていると思う。入口の赤い祠も、たぶんまだある。
もし雨の日にあそこへ入るなら、上を見たとき、誰が覗いていたかをその場で決めないほうがいい。下にいる相手の顔と同じでも、安心しないほうがいい。ああいうのは、見間違いでは済まないまま、ずっと後で数が合わなくなる。
[出典:536 名前:いわ 投稿日:2002/02/10 00:15]